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胃カメラ1年

2006年5月11日

 今日は体調が殆ど悪くなりませんでした。…と言わなければならないほどいつも悪いというのが悲しいのですが、今日は、今のところ、大丈夫です。
 去年の今日、胃カメラを呑みました。北海道の礼文・利尻に行った直後で、去年の北海道でも具合を悪くしていたから、たまりかねて呑みました。…が、結果は何もなし。2003年10月20日に呑んだときは明らかに十二指腸にびらんがありました。もっとも、それが気分の悪さ(吐き気)の原因だとは、今となっては思えませんが。
 小さい頃から原因不明の胃部不快感はずっとありました。吐き気に対するトラウマもあり、正のフィードバックです。つまり、悪循環。誰かが吐き気を催しているところを見るだけでも気分が悪くなり、夢でもダメです。そして、今でもそうですが、夜中に目が覚めると必ずと言ってよいほど気分が悪い。嘔吐中枢の異常だろうか。毒を飲み込むことはあり得ないので、いっそのこと、この中枢を破壊したいくらいです…。それでこの後楽に生きられるなら。ウマは嘔吐することができないと聞いたことがありますが、本当でしょうか。ホントだとしたら、ウマが羨ましい。
 十中八九、僕の不調は神経(精神)性です。でも、神経や精神活動の何が不調にさせているのかはまったく不明。胃カメラくらいではそりゃ解りません。大体、胃カメラ自体吐き気を催して大変なのに…。
 原因で後考えられるのは、歯並びかな。咀嚼能力の低下と歯垢の付きやすさ、食べかすの挟まりやすさと取れにくさ、そのため、胃に負担をかけたり、雑菌が繁殖したり、舌で食べかすを気にするあまり空気を飲み込んだり。歯並びの悪さは、DNAのいたずらかと思うくらい最悪です。
 そのほかと言えば、椎間板ヘルニアかなぁ。でも、なる前から気分の悪い症状はあったから、この線はなさそう。むしろ、潰瘍性大腸炎と関係あるかも。…脊椎に自律神経系が通っているという理由だけですが。

 このところ、シャッターを押す気力があまりありません。とりあえず、休息が欲しい。

天気:曇り時々雨(茨城県取手市・東京都板橋区)

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卯の花くたし

2006年5月10日

 今日も具合を悪くしました。常磐線三河島駅付近から悪くなってきて、山手線田端駅を過ぎた辺りでピーク。駒込駅のトイレでちょうど便意を催したのでそこで落ち着くまで休もうと思いました。…が、あまりよくなりません。職場で具合が悪くなったらどうしようという不安の方が先に立ち、ダメだったのかも知れません。9時45分頃だったので、職場に電話をかけて、休ませてもらいました。駒込まで来たのに…!

 家で休んでいると落ち着きました。常総生協のスティックセニョールとオカヒジキ(アカザ科)、スナップエンドウをおひたしにして、一昨日辺りから食べ続けている、コゴミと菜の花、アスパラガス併せて6種類を御飯と食べ、過ごしました。不思議と気分が悪くなりません。野菜の効果なのか、それともたまたま偶然なのか…?

 今日は朝から霧雨。コバンソウ(イネ科)(左)ハハコグサ(キク科)(右)もビチャビチャでした。今日の新聞によると、この時期に降る長雨を、梅雨ではなく「卯の花くたし」というそうですが、他の花も、ついでに僕も、くたれ(腐れ)そうです。

天気:曇り時々雨(茨城県取手市・東京都豊島区)

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専門バカ

2006年5月9日

 今日、職場(本部)で新入生の歓迎会がありました。そこには日頃あまりお会いすることのない本部の人たちがたくさんいます。変なダジャレを飛ばす人が多く、何か変なウイルスでもいるのでしょうか。
 とりあえず中締めの後、東南アジアの農業問題を研究されている本部の職員(教授です)とお話しました。東南アジアを取り巻く農業の情勢は、10年前と比べても深刻になっているそうです。フィリピンやインドネシアなどの米の輸入が多くなり、世界でも米の在庫量が減っているとか。あとは、遺伝子組み換え作物の話で、Btタンパク(食べると昆虫が消化不良を起こして死んでしまうタンパク質らしい)に耐性を持つ昆虫の発生とか、グリホサート(モンサント社開発の除草剤で、グリシン誘導体:C3H8NO5P)の使用量の増加と耐性雑草の発生、そしてそれを見込んだ新型除草剤の開発など。
 前者の話は明らかに世界中で起こる飢餓を予告している大問題です。後者の遺伝子組換えは問題を予測することができません。「害がないから大丈夫だ」なんていう人もいるそうですが、後々苦しみたくなければ、不安の種はなくす努力をするべきです。もっとも、その努力をしたくないか、遺伝子組換え作物で甘い汁を吸っているかしている人には期待しませんが。
 その職員の先生によると、社会科学でも自然科学でも、専門分野を抱え込んで他を見ようとしない「専門バカ」はたくさんいるそうです。続けて言います。現場で、失敗を繰り返してでもみんなで問題に取り組んで解決していこうと思うと、「専門バカ」になってなんかいられない。「専門外だから知りません」じゃすまない。
 僕が院生の時の別の研究室の助手の方は誰の発表(修論卒論など)でもよく聞いていて、いろんな質問していました。僕を助けてくれた所属研究室の助教授の先生、よくよく話してみれば、社会的な目的を持ち、枠に囚われない考え方をする人でした。
 固執、嗜癖…、「専門バカ」ってこれと紙一重か、あるいは同じか。僕と折りが合わなかったある教授はどちらかというと、「専門バカ」だったと思います。

ひどい目に遭いました…(涙)

 その教授は抗ガン剤ドキソルビシン(アドリアマイシン+アミノ糖)とテトラサイクリン系抗生物質のドキシサイクリンを間違えて注文し、僕が修論を書いていても気が付かなかった人でした。そして、僕がデータの異変に気が付いた頃には、既に遅し。代わりに側にあったパラコート(メチルビオロゲン)を使って実験というハメに。

 なんでそうなるのかは解りません。その人それぞれで理由があるのでしょう。しかし、「専門バカ」でない人は、程度や範囲の差はあれ、感性が豊かであると思います。また、責任感もあるのかな。学問のための学問をしているだけじゃ、本人にとってはいいかもしれないけど、周りを必ずしも幸せにするとは限りません。遺伝子組換え技術も核融合技術もロボット技術も、医薬品の開発やエネルギー生産や特定疾患患者のQOL(生活の質:Quality Of Life)向上などに使える一方、兵器にも使えます。もちろん、これは極端な例です。しかし、化学物質の有用性と汚染(毒性)のような光と影を見る努力をすることが大事なのかなと。そして、そういう努力ができるのは、人の幸せや苦悩を知っているからなのかなとも思います。
 なお、その先生、憲法9条を守る運動などにも参加されています。果たして、偶然なのかな?

天気:曇り、夜は霧雨(茨城県取手市・東京都豊島区・板橋区)

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苦いおひたし

2006年5月8日

 今日は10日ぶりの出勤。常磐線快速も10日ぶり。っていうか、凄く寒い。昨日まで温かで、北海道から帰ってきたら季節が進んでいることにびっくりしていたのに。僕が北海道に行っている間に、タビラコ(キク科)やハハコグサ(キク科)などが花を咲かせていました。イモカタバミ(カタバミ科)も咲き誇っています。

 さて、北海道では魚はたくさん食べられたものの、野菜はとても不足していました。昨日から今朝にかけてもラーメンやそばなどの麺類ばかりで野菜は極端に欠乏。飢えていました。そこで、職場の裏の畑。連休中放ったらかしになって、ヤエムグラ(アカネ科)ととう立ちしたほうれん草や大根に占拠されていました。その奥で風で折れたスナップエンドウや絹さやの茎。とりあえず立派な実をならしているので、それを採りました。…が、まだひもじいので、占拠していた二十日大根の花の先もちょん切って収穫。おひたしにしてしまおう。

 …大根の花はちょっと固いとブーイングがでましたが、僕はゆずぽんをかけて一口で食べてしまいました。僕には十分うまい。なんだか、本当に雑草を食っているみたいで、貧しいね。新鮮なのは贅沢だけど。

天気:曇り時々雨(茨城県取手市・東京都板橋区)

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ゴールデンウィーク最後

2006年5月7日

 6日の夜から7日の未明にかけては5月2日分までの日記の更新でした。文章は打っていたものの、貼り付ける写真との整合性が取れず、ずいぶん手こずりました。7日は残りをやろうと思っていたのに、こういう日に限ってやたらと仕事が多いのです。突然、「名刺を作ってほしい」と仲間からの連絡には流石に仰天。結局作りましたが。他に、会議二つ、洗濯大量、大量の洗濯に伴う買い物、夜御飯の買い出し、会議のために部屋の片付け、メールの返事など。今日は日記をつけたら思いっきりだらけたいくらいなのにな。

 ま、そんな怠惰な話はそのくらいにしておき、北海道からの帰りに読んでいた『「慰安婦」と出会った女子大生たち』(新日本出版社)の本、会議に来ていた人が「これ貸してもらえますか」と。嬉しかったね。なんか。でも、きっとためになります。
 夜は再び日記の更新作業。結局何時までかかったっけ。胃もたれ(そばの食べ過ぎ)で夜中3時まで眠れずにいたけど、その時間近くまでかかっていたように思います。なんとかここで5月6日分までは。というわけで、7日分は8日に書いています。追いつくの大変。
 ところで、具合良くないけど、8日の出勤大丈夫かなぁと心配。そして、4時前に寝ました。

天気:雨時々曇り、強風を伴う(茨城県取手市)

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旅の終わり。電車でGo!(移動:青森県・秋田県・岩手県他)

2006年5月6日

 旅も最終日です。今日は一日電車に乗る日です。帰りの船が取れず、電車を選びました。いえ、正確には帰りの船を、週間天気予報の荒れ具合から察してキャンセルし、一日滞在を延ばしたためです。結局、帰りの交通費は倍かかり、宿泊費も4500円余計にかかりましたが、炭坑跡のオプショナルツアーが付いたのならば、また、治山のSさんとの交流までできたのならば、その対価としては無限とも言えるほど安価なものです。

 目が覚めたのは『急行はまなす』が蟹田駅(青森県)を出発した頃でしょうか。気が付いたらもう北海道は出ていました。ほどなく、『急行はまなす』は青森駅に。薄曇りの青森市。駅の外に出ることもなく、歯磨きをして、奥羽本線鷹ノ巣行きに乗りました。
 弘前駅辺りまで来ると、青森市上空では絹層雲(薄雲、薄曇りの状態です)だったのが高層雲(おぼろ雲、太陽が障子紙を通した電球のような感じです)に変わっていました。こりゃ、大館市(秋田県)の方は雨かな。碇ヶ関辺りから、乱層雲(雨雲)あるいは層積雲(曇り雲)に変わりました。さらに、霧が。
 7時45分、大館駅。ここから花輪線に乗り換えるのですが、57分の待ち時間。実は、何気にこの待ち時間が嬉しい。朝飯が食える!…が、待望のそば屋さんは、無し。がーん!!駅併設のコンビニ「Newdays」で、超まずい鮪たたきおにぎり。わさびの茎が入っているらしい。レジのお姉さん、「温めますか?」マジっすか!?
 …大館駅前は特に大きなビルもありません。食堂や小商店が並んでいて、田舎駅の感じが。そして、渋谷のとはまた少し違ったハチ公の像が。渋谷のハチ公前は辛くても、ここのハチ公前なら、そんなに辛くないな。

 そして、駅前から左の方に行くと、朝市があります。強烈な秋田弁のおばちゃんが僕の大きな荷物を見て声をかけてくれます。また僕も、朝市で売っているコゴミなどを興味深く見ていたこともあるのかも知れません。コゴミの他に、わさびの葉(茎)が、そして、見たこともない植物が二つ。名前を教えてもらいました。しどけ(写真の上の少ない方)ぼんな(写真の下)というそうです。しどけの方はあまり強いにおいはありません。しかし、ぼんなは強いにおいがあります。僕はこのにおいが結構気に入りましたが、そのおばちゃん、「これ食えるかな~?」と秋田弁で。なお、このぼんな、一束400円の高級野菜です。凄いね。無難にコゴミだけ買っていきました。あと、とんぶり(ほうき(アカザ科))も。

 大館市で朝市と方言をしっかり楽しんだあと、花輪線。いつの間にか眠っていました。何せ、2004年の夏に行ったときと違って、緑が少ないんですもの。つまんない。時々、キケマン(ケシ科)が咲いているのを見ましたが、停車時間短いから撮りに行っている暇もないし。盛岡駅に着いたのが11時29分。駅そばを食べました。エビ天そば。そして、具合が悪くなりました。今日は盛岡市で倒れました。
 次の乗り換えは一ノ関駅。知らぬ間に寝ていました。一ノ関駅から次は仙台駅。途中から電車に飽きて、『「慰安婦」と出会った女子大生たち』(新日本出版社)を読みました。結局それは常磐線水戸駅辺りで読み終わりました。この神戸女学院の女子大生たち、よく頑張ったなぁと思います。そして、彼女らもおっしゃっているように、仲間との出会いがよかったというのが強く印象に残っています。感心の強弱があっても、仲間の力と実感を伴う学習と自主的な調査研究によって高まってゆく「慰安婦」問題へに対する思いはみんなに共通しており、とてもすてきでした。この本を編集してくださった石川ゼミの方々の顔写真がありますが、みんな、本当の意味でとてもいい顔をしています。なんという感性!そして、誰しも、機会さえ与えられればその感性を持つことができると感じさせられました。理系バカの僕でも、「慰安婦」問題を学習したくなったではありませんか。
 …次なる仙台駅。お団子を食べました。駅構内に臨時で設営されたお団子屋さん。売り子さんのおっちゃんと少しだけ話しました。僕が北海道旅行したというと、羨ましそうでした。「みんなが休んでいるときに働かないといけないからね」というそのおっちゃんの言葉。こういう労働をする人でも、旅行ができるような社会にしたいものです。
 次はいわき駅を目指しました。これがまた遠い。ずっと田園風景です。明るかったので、ずっと外を見ていました。タンポポがいっぱい。田植えも始まっています。耕作放棄地もあります。こんなところをいきなりトラクター走らせたらどうなるんやろ。
 いわき駅で乗り換えは最後。大津港・磯原駅辺りは何となく見過ごせない駅。それを過ぎると、あとは本を読んで過ごしました。神立駅で本を閉じ、旅行終了のカウントダウン。
 取手駅到着22時9分。札幌駅から24時間9分の列車移動は終わりました。

 8日間の長旅。よく考えたら、純粋な旅というより、活動の研修みたいです。ま、それでもいいのですが、もう少し、余裕を持って行けたら、健康度も上がったのかも知れません。次なる課題ですか。何はともあれ、良い旅でした。

天気:曇り(青森県青森市・秋田県大館市・岩手県盛岡市・宮城県仙台市・茨城県北茨城市・東茨城郡内原町・土浦市・取手市 他)

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北の大都会(札幌市街:北海道)

2006年5月5日

北の大都会

 羽幌町を出る日が来ました。朝ごはんを「旅館丸美」で食べてから、9時50分の羽幌町発札幌市行きのバスに乗りました。

 食事はこれにホタテ貝のみそ汁が付きました。やっぱり海。

 札幌までのバスは3時間15分。長旅です。途中で乗った北海道の高速道路は、このゴールデンウィーク中でも、まったく人がいません。これはどこだろう。留萌の方から深川の方に行く高速だったと…。

 札幌市に到着。凄い大都会。空気も至極悪い。ここで22時まで過ごすのです。僕にとっては暫し辛い時間。とりあえず初の札幌市なので、駅の写真でも撮っておきました。

 札幌市にせっかく来たので、とりあえず、有名どころを回ることにしました。…が、何が有名なのか、解りません。駅前にはビックカメラが。まさかこれが有名ということにするわけにはいきませんので、24kgもある巨大な荷物をコインロッカーに詰め込み、分厚くてくそ暑いヤッケもロッカーが悲鳴をあげるくらい詰め込んでおきました。400円分、とてつもなく荒い使い方をしました。ごめんなさい。
 駅の地図。とりあえず、公園っぽいところを目指してみました。赤煉瓦なんとかというのがあって、ついでに、時計台とかテレビ塔とか何とかいうのもあって、そこを目指すことに。
 赤煉瓦の建物は、旧北海道庁舎でした。なんだか、カップルがぎょうさんおって、独り者には応えます。人が写真撮ろうとしているのに、目の前を妨害します。もちろん、当人たちにはまったく悪気はありません。くぅ…!それでも負けません。シャッターを押します。…が、何気に、人気のない側面からの方がきれいだったりして。

 次に目指したのは大通り。通りの真ん中が公園になっています。よく、NHKの「現場からの中継」とかでニュースの合間とかに出てくるところです。見た感じ、花壇や噴水などがあり、通りの東にはテレビ塔があります。そして、一番気になったのは、やたらと焼きトウキビ(トウモロコシ)屋さんの多いこと。何考えてんだか。
 さて、その中を散歩してたら、なんだか車の上に乗って、「武部(自民党)がなんとか違反なので辞職すべきだ~」と叫ぶ人あり。いったい何を訴えているんだろう。通りすがりながら3分ほど聞いていたが、中身が解りません。遊んでんのかな。長生きするわ。そして、その前で、キリスト教の人がせっせとゴミ拾い。なに、この落差は。意味わからんこと喧伝してないでゴミでも拾えば?なお、僕はこの旅(羽幌)で出たゴミのほとんどは家まで持ち帰ります。写真では解りにくいですが、ゴミを拾っている人の遥か向こうで小さく写っているのが、その喧伝する人です。右クリックで画像表示して写真を見ると解るかも知れません。もちろん、解る必要もありません。

 時計台はとてもわかりにくいところにありました。しかし、駅の南口からまっすぐ歩けばすぐに見つかるところです。で、探した甲斐はあったかというと、そうでもないのがまた悲しい。カッポレ(カップル)がやたらと写真を撮っています。ふぅ。とりあえず、撮ってみましたが、感情のこもらない一枚。

 一旦駅前のエスタビルの地下に戻りました。ここで昼ご飯(15時)をとりましたが、具合が悪くなりました。…場所を問わず襲うこの辛さ、たまりません。落ち着いたら再び街に出ました。

 今度は街からはずれました。大通りや赤煉瓦庁舎は本当に人が多く、それだけで体力を消耗します。テレビ塔より東に行くと、人も車もぐっと減ります。特に何か名物があるというわけではありませんが、落ち着いて町並みを見物できます。やっと僕らしい旅ができるのです。ほっ!
 たぬきなんとかという商店街を抜けて、しばらくすると、鮮魚の市場。カニをやたらと売っていて、通るだけで、「安くするから買っていってよ」と声をかけられます。いやいや、持って帰れんし、俺、カニそんなに執着ないから。スマイルで丁重に断り、写真だけ撮ってトンズラ。

 もっと東に行くと、豊平川。水のあるところって落ち着くぅ!(ちょっと濁流だけど)。一条大橋から北を向いて撮った写真。夕日で同じ方向が照らされている住宅。昨日の廃墟とは違う趣が。

 うろうろしていると、日が暮れます。でも、夕日の出ている時間がやたらと長いような気がします。これも、緯度が高いせいかな。北に行くほど、夏は日が長く、冬は日が短いのです。そして、さっき西から見ていたテレビ塔が、今度ははるか西見えます。北海道最後の日も、もう終わりか。

(拡大写真あります)

 22時発の『急行はまなす』。JR札幌駅から青森駅までの夜行列車です。この列車についてはいろんなホームページで紹介があります。僕はこの列車のカーペット車両を取ることができました。しかも、2階の半個室状態の席。寝心地最高。ただ、水道が近くにないので、辛い。夜行列車の限界ですね。
 左の写真は牽引するディーゼル車。右はカーペット車両の2階部分。床は固いけども、毛布と枕も付いています(1階でも毛布と枕とハンガーはあります)。隣に人がいないので、寝相が悪くて人を蹴飛ばす心配もありません。ただし、高い柵を乗り越えて落ちればその限りではありません。

 こうして、札幌の長旅は終わりました。また、これで北海道内での旅は終わりです。あとは鈍行列車での帰路が待っています。

天気:曇りのち晴れ、朝のうち雨(北海道苫前郡羽幌町・札幌市)

ふうたろう旅日記

雪に佇む廃墟(羽幌炭坑跡:北海道苫前郡羽幌町)

2006年5月4日

 今日の天売島は曇り。どうも天気が不安定なようです。ま、雨に打たれていないだけましでしょうか。9時7分頃、児玉民宿旅館を後にしました。ご主人が港まで車で送ってくださいました。
 港のおみやげ屋さんはまだ9時過ぎだというのにもう開店。島の人たちは健康的です。天売・焼尻自体にはそれほど名物となる加工品はありません。キーホルダーなども至って普通のものです。しかし、海草類は確かな逸品。ふのり、岩のり、みみのり、がらめ昆布など。まだすべて味を確認したわけではありませんが、食堂などで出てくるものは美味い。海藻類をおみやげにすることをお勧めするものです。

 船は曇っていたので寒かった。しかも、今日はジーンズで北国の強風の前ではまさに風前の灯火。体が一気に冷えました。部屋に入って『「慰安婦」と出会った女子大生たち』を読んでいました。後半、揺れがきつくなると、ゆりかごに乗っているかの如く、グースカ。1時間ほど、寝ていました。

 午後は上羽幌方面の炭坑跡巡り。野越民宿(焼尻島)でお会いした、治山業者の方の一人、Sさんが案内してくださいました。港を12時10分頃出て、廃墟のある辺りに来て気がついたら13時6分でした。遠い!
 最初に出てきたのは縦坑やトロッコに石炭を積み込む施設。雪や雪解け水で建物の損傷はひどく、コンクリートはやはり酸性雨の影響か、溶けています。壁は大きくぶち抜かれ、壁のトタンははがれ、窓ガラスはすべて割れ、くぼみには雪がたまり、線路跡は見る影もありません。砕けた石炭だけが炭坑跡を思わせます。


 しばらくすると中学校。北辰中学校(ほくしんちゅうがっこう)といいます。今や農機具がおかれていたり、何かを飼育していたりするようですが、35年前(1971年・昭和50年)には炭鉱労働者の子どもたちが勉強に勤しんでいたことでしょう。打ち付けられたドア、ほこりだらけの教室、穴の開いた床、取り外された黒板…。Sさんの話によると、炭鉱労働者は内地(本州)に行ってしまったといいます。もう、子どもたちの笑い声は帰らない。

 次は何の建物でしょう、「羽幌鉱業所」と看板。ペンキのはげた文字。黒くなったコンクリート。雪解け水がたまり、かつてここで石炭加工をしていたと思えません。

 最後はコンクリートの住宅。焼尻島の小田商店店長のお話によると、建てられたばかりのようでした。確かに、35年以上の年月がたって老朽化は進んでいるものの、使い込み具合はそれほどでもありません。ふと、69-R1棟の5階。コレクターや旅人などに荒らされた中、カレンダーと新聞紙。カレンダーには「お父さん今日も一日安全に」と書かれています。カレンダーの発行は羽労築別坑支部。炭鉱労働者の労組でしょうか。新聞は炭坑閉山(11月2日)の昭和45年9月26日付。お父さんや子どもたちはどこに行ってしまったのでしょう。

(住宅廃墟、拡大写真あります)

 近くにある太陽小学校跡。穴から覗くと天井から石綿のようなものが剥げています。もっとも、本物かどうかは解りませんが。ここもドアは打ち付けられています。中に入ろうと試みた人たちが窓ガラスを割っていますが、こういうことはしてはいけません。

 案内してくださったSさん。とても親切でした。ほかにも案内してくださったところはあります。羽幌の郷土資料館。炭坑に朝鮮からの強制労働者が働かされていた歴史もあることを知りました。…そういう問題は一刻も早く清算しないとね。

天気:曇り時々晴れ(北海道苫前郡羽幌町(天売島・市街))

ふうたろう旅日記

影と光と(天売島:北海道苫前郡羽幌町)

2006年5月3日

 昨日の夜は胃もたれ…なのかな?おそらく、じわじわと緊張性の疲労感がたまってきているのでしょう。とはいえ、30日、1日と薬を飲み忘れ、そのせいもあるのかもしれません。
 ついに今日の夜、せっかく民宿の方がウトウを見せに連れて行ってくださるというのに、4月16日の歴史探訪の時みたいに急激に具合が悪くなってしまいました。食べ物はおいしいし、民宿の人もとても親切なのに、そのおもてなしを十分受けることができませんでした。無念でなりません。

 日中は天売島を一周しました。天売島は崖が多い島です。児玉民宿旅館は島の南東部にあります。そばにお店や郵便局、交番などがあります。そこから昨日ウトウを見に行った「赤岩」を経由し、「野鳥観察舎」、「観音岬展望台」、「天売灯台」、天売港、厳島神社、天売高校、などを通りました。全コース、昼飯などを合わせて、朝8時から16時40分。3時間で歩いて回るのは、本当に徹底的に見るなら不可能です。僕は、散歩の途中で会った旅人や島の人と話したりするのがすごく楽しみなので、こういうものも、立派な観光だと思っています。むしろ、それが大事、という勢いです。


 今日は赤岩の展望台と厳島神社(島の東部)がポイントでした。また、港で一休みしようとしていたとき、ウトウ見学に連れて行ってくださったNさんともお話しできました。

 赤岩の展望台は海が一面見渡せ、ウトウの巣穴が30万個もあるといわれています。そこで、東京から来た利尻フェチの人と話をしました。とりとめもなく、ね。

 厳島神社では、キバナノアマナ(ユリ科)イヌノフグリ(ゴマノハグサ科)が群生していて写真に興じていると、神社向かいに連休の帰省に来ていた女の子(4歳くらい?)二人とそのじいちゃんばあちゃんが三つ葉摘みに来ました。へぇ、三つ葉なんか生えてんのか、天然に。いえ、それだけじゃありません。アサツキ(ユリ科、現地ではシロと言うようです)も生えています。RちゃんとMちゃん。楽しそうに摘んでいます。札幌から来たらしく、やっぱりこういう自然の中で遊ぶのって、楽しいんだろうな。僕もそうだったよ。これからも元気でね。ばいばい。


 港でNさんとも会話。焼尻、天売、その他の観光の話などをしました。どこが綺麗だとかいう話じゃありません。学問的には、「経営学」的な話だと思います。ゴミが多さ、観光地での宿の料金体制のゆがみ、コミュニティの崩壊(かいつまんで)、そして、この言葉にはがつんと頭を殴られたような気がしました。

Nさんの言葉

 大観光地であることにあぐらをかいていてはいけない。いかに観光客が来たいと思うようなことをできるかをみんなで考えないといけない。

 僕はこういうニュアンスだと感じました。例として、湯布院(大分県)が成功していると話してくださいました。
 話が終わった後、悲しくて悔しくて、涙が出ました。あくまでもNさんの意見(ニュアンス)ですが、「理想を「できない」と諦めている人が多い」、そういう感触は僕にもあります。それは観光という意味にとどまらず、平和や失業、環境その他様々な政治経済的なものもそうです。だから悲しいのです。悔しいのです。だからといってその諦めが「自己責任論」で片づくものではありません。人々に努力すれば報われる条件整備をできる政治、人々の心の疲れの除去、それらを実現できないことに悔しさを感じます。運動って何だろう、そんなことを考えさせられます。
 今日も海岸を歩きました。やっぱりゴミでいっぱい。本来なら産業廃棄物なのかな、ホタテの貝殻が捨てられていました。でも、そうしてしまった漁師さんの気持ちや、今の漁師さんたちを取り巻く経済的な苦悩を僕は知りません。テトラポッドの隙間に捨てられたホタテの貝殻が訴えているものは見た目よりもずっと重い。ほか、打ち上げられ横転し、放ったらかされた船、どこからともなくフェノール臭(クレゾールかな)、ポリ容器…。こんなものを子どもたちに、あの屈託無くはしゃぎながら三つ葉を摘んでいたあの子たちに、残すというのか!…何もできないのが悔しい。僕は茨城に帰って何ができるだろうか…。

 今日は憲法記念日。9条が変えられようとしている問題と共に、25条「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を子どもたちに伝えることができるだろうか。
 青い空は青いままで子どもらに伝えたい…
 旅先で感じるいろんな矛盾。憲法記念日の名に相応しい一日になったのではないでしょうか。
 でも、やっぱり天売島、風景はすばらしい。海の透明感も、澄んだ空気も、魚のおいしさも、いいものです。明日、島を離れます。来てよかった。ただ楽しいだけじゃなく、大変学習させていただきました。花はエゾエンゴサクやキバナノアマナ以外に、ニリンソウ(キンポウゲ科)、エゾリュウキンカ(キンポウゲ科)(左)ミズバショウ(サトイモ科)(右)、ザゼンソウ(サトイモ科)なども咲いています。

 …しかし、一に体力二に体力、三・四に体力・五に努力。勝つは体力なり。体力がなければ何もできません。守りたいものがあるなら、体力をつける努力をせよ。

天気:晴れ(北海道苫前郡羽幌町(天売島))

ふうたろう旅日記

ごさく~!会いたかったぞ~!!(焼尻島・天売島:北海道苫前郡羽幌町

2006年5月2日

 昨日の夜は寝付きが悪く、眠りが浅かった上に、1時36分に一度目がさめ、3時45分の目覚ましの後には何度と無く目が覚めました。3時45分というのは、晴れていれば朝日を見に行こうかと思っていたのですが、曇っていたので、諦めました。
 結局、6時37分に起床。睡眠不足です。朝ご飯のおかずは5時半頃仕事に出かけた昨日の植木屋さんたちに合わせていたので、既に冷めていましたが、ご飯とみそ汁は大丈夫でした。睡眠不足の割に、比較的よく食べられました。
 8時頃、焼尻島巡りを始めました。今日こそは顕微鏡の出番です。重たい思いして持ってきたので、使うのです。そして、早速、エゾエンゴサク(ケシ科)(上段)。これは去年礼文や利尻、旭川に行ったときに咲いていた花です。もう北海道には来られないかと思っていたので、二度と会えないかと思っていました。しかし、再会!ごさく?!会いたかったぞ?!!って。花の写真と花粉の写真をセットで。ほか、キバナノアマナ(ユリ科?)(下段)、ザゼンソウ、など。名前の解らない花も3つほど。白い花二つ、ジンチョウゲに似た花一つ。


 焼尻島は島を出るまでずっと曇りでした。時々晴れ間ものぞきましたが、基本的には灰色の雲がたれ込めていて、すっきりしません。それどころか、小雪もちらついたり。すげぇ寒ー!睡眠不足で島の北側にある住宅地区を抜けるまで、すごく疲れました。
 住宅地区には、発電所やお寺、小学校・中学校などがあります。廃墟になった家のそばに、壊れ、雪で押しつぶされ、穴が開いたバス。中にはカーテンが引いてあり、茶碗などが転がっていました。誰かが住んでいたのだろうか。

 島の西に、細い道があり、海岸に下りられます。ここではまたゴミが漂着。もちろん、韓国やロシア産のゴミもたくさん。毒のマークを貼ったもの、実際に毒のものなども含まれています。…が、日本のものもすごく多いのです。今日は、殺虫剤を見つけました。「スミチオン」と書いてあります。これは、成分名フェニトロチオンの住友化学の商品名でもあり、有機リン系の殺虫剤です。農業用でも殺虫剤として使われており、ポストハーベストとして残留していた例もあります。さて、これでも、「有毒ゴミ」はアジア諸国の「専売特許」でしょうか。


 島は全体的に冬枯れです。ですが、島中央の牧草地帯を東西に走る道を歩くと、グリーンスリーブスの音楽が頭をよぎります。島の北の沖を「おろろん2」が焼尻港に向かって走っています。平和です。
 お昼ご飯は、焼尻港横にある新沼食堂で食べました。今日も大時化で、漁ができなかったようで、あまり魚料理はありませんでした。この際、食べ物があって当たり前という考え方は捨てなければなりません。わかめがない、刺身のつまがない、どんなにないない尽くしでも、です。
 そして、今出せるらしいたこ刺し定食を注文。たこのお話をシェフに聞きながら、いただきました。っていうか、たこの足がでかい。直径5センチはあります。北海道焼尻のたこは有名で、マダコとミズダコというものに分かれるそうです。今日食べたのはマダコ。20kgほどの大物だそうです。うまい。ついでに、香り豊かな生わかめのみそ汁と、自家製の練り物(すり身)。同じくうまい。これで800円。すばらしい。

 今日の最終便で天売島に渡りました。海の青がきれい。天売島の宿泊先の方からの迎えで、少し手違いがありましたが、問題なく解決。
 今日および明日の宿泊は「児玉民宿旅館」。以前、予約の時に老朽化が激しいようなことを聞いておりました。行ってみたら、確かに老朽化は進んでいましたが、それは「年期」という新築にはどんなに背伸びしても出せない魅力を持っていました。生活感の染みついた床や壁、金属の板で作られた洗面所や浴槽、急な階段、くみ取りのトイレ、いいじゃないですか!

 飯は、この旅行の中でもっとも美味いものでした。しかも、食べ切れません。潮汁やら和え物やら、ホタテのバター焼きやら、カレイの煮付けやら。美味すぎます。食後は主人の息子さんがウトウの繁殖地に連れて行ってくださいました。灯台付近をウトウが僕の体の上下左右をばたばたびゅーびゅーと飛んでいきます。

 すごいところだね、この島々は。まだ明日一日、天売島を歩きます。勝つは体力。がんばりましょう。

天気:曇りのち晴れ、時々小雪が舞う(北海道苫前郡羽幌町(焼尻島・天売島))

ふうたろう旅日記

ゴミにおぼれる日本(羽幌市街・焼尻島:北海道苫前郡羽幌町)

2006年5月1日

 丸美旅館にて、7時45分に起床。外は雨上がりでした。夜中、ずっと外は雨の音がしていました。降っていたんですね。
 朝ご飯は素泊まりなのでありません。主人に、「朝だけでも連絡くれれば出せたのに」といわれました。今後の課題です。
 朝ご飯探しの旅。でも、散歩も兼ねています。地面を埋め尽くすように生えたツクシや、ピンク色の花、水仙など、それなりに咲いてはいますが、まだほとんどが枯れ草です。それよりも雪が多く残っていて、花どころではないのかも。

 近くのセブンイレブン。やっぱり旅に来た気がしません。どこかで本格的に食事しようと思って、明太子おにぎり一個のみ。悲しいかな。
 羽幌町を流れる羽幌川の河口に行き着きました。産廃処理場1.6kmの看板。この辺は農地が多いから、それ関係の処理場があるのでしょうか。それとも、羽幌川のすぐ南にあるセメント工場の…?

 羽幌川の河口の砂地に下りました。川自体が濁流で、北西の強風によって生まれる波が、木くずやら葉のかすを打ち上げています。雪解け水が川を増水させているのでしょう。木くずや葉のかす、それから流木などに混じって、目立つのはなんと言っても大量のゴミです。僕は九州や四国の砂浜を歩いていたことがありますが、そこに無かったものがあります。それは、ロシアや朝鮮半島から来るゴミです。そのゴミがまたすごく、「過酸化水素」と書かれた朝鮮のゴミ、どこの国のものか解らない、プリンタのインクカートリッジ、ロシア語のペットボトル。すごいです。


 少し羽幌川の河口から上流に向かうと(数百メートル)、変わった木がありました。これは何でしょう。柳っぽいですが…。ほかにも、木の穴に引きずり込まれたネズミの死骸なんかがあったり。
 雨が降ってきました。傘を持ってこなかったため、宿まで約40分、濡れっぱなし。帰ってきたのは11時10分頃でしたが、12時まで降っていました。このままこんな天気続くのかなぁと不安がよぎります。
 昼ご飯。朝ご飯は結局食いっぱぐれました。散歩の途中に、サンセットプラザの近くにある食堂を見つけていたので、そこに行きました。海鮮料理は高くて、それほど食欲にも自信がなかったので、値段もボリュームもそこそこのシーフードカレー。これがまた恐ろしくまずい!もう二度と来たくないっす!

 13時過ぎ、丸美旅館のご主人に挨拶して、港へ。沿岸バス本社のターミナルから海側(西)に突き当たりまで行き、右(北)に進むとすぐに解ります。時間にして20分も見れば十分でしょう。「夢の浮島 天売島 焼尻島」と大きく書いた建物が港です。建物の中には若い女性が一人。どうやら、焼尻島に親戚の方がいる(別の人と話しているのを聞いた)ようです。おしゃれをしていましたが、僕は見てるだけで寒くなりました。ぶるっ!
 海は大時化。とても楽しい船旅です(マジで)。寝てなんていられない…と思ったら、僕以外の乗客(さっきのおしゃれの女性も)はすべてグースカ。一人、カップルの男の人が船室から外を眺めていました。
 焼尻島は強風。すごい寒さ。さっきのおしゃれの女性も、さすがに寒そう。当たり前か。祖父らしき人が車で待っているのが解りました。達者でな。
 直で宿に向かいました。「野越民宿」。場所が解らない…!雨降ってきた!それほど深刻にもならず、エゾエンゴサク(ケシ科)を愛でながら歩きました。一緒にフェリーに乗っていたおっちゃんが、僕を見つけてくれ、看板のないその民宿を教えてくださいました。恐る恐る、大声で「ごめんくださーい」2~3分で返事が。年配のご夫婦。…ていうか、そのご夫婦の家そのものの中に、宿が増設されているようです。「家」度は「丸美旅館」の比ではありません。これが民宿かぁ!!びっくり。パンフレット(二島物語)通り、水洗トイレではありませんが、僕はこの雰囲気が大好きです。お風呂も、すごく家庭的。リラックス度120%。雨のビチビチ当たる音がむしろ安心感をそそります。

 宿には僕以外に、羽幌の街から労働で来ている方がいらっしゃいます。4人いらっしゃいます。こうして日記書いている今も、下で飲んでいるのかなぁ。早い夕食(17時半)の後、ゆっくりお話ができました。最年配の方で、僕の父親ほどです。おもしろい話をたくさん聞きました。変な焼酎でなんでもカバノアナタケというものを焼酎に漬け込んだものを紹介してくださいました。話によるとカバノアナタケは、木に出来るものの、キノコではなさそうです。ウイルス性か、虫の寄生によるものか、何なのか、解りません。帰ったら調べてみよう。ほかに、おっちゃんたちの労働の話とか。木を植えているそうです。
 そうそう、お料理でびっくりしたものが甘エビのみそ汁です。しかも、殻付き。この辺りでは普通のものだと、さっきのおっちゃん。

 民宿の奥さんが絹さやの筋取り。僕もやらせてもらいました。そのとき、ちょうどテレビで浜に打ち上げられたゴミの話。ロシアや韓国、中国などから危険なゴミが流れてくるというものでした。実は、僕のさっきのゴミの話には続きがあります。ロシアだの韓国だのと言っても、何より多いのは日本のゴミです。危険かどうかは別にして、空き缶やらプラスチックの配管やらペットボトルやら洗剤の空き瓶やら、枚挙に暇がありません。うがった見方をすると、マスコミがナショナリズムを煽っているように見えます。それにしても、海からゴミを無くするにはどうしたらいいかなぁ。

 こう見ると、濃い一日でした。

天気:曇り時々雨、夕方から晴れ(北海道苫前郡羽幌町(市街・焼尻島))

ふうたろう旅日記