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Archive for 2006年8月

山行前夜(-)

2006年8月11日

 今日も化学物質に囲まれた一日でした。しかも、その中身の殆どが農薬や食品添加物という、何らかの生理作用があるものばかり(生理作用があるから、農薬たるものになる)。100種類以上見ました。明日から盆休みなので、見納め?

 明日はいよいよ尾瀬の燧ヶ岳に行きます。しかし、明日の天気はかなり荒れそうです。果たして、尾瀬ヶ原の燧小屋(ひうちごや)まで辿り着けるかさえ怪しい状況です。平原で雷雨になんか遭ったら、隠れるところもありません。危ない。特に、明日の午後はヤバい。勇気の撤退も視野に入れた行動が必要です。

 この10年くらい、夏の天候がおかしい。僕が小学生の頃のように、晴天がずっと続いて、真夏日が50日とかいうことがなくなりました。お盆にこんなに雨が降るなんて…。夏に降る雨といえば、せいぜい夕立。天気図見ても、太平洋高気圧が十分に日本を覆う年がこの頃あまりないように思えます。地球温暖化のせい?

天気:くもり時々晴れ(茨城県取手市・東京都板橋区・豊島区)

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化学物質に囲まれて

2006年8月10日

 朝、ちょっとセロトニンの量が少ないように思いました。軽い、うつ状態。起きて飯を食べるという動作に移るまで時間がかかりました。
 今朝のソバは取手駅。バスが通る道路は、マイカーがわが物顔です。バスが定刻通りに発車できません。間に合うはずの常磐線に間に合いませんでした。取手市内の交通の不便さを物語っています。バスや鉄道の恩恵を市民が受けられるようにした上で、バス優先の道路にした方がいいのではないかと思います。

 今日の仕事は簡易試験で硝酸態窒素とビタミンCの測定です。試験紙をつけるだけで、試験紙が発色し、濃度に応じてその度合いが濃くなります。

 下の写真の機械が色の濃さを感知して、濃度の計算までしてくれるものです。

 原理を書いた説明書があったのですが、職場に忘れてきて、書けません。

 午後は職場に置いてあるあらゆる化学物質に囲まれていました。そうだな…100種類は超えているでしょうか。しあわせ… … …
 …な筈はありません。臭い化学物質もあるし、危ないのもあるし、実験以外ではあまり触りたくありません。
 お?n-ヘキサン酸エチル」(だったと思う)。これは、エステルという化合物群の一つです。この類の匂いは、果物の香気成分に含まれていることが多いようです。この「n-ヘキサン酸エチル」を嗅いだら、パイナップルの匂いがしました。ちょっとひねてるけど。パイナップルの匂いの中心となる物質だという感じがしますが、これが全てでもないということですね。あの甘い匂い成分の数々と一緒になって、初めてパイナップル。ちなみに匂いのないエステルもあります。代表格は中性脂肪です。あの、菜種油とかの、油分。必ずしも同格とは言えませんが、トリグリセリドとか、トリアシルグリセロールという呼び方もします。
 あと、「フェネチルアルコール」という物質を発見。高校の時のことをちょっと思い出しました。どんなニオイがするのか、ちょっと嗅いでみました。…ボールペンのインクのニオイです。昔ながらのあの油性のボールペンのニオイ。なお、本当にこの物質が使われているのかどうかは知りません。(たぶん違うと思う。)

 夜はこのブログをメンテナンスしていました。しかし、あまりにもエラーが多く、大変。どこが悪いのか解らないから、なお大変!!パソコンの技術は難しい…。

天気:晴れ時々くもり(茨城県取手市・東京都板橋区)

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いろんな記念日(祈念日)

2006年8月9日

 朝起きたら雨でした。というか、寝る時にはすでに雨音がしていました。いつもはゲームを睡眠薬代わりに、つけっぱなしで眠ることが多いのですが、昨日の夜は雨音を聞いて寝ました。夢を見たかどうかは覚えていません。悪夢ではなかったと思います。今朝の雨はとても激しく、僕の出勤時刻を狙ったかのようです。傘を悉く職場に置いてきてしまった僕は、小さな壊れたビニール傘をさし、雨に濡れないように袋に入れられた新聞を新聞受けから引っ張り出し、信号に引っかかったバスに向かって炎のダッシュ。髭を剃るのを忘れていることに気が付いたのはそれからだった気がします。

 職場では今日、職場創立10周年に向けていろいろな取材がありました。たった2年ちょっとの僕にも、「印象深かったことは何ですか」「抱負は何ですか」などの質問を投げかけられました。あとは、フラスコ持っているところ(無精髭付き)や集合写真を撮ったりも。
 印象深かったこと…。やっぱり1年目、主任が熱を出して倒れた時の、ガスクロマトグラフィーの操作に必死だったことでしょうか。主任が夜遅くまで粘って農薬分析のサンプルをこなすのを少しだけ代わりをやったっけ。あのおかげで、ガスクロマトグラフィーの操作が少し解り、今に至ります。少しくらい主任が抜けても、抽出から報告書の作成まで、トラブルがなければ出来るようになりました。少しくらいなら、トラブル対処もできるようになりました。そうか、1年9ヶ月くらい前のことなんだなぁ。機械操作がそれほど得意でないので、カラム(キャピラリーカラムという針金みたいなやつ)や検出器(とても脆い)の交換はまだやっていませんが…。
 抱負。抱負かぁ。抱負というよりも興味ですが、僕はやっぱり化学が好きです。農薬という有機化合物を見ると、やっぱりムラムラと来ます。僕が純粋に関心があるのは「毒性」や「栄養価」に対する問題です。法律の枠を外して、動植物に対して科学的にどういう生理作用があり、環境動態をとるのか知りたい。論文読みたい。
 農家や消費者のために…なんてことは、僕には言えません。化学の力だけで「農家を守る」なんて大それたことを?…確かに言ってきたけど、ちょっと後悔しているところもあります。自分にウソをついていたような気がして。農家の苦悩の根源はダンピングされた輸入食料の跋扈(ばっこ)不安定な生産を支える保障の不十分さです。一時的に、中国やアメリカの食品の危険性を指摘したところで、根本解決にはなりません。技術向上で違反確率が下がるのは当時から予想されていました。そして、食品の安心・安全を確立するためにできたはずのポジティブリスト制度は、輸入に甘く、国内農家に厳しい法律になっています。農薬を使うことで農家同士の分断を生み、不必要に排除される作物が増えるでしょう。農家を続けられないという人もいると聞きました。輸入食料のダンピングが輸入側でも輸出側でも弱者(農民や労働者)を苦しめていることに多くの人が気が付かなければ、未来は無い。農家のため、消費者のためを叫ぶとしたら、これらの根本問題に介入できないと、僕自身、自分を偽っているようで、辛い。
 それでも、分析をした上で、農薬が出ていなければより安心できますし、農薬が残らない栽培技術を助けることもできるはずです。あるいは、使わない手助けをできるかもしれないとさえ思います。それから、できることは毒性物質の検出だけでもないはずです。農家や消費者が困っていることに応えられれば、それは「農家のため、消費者のため」になるのかもしれません。例えば、紫(アントシアニン色素)のアスパラガスの色を落とさないためにはどうしたらいいかを研究する、とか(実は、福岡で雑談混じりで相談を受けました)。
 僕は確かに化学に首っ丈。毒性や栄養、農薬の作用機構とか、おもしろくてしょうがない。けど、それと政治問題を考えることはまた別。両方やりたい、贅沢な僕です。

 今日、ある人から励ましのメールが来ました。その人は、「己自身を偽らないところが、強い」と僕に言ってくれました。全然そういうレベルに達してないけど、嬉しかった。今日、こんな日記になったのはそのメールの影響です。それと、昨日まで読んでいた『さとこ先生のホームルーム2』でしょうか。

天気:くもり時々雨(茨城県取手市・東京都板橋区)

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愛せるということ、科学的であること

2006年8月8日

 今朝、10日ぶりくらいの雨でした。台風7号が近づいていて、関東地方は輪郭のはっきりした雲に覆われています。台風の近いことを思わせます。夕方は夕方で、雲の隙間を縫って、雲と地表の間に侵入する太陽光が、都会を真っ赤に染めています。空が燃えているよう。18時半頃の、板橋区の空です。

 帰りの電車。日曜日に買った本の、『さとこ先生のホームルーム2』を読み終えました。他の本を読む時は、立ちながら満員電車の中でなんて、疲れて読んでいられません。それを、たった6時間ほどで、イナヅマ読みしました。なんでこんなに集中できるんだろう。しかも、なんでこんなに涙が出てくるんだろう。
 さとこ先生とは、著者本人のことなのでしょうか。著者のおにつか氏もおっしゃっているように、さとこ先生は徹底して子どもたちに「寄り添」っています。自閉症や多動症、いや、そうでない子どもたちでも、授業に集中しない、いわゆる「グレ」る…。どうしてそんなに子どもたちを全身で愛せるの?
 でも、何となく感じるのです。どんな「障害」を持っている子どもでも、そうでない「健常」者の子どもでも、自分が受けとめられていると感じた時はほぼ間違いなく応えてくれるものであり、そうして受けとめることこそが「愛情」なのだということを。いや、これはまだ「頭で解った」段階です。僕にはまだ、人をそうして愛せる力なんて無い。これからです。これから。
 さとこ先生は、子どもに対する愛情だけではありません。その親に対しても、「科学」とも言えるような愛情を持っているようです。理不尽な要求を学校にしてくる「さまよう親」、うつ病に悩む母親と父親や娘が向き合う場面を描く「扉」。親も、子どもが苦しめられている同じ社会の中でまた苦しんでいます。世間には、「親がだらしない」という、「自己責任論」が跋扈(ばっこ)している中で、そういう親の気持ちを理解できるのです。ちょっとへそ曲がりな人を見ては、そのたびに苛立っている僕。恥ずかしくて仕方ありません。「自己責任論」という非科学を否定しながら、情けない…!
 また、さとこ先生たち教師は、子どもたちの感性を大事にしています。フィリピンの女性が国際交流の授業に出てくる場面のある「マンゴーシャワー」、豆腐屋さんの頑固親父さんとつながりを持ちながら「日本の経済の根幹に迫るテーマを探ろうとし」たり、家では「だらしない」女の子が、老人介護施設で職員にさえ心も開かなかったおばあちゃんと心からうち解けていったりする「普通の子」
 自閉症を持った子ども進也くんの成長を記した「空のにおい」。「発達検査」では3歳の彼。字を読むことも出来ません。しかし、音、画像、においを感じる“能力”は先生も及ばないほど。字を読む能力、計算する能力、そういうのとは違った能力を持っているのです。それを見ていて、なんだか、この進也くんを自閉「症」と呼ぶのが申し訳なく思うくらいです。ただ社会がこの進也くんのマイナーな能力を受けとめるだけの力がないんじゃないか、と。デジカメを持たせて彼に写真を撮らせたてみようとして、試した時、進也くんの感性にみんな驚きます。「すてきな写真」「どこで買ってきたの」「写真家の写真なの?」…「自閉症」の彼は立派な感性を持っているではありませんか。
 著者のあとがきにはこんな一文があります。

あとがき より

 憲法や教育基本法が改悪されようとしている今日の状況は、良心的な一教師がどんなに頑張っても子どもを守りきれない現実があります。だから時には「寄り添う」ということは「たたかう」ことでもあります。子どものために声を上げ立ち上がる、そんな勇気も持ち続けていたいなと思います。私の周りにはそんな先生がたくさんいます。


 『さとこ先生のホームルーム』を読んでくださった方によくいわれた言葉があります。
 「この本は電車の中で読んではいけないわね。だって涙が止まらなくなるもの。」

 もはやぐうの音も出ない。脱帽です。そして、電車の中で読んではならないというのは、事実です!
 次は、『さとこ先生のホームルーム』の前半を手に入れよう。

天気:くもり一時雨(茨城県取手市・東京都板橋区)

 

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BSE事変

2006年8月7日

 今朝、市役所に寄ってから職場に行きました。国税の課税証明書を…ん?今気が付いたけど、送ってしまったのは、「県・市民税」の課税証明だったような…!!と、もう書類を送ってしまってから慌てても遅いので、また今度、送り直すしかない…。で、暑さに悶えながら、家に自転車を置いて、出勤。途中、潰れた常総生協の建物跡を見ていきました。

 帰りの日暮里駅。夏なのに夕焼けがヤケにきれいです。台風が近づいているので、「嵐の前の静けさ」か。

 なお、ISOやシャッタースピードをマニュアル設定できない僕のカメラでは、手ぶれがひどいので、日暮里駅渡り廊下の窓枠に置いて撮りました。アングルが最悪ですが、しかたありません。

 ニュースで、アメリカ産牛肉の輸入解禁が決まったと言っていました。これはひょっとするとものすごく古いニュースなのかもしれません。とりあえず、政府は、全ての箱に危険部位が入っているか否かをチェックするようです。
 でも、そんなこと出来るんでしょうか。背骨くらい分かり易いものなら良いですが、組織の一部や、飛沫なんかがくっついていたら…?だいたい、そんなことをしないと食べられないもの自体がおかしい。火を通しても消えない(消えにくい)毒だそうです。なぜ無理してまで、そんな危険性を消費者がつかまされなければならないのか。
 それに、『プリオン説はほんとうか』(講談社 福岡伸一著)には、プリオン(タンパク質)が病原体であるという説には矛盾があると書かれていました。臓器(脳や唾液腺、脾臓)などに存在する異常プリオンタンパク量と、その「感染」した臓器の感染性(感染した臓器を別のマウスに与えた時の感染性)の間に必ずしも量的な相関がなかったことはその最たるものでした。それに、僕が思うのは、「プリオンが病原体」であることを証明した話をまだ聞いたことがないのはなぜかということ。いつか、北海道の試験場で成功したというニュースがありましたがソースが見つからず、僕以外にもぼやいている人のブログを見たことがあります。
 しかし、ここでプリオンが病原体であるかはこの際脇に置いて、今アメリカの牛肉を輸入する必要はありません。ニュースで、「一人暮らしには安いのはありがたいけど、不安が残る」との若い女性の言葉は印象的です。変異型CJD(クロイツフェルトヤコブ病)になってからでは遅いのです。経済格差と負担増で苦しむ国民に、安売り商戦でアメリカ牛肉を売りつけるのはやめてほしい。

 帰り、「無印良品」で、裾上げを頼んでいたズボンを受け取りに行きました。なんだか、昨日もいた店員さんが「少々お待ちください」の後、バタバタと慌てていましたが、僕は椅子に座らせてもらって、『さとこ先生のホームルーム』を読んでいました。子どものこと考えている時、少し優しくなれる気がします。

天気:晴れ時々くもり(茨城県取手市・東京都板橋区)

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ダイヤモンドブレイン

2006年8月6日

※記録:8月7日

 朝、悪夢で目覚めました。なんだか、犯罪に巻き込まれるような、変な夢でした。そういえば、5日の朝も気持ちの悪い夢でした。2日連続、恐怖と不安を伴う夢。…
 6日は午前中、掃除や洗濯。11時半頃、東京に本を買いに行きました。
 買った本は

  1. 「さとこ先生のホームルーム2 ―空のにおい―」 おにつかるみ 著
  2. 「チルドレンな日本」 香山リカ 佐高信 著
  3. 「サプリメントとの賢いつきあい方」 藤竿伊知郎 著

 帰りは代々木駅から新宿駅まで歩きました。せいぜい800mくらいらしい。とりあえず、都会の景色でも写真に納めておきました。しかし、都会の喧噪は辛いし、暑い。

 ところで、今日の話題は「頭が固い」について。何人かの人から、「お前は頭が固い」といわれることがあります。別の言い方をする人で、「考えすぎ」という人もいます。これが同じ事象を表す言葉なのかどうか知りません。そして、それをいう人たちに共通するのは、何を見てこういうことを言うのかが解らないことです。聞いても言葉を濁されたりすることが多く、いつも困惑します。
 僕の定義で「頭が固い」は、「融通が利かない」「1から10までいわないと理解してもらえない」など。しかし、場合によってそれらは、「頭が固い」と僕に言った人にさえも当てはまるほど普通にあります。
 ただ、僕には、人に対する許容量が狭い時がよくあります。これは「頭が固い」ことかもしれません。それは変えたいところ。あと、「頭が固い」といわれて気が付いたことですが、人を勝手に分析し、評価・判断している時があることです。「生兵法は怪我のもと」とはよくいいます。そういう勝手な判断が人を傷つけたり怒らせたりすることを忘れないようにしたい。他には、「~であるべき」「~でなければならない」的な言動。あとは思いつくとしたら、理屈で攻めること。これは失敗を恐れていることの裏返しでもあります。
 …と、いろいろ考えていても、僕に「頭が固い」と言っていた人たちの本音を知る術はありません。いつか、解る時が来るかもしれないし、ずっと解らないかも知れない。それから、人に「バカだ」とかいう時と同じように、自分はどうなのかを考えていわなければならない言葉であることにも気が付きました。(親の受け売り)
 こうして1日以上経ってもまだ頭の中で切り替えが出来ていないこと自体「頭が固い」のかも知れません。

 帰る前に、取手駅の「無印良品」で買い物。高級感のある店です。店員さんたちの応対も良い意味で親切です。ちょっとした会話で人間味がふと現れるところなど、本当に興味深い。7月22日のauショップ然り、8月3日の守谷のデニーズ然り。こういう人たちを見ていると、「ニート」なんぞどこの世界の出来事かと思ってしまいます。本当に、「努力していない、あるいはする気がない」人って、いるのかなぁ。いや、見かけはそうでも、本当に、努力していないのかなぁ。…自分がイライラしている時はそんなこと考える余裕はないけど、落ち着いて考えてみると、脳みその中を虫がうごめくような違和感があります。

天気:晴れ(茨城県取手市・東京都渋谷区・新宿区)

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今日は猛暑

2006年8月5日

 先週の日曜は驚くほど涼しかったのですが、今日は、驚くほど暑い日でした。日中は8月15日から行く御嶽山の段取りを組んでいましたが、家にいるのがもったいないほどの快晴で、ついに16時、飛び出しました。

 家を出て自転車で5分ほど。青柳鹿島神社。普通の一軒家ほどの広さもない小さな神社があります。ここで、いっぱい提灯をかけてお祭りの準備。暑いせいか、準備中のかき氷屋さんに子連れのお母さんが。

 7月30日に走った青柳と小文間の水田地帯。たった一週間で、出穂している水田の面積はぐっと広がりました。全体的に深緑だった水田(左)が、黄緑色(右)がかっています。

 この時期、あまり花は咲いていないのですが、少しはあります。先週もあった、ナツズイセン(ヒガンバナ科)の他に、ヒメジオンその他キク科、タデ科、など。畑地に植えられていた黄色の花は何か解りませんが、チョウが蜜を吸いに来ていました。傾いた太陽に映えていたので撮りましたが、カメラの限界を感じました。マニュアルフォーカスが必要です。何とかしよう。

 また先週も行った豊田堰。小貝川の水はこの雨のない一週間でずいぶん減ったようです。しかし、相変わらず、この堰(橋)の上は涼しい。

 豊田堰を越えると、竜ヶ崎市です。ここもまた水田地帯。耕作放棄地は意外と少なく、畦で区切られた水田が幾何学的に美しい。

 先週も見た蓮の池、小貝川の古流か、それとも、農業用の水路なのか判りません。地図を見ても名前がありません。ただ、小貝川から上流側で取水し、三日月状に湾曲した後、蓮の池に行き着きます。その後はまたコンクリートの水路。
 この蓮の池、まだ花芽は出ていません。また後で来るとしよう。しかし、何本か架かっている橋から見るこの穏やかな池の水面はいいものです。ブラックバス釣りに戯れる釣り人たちも平和です。

 この橋の中に、沖須橋という橋が架かっています。そこでUターン。しばらく走ると、古流から独立した池があります。ため池なのか。夏の夕日が反射して、何か幻想的。

 ここまで来ると、急に気温が下がった気がします。日が暮れ始め、少しだけ過ごしやすくなります。さっき散歩始め際に出くわした青柳鹿島神社のお祭り、もう出来上がっています。地元の人が座り込んでだべり始めています。子どもたちも親を連れて、かき氷の前に並びます。おいらみたいに腹こわすなよー!…ケーヨーD2に入った時、腹が痛くなりました。昼のスパゲッティペペロンチーノに一味唐辛子を入れすぎたせいかもしれません。失敗。

 そういえば、昨日、原爆症認定を求める裁判があって、41人の方が勝訴したそうですね。至って当たり前のことなのですが、26万人もいる被爆者の中でまだ2000人(0.8%)という少なさ。この前は大阪地裁の決定を国(自民党を中心とした政治家たち個人の集まり)が控訴したというし、何という国でしょうか。放射能の毒性を過小評価し、原爆(核兵器)の格を少しでも下げたくないという思惑からそのような行為に走るのでしょうか。
 何はともあれ、ちょうど原水爆禁止世界大会が開かれ、広島と長崎の被爆者とそれを支える良心的な人たちが核廃絶に向けて運動しています。タイムリーな「勝利」ではありませんか。

天気:快晴(茨城県取手市・竜ヶ崎市・北相馬郡藤代町)

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かぼちゃの種は赤?緑?

2006年8月4日

 重い心のまま毎日を過ごしていると、たまには息抜きをしたくなります。僕にとって、化学(科学)は重い心を軽くする素材でもあります。僕は仕事の中で、面白い発見をすることがあります。その大部分は、化学変化に伴う色の変化です。

 上のはイチジクの例ですが、イチジクをすり潰して、アセトンという有機溶媒を混ぜて振ると、一度あの鮮やかな赤色は消えます。このごちゃ混ぜになった物の中には、イチジクの果肉、イチジクの果汁、そしてアセトンが入っています。果肉をろ過して取り除き、水(果汁)よりも沸点の低い(蒸発しやすい)アセトンを蒸発させてしまうと、茶色っぽい、変な色の液体(果汁のなれの果て)が残ります。イチジクの色はどこへ行ったのか。不思議に思いながら、次に食塩を入れます。すると、イチジクの鮮やかな赤色が復活します。…しかし、この理由はよく解りません。確かに、塩を入れると油に溶けやすい成分が水に溶けにくくなります。このことと関係があるのかないのか。考察すればきりがないのでここではやめておきます。
 このほかにも、イチゴ、ブドウなど、紫や赤系の色の付いたものは同じことが起こります。ただ、トマトやニンジンなどでは起こりません。イチゴやイチジク、ブドウなどの色は、アントシアニンといわれる物質群です。一方、トマトやニンジンなどの色は、カロテノイドといわれる物質群です。前者は水に、後者は油に溶けやすい性質があります。それを考えているだけでもおもしろい。
 で、今日は意味不明なものを見てしまいました。それが、下の写真です。

 これらは両方ともかぼちゃの種の抽出液が入った同じフラスコです。何も変なことしていません。アセトンを入れ、酢酸エチルやヘキサンなどの別の有機溶媒で抽出した液です。もちろん、これらの有機溶媒自体の色は、無色透明です。見る角度を変えるとこんなに色が変わります。だから、かぼちゃの種は赤色?緑色?なんて思ってしまいます。これは金属イオンと有機化合物の影響でしょうか。光を当てる角度が変わると色が変わるなんて…。

天気:快晴(東京都板橋区・豊島区・茨城県取手市)

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神経摩耗

2006年8月3日

 いったい何の夢を見たんだろう…。朝、起きあがるのも辛いほど強いうつ症状。とにかく、恐ろしい孤独感と不安感で、一度起きあがったあと、また倒れ込んでしまいました。しかし、これで欠勤すれば、要するに一日一人でいなければならず、うつの劇症化は火を見るよりも明らかです。とりあえず起きて、出勤。
 結果的にはこれでよかったようです。日暮里のそば屋のおばちゃんと話をして、職場でも話をして、久しぶりの抽出作業もして、病院にも行って(定期検診)、特定疾患の診断書ももらって…。なんだかんだいって、僕はそれでも一人ではないようです。ありがたい。

 夜、茨城県から原水爆禁止世界大会(広島県)に参加する人々を見送りました。今年は若い人が多いらしい。参加者は去年よりも少ないのに、若い人の人数は去年を上回っていたようです。
 ところで、うつの方はだいぶ良くなっていたとはいえ、不安感はそれでもあります。人と会うのが少し恐い状態。理屈ではなく。

 しかし、これも結果的には、正の方向に働きました。見送るのは茨城県南部の人だけの予定でしたが、水戸や県北の仲間たちもすでにバスに乗っていました。見送る方も僕以外に何人もいた上、バスに乗っていた何人かもわざわざ降りて話しかけてきてくれ、元気も空振りせずに済みました。見送る側なのに、みんなに救われた気がします。

 この後、守谷市のデニーズでちょっと懇談脱線が多く、むしろだべっていたという見方もできますが、内容的には、人生に関わることです。前からずっと悩んでいたこととはいえ、もう話は相当進んでいます。決意の時は、カウントダウンを始めています。頭が痛い。自分の能力、要求、生活、健康、精神、色んなことを考えます。しかし、そうして悩む僕を、あくまで寛容に受けとめてもらえることは、唯一の救いです。あとは、僕の決意。これまでを選ぶか、これからを選ぶか。その責任を負う自身があるか。この8月中をめどにけじめをつけなければなりません。やっぱり頭が痛い。

 どこかで温かく見てくれている人がいる。僕はこれをすぐに忘れてしまいます。それでいつも孤独感と不安感に苛まれながら、精神力→体力の順に貶めています。目の前で自分を否定するようなことがあればそれで目の前が真っ暗。いいのか、それで?そんな不安定で、生きていけるのか?…愛せる人を心の中に持つ。みんな、どうやってそんな大業を成し遂げる?悩めば悩むほど、消耗するばかりです。まだ、僕には辛い。それから、孤独感と不安感で自棄になった自分が恨めしい。くやしい…。

天気:晴れ(東京都板橋区・千葉県松戸市・我孫子市・茨城県取手市・守谷市)

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食事開き

2006年8月2日

 職場の引っ越し作業が殆ど終わりました(まだ終わっていない)。やっとご飯を炊いてみそ汁を作ることくらいが出来るようになり、それに野菜炒めを加えて、食事開き。昨日まで外食で堪え忍んでいましたが、これからは作ることが出来そう。

 野菜炒めにはシシトウが多く入っていますが、なぜか、殆どが辛味の強いシシトウでした。辛さに弱い人が絶叫。なぜ辛いのとそうでないのがあるのだろう…?
 しかし、まだ完全な職場の復帰には時間がかかりそう。明日、新職場で初めて業務を再開しますが、農薬の抽出を鈍行でやるまで。まだまだ先は長い。

 昨日の夜は24時帰宅でした。それから、教育基本法のことを長々と書いてしまったので、今日は睡眠不足。しかし、ビラづくりの校正が残っている…。

天気:くもり時々晴れ(東京都板橋区・茨城県取手市)

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教育基本法

2006年8月1日

 今日は昨日よりも寒い。最高気温が25℃くらいだったのでしょうか。湿度も低く、とても8月とは思えません。気分はまだ5月。あるいは10月?天気図を見ても、やはり西側に太平洋高気圧が偏っており、東日本には北からの高気圧(オホーツク海?)が張り出しています。今日は夜、土浦で会議をしましたが、寒い!

 ところで、今日も情勢に逃げます。写真を撮れなかったから。
 今日は教育基本法。勉強なんて全然してなくて、まともにその中身を読んだこともありません。しかし、一度聞いて印象に残っている文言があります。

教育基本法(現行)前文

 われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。

 「民主的で文化的な国家」がどんな国かは別として、「世界の平和と人類の福祉に貢献」という理想の実現を「教育の力にまつべき」と述べていることです。
 日本国憲法は確かに大きな理想を掲げていて、それが本当に実現すれば、多くの苦しい人たちが救われることは間違いありません。しかし、必ずしもその理想を実現しようと努力する人が、この日本国で多数を占めているわけではありません。社会の中で政治や社会に対する不満は確実に盛り上がってきていますが、けっこうそれは自分のことだけを考えている場合も見受けられます。その好例として、「介護サービスは充実させてほしいが、(財源のために)公務員は減らせ」とか、「子どもが荒れているのは教師が無能だからだ」とか。同じ境遇に置かれている者同士が、つぶし合いをしています。一般的に「分断」といわれる状態です。
 しかし、そんな狭い考えは、ちょっと考えれば転換できます。公務員を減らさなくても財源は確保できるし、教師は文部科学省の学習指導要領を押しつけられていることを理解すれば十把一絡げに「無能」呼ばわりも出来ません。科学的にものを見る力とでも言いましょうか。
 ちなみに、教育基本法では同じ前文で次のように述べられています。

教育基本法前文 続き

 われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに…

 「真理(と平和)を希求する」とは、「科学的にものを見る」という考えにとても似ていると思います。
 そして、教育の役目は、「科学的なものの見方」を養うことだけではありません。社会的構造として不可欠な要因がもう一つあります。

教育基本法第1条

 教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。

第2条

 教育の目的は、あらゆる機会に、あらゆる場所において実現されなければならない。この目的を達成するためには、学問の自由を尊重し、実際生活に即し、自発的精神を養い、自他の敬愛と協力によつて、文化の創造と発展に貢献するように努めなければならない。

 これは、本当の意味での自尊心(自己肯定感)を養うことであり、それはさらに人に対する思いやりや助け合いの心にもつながります。
 …こういったことを、国と社会全体に義務として負わせているのが、教育基本法です。こういうスタンスが日本国憲法の完全実施を可能にするのだと僕は考えています。
 しかし、今の日本は教育基本法が実現しているでしょうか。一部の「科学」も「自主性」も「自尊心」もない人たちの浅はかな解釈で、法の実現が妨げられているだけでなく、改定までされようとしています。
 で、そもそも、改定が必要かどうか、です。自・民・公などの「与党」勢力がこぞって想定している案には、「自主自」・「正義と責任」・「郷土愛」などが書かれています。僕のさっきの理屈から言うと、わざわざ書く必要はありません。あくまでも自主性や正義感、責任感、郷土愛などは条件があっての結果です。そういう感情を育む教育基盤を整えないで、希望的に感情を押しつけるやり方は、絶対に破綻します。僕は、今でも自主的に動ける部分もあるし、改定を唱える人たちよりは正義感もあるし、自分のやっていることにも一定責任感を持っています。そして、住んでいる取手市は好きです。
7月30日の取手の風景を見てください

 今の日本が不況やら「ニート」やら詐欺・偽装やらで荒廃しているのは、詰まるところ国民一人一人のせいではありません。もちろん、教育基本法の不備でもありません。一部の既得権益にからんだ権力者が「真理と平和を希求する」人間を教育しなかったからであり、「個人の価値をたっと」ばなかったからであります。都合の悪い事実は隠蔽(BSEなど)、社会的弱者は切り捨て(鉄道やバスなどの廃線など)。好例ではありませんか?

天気:くもり(東京都板橋区・茨城県取手市・土浦市)

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