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Archive for 2006年9月

久しぶりの料理

2006年9月30日

 一日何もせず過ごした今日は、さすがにもったいないと思い、夜、約2ヶ月ぶりのまともな料理をしました。ハンバーグを作りました。
 具材は以下の通り。

  • 豚挽肉(国産)
  • 鶏挽肉(国産だったと思う)
  • 玉葱(この前の稲刈り交流会でもらったもの)
  • パン粉(かなり前から冷凍してあったもの)
  • 鶏卵(今日が賞味期限のもの)
  • 牛乳(低温殺菌:66℃30分)
  • 胡椒少々(いつ買ったか判らない)
  • 塩(ボリビアの桃色の塩)
  • 菜種油(福島県産圧搾法)

 ボリビアの塩、桃色しています。鉄イオンが添加されているのか、マンガンなどの天然微量(必須)金属が含まれているのか解りません。
 余談ですが、塩の微量必須金属(ミネラル)については勉強したことあります。ものによっては意外と必要量を摂取できるようです。
←画像をクリック!
 で、これに加えて、野菜のサラダを作りました。ニンジン(セリ科)・インゲン(マメ科)・オクラ(アオイ科)を茹でました。その結果、出来上がったのが下。

 ハンバーグを焼くこつ。よくこねておくことは大前提ですが、丸めるときに空気を抜き、表面をなめらかにし、最初は強火で焼くことです。僕は焼くとき、フライパン用のふたをします。黒こげにならない程度に強火でないと、フライパンに焦げ付きます。
 こねて丸めたハンバーグが隙間の多いものだと、その隙間から焼いている最中に肉汁が出ていきます。こうなると、固くパサパサになるだけでなく、火の通りが悪くなるオプションも付いてきます。肉汁を保つことで、中でその汁が沸騰し、火の通りをよくします。これはみ~んな経験談です。
 隙間をなくすには、ツナギ(パン粉・たまご・牛乳)と念入りにこねることが決め手…なのかな。
 ハンバーグを丸めるときはサラダ油を使うことが多いのですが、水でも充分です。
 …さて、この8個のハンバーグ、いったいいつまで食べ続けなきゃならんのだ?僕は、一食に1個が限界です。

天気:くもり時々晴れ(茨城県取手市)

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価値観の相互理解とは

2006年9月29日

 今日も新聞記事。どうしても、自分に引き寄せて考えたい問題だったので、取り上げようと思いました。
 実はこれは、日本共産党の野党外交の一つでもある、韓国とパキスタンを党代表団が訪れたお話です。いつもはこういう記事は読みませんが、今回は特別でした。
 韓国やパキスタン、特に、イスラム教のパキスタンは僕ら日本人とはまったく文化が違います。それでもイスラム教は一つの宗教だからまだ理解は出来ます。でも、パキスタンは核兵器を持っています。日本共産党は核兵器の廃絶を先だって推し進める政党です。本来なら、批判してしかるべきと思ってしまいます。
 ところが、そうではないんです。以下の志位委員長の発言に僕は目を剥きました。

C委員長の発言

 わたしは、唯一の被爆国の政党の代表として率直に要請します。パキスタンがどういう論理で核兵器保有にいたったかについては認識しています。また私は、パキスタンに一方的に核兵器を放棄せよと求めているわけでもありません。(中略)私が求めているのは、(中略)核兵器廃絶に向けて、核保有国として、また核保有国だからこそ出来るイニシアチブ(註:先導)を、パキスタン政府が発揮してほしいということです。(以後略、引用終わり)

『しんぶん赤旗』2006年9月29日付

 …この微妙な意味を理解できるだろうか。「核を持っているパキスタンは敵」だとするか、「核を持っているけど仲間か敵かという問題とは別」とするか。ちょっとニュアンスが違うかもしれません。
 しかしどうあれ、この共産党の態度、パキスタンの首脳たちにはかなり好感を持って受けとめてもらえたそうです。もちろん、核廃絶に向けて努力をするという意味で。
 きっと、訳も聞かないで、理由も勉強しないで、ただ頑なに「核を廃棄しろ」なんて言った日には、この外交はそこで終了していたし、恐らく、核廃絶に向けて努力する態度なんか望むべくもなかったでしょう。

 …僕がこの記事のことをここに書いた理由は、その態度に学んで自分も行動してこそ、人とのつながりが豊かになると思えたからです。人間として、人間の集団としての関わりを教えられました。今の僕のレベルは、「価値観の相互理解」なんて段階ではありません。
 かくいう共産党も、野党外交が始まったのが1999年頃。まだ7年。最初は「当たって砕けろ」的なものもあったそうです。いったい、その壁を打ち破ったものは何だったのか。ううむ…。詰まるところはそこですね。
 ともあれ、良いものを読ませてもらいました。志位委員長は、アジア政党会議や韓国・パキスタン訪問でだいぶ楽しそうな感じでしたし、その生の感情の伝わる文章自体、幸福度の高いものでした。おっと、ある意味、癒し系か。

天気:くもり(東京都板橋区・茨城県取手市)

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急いては事をし損じる

2006年9月28日

 今日・明日は主任が出張です。つまり、人手不足です。GC(ガスクロマトグラフ)の設定にミスがあり、動いていませんでした。どうも、昨日の夜は主任も慌てていたようです。主任とはいつも言い合うものですが、「慌ててもしょうがない」と。急いては事をし損じるということですか。でも、大した「損」でもありません。改めてやればすむことですから。

 夕方から病院なので、効率よく作業。手伝ってもらった部分もありましたが、17時過ぎに終了し、GCの設定をし、病院。…今の状況が治るわけじゃないのに、行くことに疑問を感じつつ。
 …GCは、淡々とクロマトグラムを打ち続けています。

 何か農薬出てる?

 そういえば、今朝の新聞で、横須賀基地のアメリカの原子力潜水艦から放射性元素の60Co(コバルト)と58Coが漏れているという記事がありました。それぞれの放射能は、1.2ミリベクレル(mBq)、2.1ミリベクレル。でも、この放射能が人体や環境にどんな影響があるのかは解りません。例えば、この横須賀の海にどのくらい浸かっていたら、何グレイ(Gy)の放射線を浴びることになるのか。(ベクレルは放射能の強さを、グレイは放射線の総量を表すそうです)また、出てくる放射線の種類によっても、害は違うと…。
 …原潜の存在自体が問題だということはさておき、この放射能漏れにどういう意味があるのかが解りません。不完全燃焼。放射能や放射線の勉強にはなったけど。

 そういえば、今日、精神科の血液検査で、ビリルビンがちょっと高い(1.28mg/dl・正常値0.2~1.0mg/dl)といわれました。でも、他の肝機能の指標となるGPT(グルタミン酸ピルビン酸トランスアミナーゼ)やGOT(略)、γ-GTPなどの値は正常で、腎機能のクレアチニンも正常。何だろう。
 ちょっと過去のデータを見たら、2003年の10月に1.7mg/dlというのがあり、2002年12月には0.4mg/dlというのがありました。去年の11月で1.01、今年の1月で0.94…。だいぶ変動しやすいもののようです。
 なお、このビリルビンは黄疸(おうだん)で有名な黄色の物質です。

天気:晴れのちくもり(茨城県取手市・東京都板橋区・千葉県松戸市)

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心の整理

2006年9月27日

 ここ二ヶ月ほど、いろんな事件が波状攻撃を仕掛けてきました。そのたびに、うつになる僕。弱い。
 もう克服できたと思っていたのに、自分の知識を鼻にかけるようなプライドにショックだった。何事にも中途半端な自分がショックだった。色んなことに気力が湧かない自分が腹立たしい。とにかく、欠陥だらけの我。いつか我に問うた、「何が君の幸せ」…まだ解らない。子どもの幸せなんか、願っているだけじゃ実現しない。僕の好きでずっと学んできた化学も、本来は学問であり、文化であり、技術(手段)です。でも、自己満足だということにうすうす感づいてきた。「幸せ」の形にしたければ、人とのかかわりが必要。解っていても、そのかかわりを作れないのが僕の弱点。どこでその力を落としてきたんだろうか、どこに置き去りにしてきたんだろうか。
 でも、うわべだけのかかわりならいらない。それに「幸せ」を形にする展望は見いだせないから。妥協、迎合、僕には縁遠い関係です。いやだ。少しですが、全力で心をぶつけたときに還ってくる相手の心の熱さを知っています。それとも、そんなものを求めるから「かかわりが作れない?」でも、それならいらないなぁ。…これだけは譲れない。
 ある人は「カタい」というでしょうね。ならば、僕はその人に言い返します。「あなたもカタいよ」と。そういう人は僕に自分の考えを押しつけてくるんです。自分の考えが正しいと思って。自分で自分の「カタさ」を知らないで。
 正直、生きづらい。何度も、悪い奴になりたい、コンピュータになりたい、なんて思ったことがあります。でも、そんなのは幻想でしかないのです。「耳をふさいでも聞こえる声」が、「心を閉ざしても溢れる愛」が(『折り鶴』より)、心を独善と傲慢に支配されているとき、僕を身悶えさせます。この繰り返し。
 しかし、その度に色んなことに感性がとぎすまされて、楽しいことが多いのも確か。苦しいことをたくさん感じる気持ちは、楽しいことも感じられる感性を意味するのだと、信じたい。
 今日もカメラを持って行くのを忘れました。顎にマジックインキが写ったり、電車が急停車したり、実験で籾殻を剥いたりしたんですが、撮れませんでした。明日はちゃんと持って行こう。

天気:くもり時々雨、雷を伴って強く降る。夜は晴れ(茨城県取手市・東京都板橋区)

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愛とか幸せとか

2006年9月26日

 今朝の寝覚めも極めて不良。睡眠不足のせいではありません。起きる気がとにかくしない。仕事が嫌なわけでもないのに、なぜ…。
 とにかく動く。常磐線に乗り、日暮里駅のそば屋。かけそばの回数券がここ1週間以上欠品。店のおばちゃんらのせいではないのに、おばちゃんらが謝らなければならない不条理。馬鹿げています。
 そばを食べて山手線。いきなり具合が悪くなりました。田端駅で降り、外の空気をしばらく吸って、駒込駅まで歩きました。一応、落ち着いたようで、30分遅れの出勤。途中、色の抜けた、いや、白い品種のヒガンバナ(ヒガンバナ科)がありました。

 しかし、心の幸福度は最悪のまま。結局、また昼過ぎに具合が悪くなり、早退。情けなくて涙が出ました。

 今日という今日は、我の中途半端さに辟易した。愛とか幸せを云々しておきながら、机上の空論だった。しばらく語りたくない。
 本当なら、どこかに旅にでも出て、静養したい。けども、時間も情勢も待ってはくれません。そう、東京や大阪の、改札の、人の流れのように。旅に出る金も時間も条件もない。静養する時間なんて、なんだそれは?

 外は昼から雨が強くなってきました。明日がピークのもよう。…雨でも槍でも降ってくれ。

天気:くもりのち雨、雷を伴って強く降る(茨城県取手市・東京都板橋区・北区)

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強さという弱さ

2006年9月25日

 今朝はまず病院に行きました。潰瘍性大腸炎の。やや脱肛気味で、胃部不快感もある。そのことを医者に告げましたが、脱肛はステロイド座薬、胃部不快感は原因不明(またこれだ…)。最近、機能性胃腸症(Functional Dispepcia)という病気(症候群?)が言われているようですが、これは原因も治療薬もなし。治験に参加する人を募っているようなのですが、潰瘍性大腸炎の僕は参加できません。プリンペラン(塩酸メトクロプラミド製剤)で対症療法するしかない。

 今日の血圧。


 僕には、潰瘍性大腸炎よりも重い難病があります。それが今日の題名。ひょっとすると、潰瘍性大腸炎と軌を一にするのかもしれない。
 僕は、人に悩みを相談することを、ことのほか恐れていることに、改めて気付かされました。現象として、人に悩みを話しているとき、異常なくらい怯えています。
 怯えてるって、何に?傷つく言葉で返されることに?…違う。相手が疲れることに。相手が嫌な思いをすることに。
 …僕が逆に相談を受けた時どうだろう。僕はそれも恐い。相手に寄りかかられるような気がして。
 つまり、僕は「相談」っていうものを「依存」だと思いこんでるのね。相手に依存しない力は、相手に依存させない力でもあるんだろうな。本当に悩みを相談できて、強く生きられる人は、その力があるんだろうな。
 ずっと、化学なり政治なり、ついには愛情や自己肯定感まで「勉強」して、ひたすら「自給自足」を目指してきた。しかしその勉強は単なる逃げでした。「自給自足」は、人との関わりを持つことからの逃げでした。
 でも、たまに会う人には相談できるじゃないか。…いいえ。あくまでも、たまにです。しかも、心のどこかで怯えている。後ろめたさを感じるくらいなら「自給自足しちゃえ」となる。
 …その果ては、独善、傲慢。さらに人を遠ざける、悪魔のサイクル。幸運にも、何人かの人は僕を支えてくれようと、心を開いてくれています。でも、開けないのは誰よりも僕自身。どこまでも愚かではないか。
 けれども、誰に相談できる?いや、相談できる人がいるというだけでも違うんだろうな。実際に相談するかどうかは別。いてくれるだけで励まされる感性が必要(8月31日付写真館)。それが自立なのかもしれません。それでも、出来れば近くにいてほしい。そう、家族のような人が。パートナー(結婚相手)が、娘や息子が。友達や恋人でもいいのかもしれない。
 さっき、ある人との電話で、すごくひどいことを言ってしまった。「君自身、俺のことを少しでも支えることが出来るのか。」…愚問だね。それに「出来るよ。」なんて答えられるはずがないじゃないか。ひいき目に見ても信頼している言葉ではない。
 出口は見えない。仲間が見えない。目の前に像としてあっても、見えてない。いったい、愛だの平和だの幸せだの言ってきた今までは何だったんだろう。
 …最近、泣き言が多いな。疲れてしまった。

天気:晴れのちくもり(茨城県取手市・千葉県我孫子市・東京都板橋区)

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1年分の格闘

2006年9月24日

 今日は誰とも話をしないまま一日が終わりました。しかし、久しぶりに部屋の片づけをしました。
 まず、家中に散らばっているプリント類、読まなくなった雑誌類、古新聞を片付けます。そのあと、狭い机を補うために机の横に棚設置。植物図鑑や辞書類と地図、写真バックアップ用のCDなどを手の届くところにおくため。今まで床に散らかすしかなかったそれらが一掃され、快適、快適。
 ところで、今日片付けた古新聞、凄い量でした。

 写真は今日の日付の新聞のようですが、実は、一年前の今日。2005年9月4日付の新聞が最も古かったのですが、1年も放置していたとは、自分ながら驚きです。

 一年分の古新聞と必要ない雑誌類。意外とヒモで結ぶとコンパクト。しかし、捨てられるのは来月7日。その日は用があるため、捨てられるかどうかもわかりません…。
 我の物ぐさぶりを垣間見た一日。この片付け、すごく疲れました。

天気:晴れ時々くもり(茨城県取手市)

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言葉の壁より心の壁

2006年9月23日

 稲刈り交流会とキューバから来た農業技術者・研究者たちとの交流会と、一日で二連荘(れんちゃん)。本当はキューバの方は行く予定ではありませんでしたが、急遽。

 東茨城郡小川町で稲刈り交流会。現場に着いたら既に始まっていました。…というか、半分以上終わっていました。鎌を持って刈り取ったのは何分の一くらいだろう?

 そうそう、田んぼには除草剤が撒かれますが、少しは雑草が残っていて、きれいな花を咲かせます。本来は水田の強害雑草なのですが…。コナギ(ミズアオイ科)です。

 稲刈り交流会に来る人の中には、本職もいます。麦わら帽子に鎌。同じ恰好していますね。

 刈り取ったあとは脱穀。この作業の時に、稲ワラの粉塵を浴びることで、稲作農家として鍛えられます(ウソです)。しかし、そう思いたくなるくらい、この粉塵攻撃はたまりません。顔がチクチク痛い…。
 脱穀した籾米の中に、黒いぽんぽん菓子みたいになったものがあります(写真をクリックして拡大可能)。参加していた8歳の女の子が、「虫が中にいるんだよ。」といいます。僕にはカビか病気に見えますが、どうなのでしょうか。

 このあとメシを食べながら交流会。しかし、僕は腹を下し、体調悪化。最悪です。交流どころではありませんでした。


 夜からはキューバの人たちとの交流会。体調悪化は仲間の運転する車の中で少し休むとましになり、参加。財布の中が残り500円になるも、ギリギリセーフ。
 キューバの公用語はスペイン語!英語も通じません。大変だぁ…!!
 …と思ったら、意外とそうでもありません。キューバの人たちは身体全体で感情を表現していました。少し音楽をならせば歌い、踊る。放っといたら1時間でも2時間でも踊っていたかもしれません。

 その踊りの時、触発された日本人側も突入。雪だるま式に店内(会場)の舞台がダンサー(?)でいっぱいに。Before(左)、After(右)。

 僕はのんびり食事。キューバ料理のようです。クミンやある種の唐辛子がよく利いていて、うまい。ただ、ちょっと塩辛い。店の味付けなのかな。

 農業を営んでいるキューバの人が、何の変哲もない唐辛子の破片を配り始めました。それをひとかけら。辛さに強いはずの僕ですが、水を飲んでもまだ治まらない辛さにヒドい目に。きっと料理に使えば美味しいんだろうけど。
 言葉が通じないから大変かと思えば、そんなことはないのですね。言葉の壁より心の壁の方がよほど高い。腹は下していたけど心の壁はそれほど高くなかった今日は、それなりに交流できたと思います。

 最後にキューバの代表が言います。「日本は素晴らしい国だ、日本人はいい人だ」と。複雑な気持ちの僕。毎日通勤などで見る「日本人」。テレビで見る「日本人」。いいところばかりじゃないなぁ、正直。政治だって、どうだろう。平気で他人の思想を、権力で支配しようとするのもいる。僕は、その言葉に恥じないよういろんな意味で行動しよう、と思いました。

 帰りは家まで取手の知り合いの方に家まで送ってもらいました。僕の家の前に着いてからもまだ1時間40分ほど話していたなぁ。一言で述べれば「人生難しいなぁ、でも楽しいなぁ。」的なのですが、そんなに単純でもない。人の心相手の僕らの活動は、本性が問われるだけに、非常に難しいのかもしれません。「言葉の壁より心の壁」…そんなことの意味が解ってきそうです。

天気:くもり時々晴れ(茨城県取手市・土浦市・東茨城郡小川町・稲敷郡阿見町)

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虐待を裁いた当たり前の判決

2006年9月22日

 今日、まず一つ大失敗。抗不安薬のアルプラゾラム製剤を携帯用のピルケース(実はイチゴジャムの瓶)から切らしてしまい、日暮里のそば屋さんでそれに気が付きました。塩化ビニル(PVCと書いてある!:Polyvinylchloride)の固いカラだけがかさばって、憎々しい…。

 今日はニュースの話に逃げます。職場での感動がちょっと少なかった…
 昨日、東京地裁で、「君が代」強制は違憲という判決がでました。新聞の一面。僕にとっては、それは当たり前のこと。被告の東京の教育委員会側は控訴すると腹をくくっているようですが、ここで「違憲判決」が出たことを歴史から消すことは出来ません。
 僕がこの判決を当たり前と思う理由。憲法19条(思想・良心の自由)に対する違憲だから

……
………
 ではありません。人に、力で、ものごとを強制すること自体が間違っているからです。そういえば、タイで軍事クーデターがありました。あれは武。そして、軍事政権側は(反対)集会の禁止や報道規制をしようとしています。これは権(強権)。
 「己の欲せざるところは人に施す事勿れ」という言葉(孔子だっけ?)も、僕にとっては当たり前です。
 それゆえに、君が代を歌いたい人に、「君が代を絶対に歌うな」と、権力や武力で強制したら、それもまた批判されるべきです。そういう理念が人々の良心に残っているから、憲法19条は守られてきた…と僕は思います。
 そして、この「君が代」強制が許せないのは、その対象が(権力的に)弱い立場の子どもたちや教師たちであること。教育委員会などの公権力から学校・教師へ、そして子どもたちへ。ヘタすれば、力ですべてが統率できてしまいます。
 かくして、この「君が代」強制問題では、東京都が実際にそれをやった。345人もの教師を、「君が代を歌わせない」等の理由で、“権力”で“処分”したのです。その処分された教師たちの周りには、その権力に従った、いや、従わされた教師がいて、更にそのもとにたくさんの子どもたちがいる。そして、子どもたちの中には歌いたい子も歌いたくない子も両方いる。歌いたくない子は内申書と教師の苦悩に潰される。子どもだって人の苦痛はわかる。だから、先生が辛いのを喜ぶはずがない。自分の将来だって守らなければならない。…だとしたら…?
 これは政治権力の子どもや大人に対する虐待を裁いた判決です。それゆえに、この「違憲判決」は当たり前だと僕は考えます。

 しかし、公権力が強制力を持たなければそれでいいことになるでしょうか。否。教師の生徒・児童に対する体罰は延々と続きますし、僕もその「教師たち」に相当傷つけられました。教育では体罰が当たり前と言う人もまだいます(多数かな、ひょっとして…)。体罰はなくてもその周りに言葉の暴力もあります。
 …どうか、これを当たり前だと思わないでください。そして、これを「教師と生徒」または「政治と教育現場」という狭い枠にとどめないでください。親と子、社長と社員、男性と女性、はたまた、友達同士でも…、いろんなところにそういう「強制」は見え隠れするものですから。「三人行えば則ちそこに師あり」(韓愈?)という言葉。「師の説」という故事に出てきたと思います。性別とか職業、更には年齢の高低さえも関係ありません。そのまま直訳すれば、お互いが師に(教えを施す人に)なるということ。そこには“力”なんていりません。あえていうなら、知がいるのかな。これはまだ目指しているところだけど、僕の「当たり前」です。

天気:くもり(茨城県取手市・東京都板橋区)

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独占

2006年9月21日

 題名を見ると、おどろおどろしいけども、僕が独占していたのは今日職場に来たガスクロマトグラフ質量分析計(GC/MS:Gas Chromatograph Mass Spectrum)のセッティングに来たサービスマンです。ホントはみんなで聞いていたんですが、そんな気分がするだけ。
 出勤してすぐ、サービスマンからGC/MSの説明が始まりました。GC/MSによる農薬の定性分析。まずは機械の説明からです。ガスクロマトグラフと質量分析計は、別の機械で、質量分析計の方を見ました。中はカラフルな配線がたくさんあります。もちろん、電子工学の知識がない僕に、その仕組みを理解することは出来ません。

 質量分析計(MS)は、装置の中を真空にします。その真空になる部分を見せてもらいました。

 レンズ1・2・3・4…、フィラメント(上の右の写真のクルクルしたところ)…、えーっと、あとなんだっけ。
 ガスクロマトグラフの装置にはキャピラリーカラムという細い管があります。それに流すヘリウムガスを装置まで運ぶための配管を工事するサービスマン。このサービスマンの方、機械を触るのが相当好きだそうです。メシを食べることも忘れて、17時までずっとやりっぱなし。僕らもずっとそれに付き合って(?)いました。ガスクロ首ったけの労働者。家では家族思いの父親だろうか。

 昼飯を食いっぱぐれたけど、話はおもしろい。他の職場のメンバーはどう思ってたかはわからないけど…。でも、なんだかんだいって、下の写真のように、GC/MSは動いています。感謝、感謝。

 8月31日の分析展の時と同じだけど、楽しそうに働いている人はかっこいい。職業は関係ありません(戦争のための武器作るとかは別)。昨日の夜も、目の前のスーパーで、新米のアルバイトの子に丁寧に教育していた女性がいました。微笑ましい。どこの労働現場でもそうあってほしいと願います。

天気:くもり時々晴れ(茨城県取手市・東京都板橋区)

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これな~んだ?

2006年9月20日

 今日はカメラを持って行くのを忘れたことを、凄く後悔しました。初めて見る光景を撮るチャンスだったのに。この写真は携帯電話のカメラで撮ったものです。
 山で撮る風景や人の写真をマクロの世界とすれば、今日見たのはミクロの世界。そうだった。ミクロの世界にもおもしろいところはあるんだった。
 この写真、顕微鏡で、腐った野菜の破片を見たものです。写っているすべての生き物(?)が決まって真ん中で割れています。僕にはこれが何かは判りませんが、どこかで見たことのある形ではあります。
 …とりあえず、見ているだけでおもしろい。右の写真は、その生き物から“芽”がでています。出芽。ひょっとしたら、これは胞子なのかもしれませんね。クリックして拡大してみてください。


 …と、今日、唯一喜んでいた時間帯はこの時だけだったかもしれません。仕事をすることで気を紛らせていましたが、どうにもこうにも。
 でもやっぱり、気が付いたことがあります。こうしてむやみに苦しいとき、心にアンテナが立つのだなぁ、と。
 高遠菜穂子さんの本『愛してるってどういうの?』(文芸社)を今日も読んでいました。子ども相手にボランティア活動をやっていた(いる)人。本を読んでいるとそんな高遠さんも凄く悩みながら生きてきているのが解る。一生懸命、生き方を探している人だというのが解る。子どもを愛したいと思う彼女でも、自分の負の面を見て嫌いになることがあるようです。
 ついでに、彼女の本の中で、ちょっと印象的なこと。中国のチベット侵攻のことを述べていると思われる部分があります。そこで彼女は何と述べているか。

『愛してるってどういうの?』文芸社 高遠菜穂子著 pp159

 (略)…チベット関連の本を読みあさっていると具合が悪くなってくる。想像しがたい刑務所の実態、拷問の惨(むご)さ…。
 でも、中国を嫌いになりたくないと思うんだよね。…(中略)…そうしている人も、そうさせている人も、きっと気づくと思うから。…(中略)…平和は作るものではなく、その意味を知ることなのだと気づけば、平和はきっと来ると思うんだよね。(引用終)

 彼女は、決して中国を糾弾しているわけではないですが、この問題に対しては、非常に厳しく見ていると思います。自分の生き方を探している彼女だからこそ…かな?もっと言えば、自分を見つめる苦労を知っているから…かな?平和の意味を知るということは…?
 …とまあ、勝手な解釈。

 他にも、千葉テレビ再放送の『キテレツ大百科』。今日は野菜のこと。ある老人が、不格好だが非常に美味しい野菜を作っています。その野菜を「八百八」営む熊田家一家が食べるシーンがあります。

ブタゴリラ(かおる)の父親の発言より

「昔はな、こういう野菜が当たり前だったんだ。最近の客は形の良し悪しばかりを気にしやがってな。うまくても不格好だとさっぱり売れやしねぇ。だから作る方も味より形を大事にするようになっちまったい。」

 念のため、17年前のアニメです。今でも十分言えることだと思います。サクセスストーリーではあるけど、メッセージ性があります。…今のテレビアニメではしばらくそういうのを見ていないなぁ。

 ん?子どもの泣き声が聞こえます。向かいの家で「ママ~ッ!!!」と叫ぶ小さな男の子。どんな寂しいことがあったのか解りません。でも何で外に向かって泣き叫んでいるんだろう。
 子ども…か。いやはやなんとも。

天気:晴れ時々くもり(茨城県取手市・東京都板橋区)

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連休明け、また休み

2006年9月19日

 このところ、朝起きてすぐ、身体がだるいのと、胸が苦しいのが気になる。今日は休んで病院に行きました。まさに駆け込むように。
 …しかし、行っても何か特別病名を指摘されるわけでもなし。血液検査をせかしてしてもらいましたが、どうなるのか判りません。
 今まで、病院に行って病名をはっきり言われたことは一度もありません。潰瘍性大腸炎を診断されたのも、血便始まって診察を始めてから、半年以上経った後のことでした。十二指腸のびらんの時の入院も、恐らく吐き気の本体は、びらんではないと思います。僕の身体が特異体質なのか、それとも僕の医者を見る目がないのか。…。

 それよりも、うつ状態がひどい。食事作りをはじめとして、無気力が続きます。イライラや不安が絶えません。医者からは軽めの抗うつ剤を勧められましたが、今既に使っているソラナックス(アルプラゾラム)とペンタサ(メサラジン:5-アミノサリチル酸)に加えてまた薬が増えるのかと思うと気の方が進みません。とりあえず、先送り。


 病院を出ると、アスファルトの隙間から生えているクズ(マメ科)が花を咲かせて迎えてくれました。一度このクズの根を掘り返して、葛餅を作ってみたい。

 またファストフードを利用。病気ですね、本当に。で、そこにある紙コップにあったマークを撮ってみました。
 この図から連想するのはリサイクルですが、オレンジジュースやシェイクの汚れが付いたこのコップをどうやってリサイクルするんでしょうか。このコップには「紙」と「プラ」のマークが付いていますが、コップの紙とふた(ポリエチレン)のプラスチックです。おかしいなと思ったのは二つ。

  1. ふた(ポリエチレン)とコップ(紙)とを分別して捨てられていない
  2. ふたの「プラ」マークは、一般人にはポリエチレンであることが区別できない

 2に関して、以前はプラスチックのマークは素材ごとに番号があり、下にPE(ポリエチレン)とかPP(ポリプロピレン)とかPS(ポリスチレン)とか書いてありました。今も書いてあるものもあります。
 で、この「紙」マーク、何のために付けているんでしょう。「プラ」マークも、コンビニなんかに行けばパンの袋なんかには全部付いていますが、リサイクルされている様子はありません。ましてや分別にいたっては皆無。
 日本容器包装リサイクル協会というところのページには、『容器包装リサイクル法』についてこんなページがありましたが、このマークがリサイクルの推進に役立っている実感はあまりありません(このマーク自体は『容器包装リサイクル法』ではなく、『資源有効利用促進法(リサイクル法)』に基づいたものだそうです[紙製容器包装リサイクル推進協議会のページ])。パンの袋なんて、クリームが付いていたらどうリサイクルするか。わざわざ袋を洗って…という状態にもならなさそう。第一、洗うところなんか、コンビニには無い。また、紙とプラスチックの複合素材なんてのもありますが(ポリプロピレンのフィルムに紙が張っているような)、リサイクルは辛そう。結局は固形燃料(RDF:Refuse Derived Fuel)行きか。コスト的にもゴミ問題の観点からもかなり難があるとも聞くし、第一それって、リサイクルというのかなぁ。

 …と、ちょっと考えてみたりもしましたが、気は晴れません。しばらく、このうつ状態は続くのか。

天気:くもり時々晴れ、夕方一時雨(茨城県取手市・千葉県松戸市)

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七転八起?七転八倒?

2006年9月18日

 今日は敬老の日。いつの間にかラッキーマンデーになってしまった日です。しかし、今日は出勤日よりも早いくらいの時刻に家を出なければなりません。あるところである集会。
 取手駅から仲間と一緒に現地に向かいました。
 結果からいうと、僕としては、もう二度とこれ系の集会には行きたくないということです。ちょっというと、ある「運動」の交流です。
 実はこの交流会は初めての取り組みだったらしく、実行委員側はだいぶ苦労したと思います。その実行委員には僕の知っている人も多く、理由を申し上げた上で退席することを言うととても残念そうでした。…実行委員のせいではないんだけどね…。

 今日はちょっと泣き言。たまには良いよね。
 このところ、逆風が強すぎる。毎日日記を書いていて、楽しかったと言える日が一時期よりずっと減った気がします。心の中を、荒れ狂うように憎しみや怒りの感情が動き回ります。そのたびに、自分を落ち着けなくてはなりません。でも、もう疲れた。ちょっと休みたい。…といっても時間は待ってくれないんですね。未来永劫、人は働かねばならない。かといって、自分のほしいものは手に入りそうにない。
 今ほしいもの?それは…

  • いつでも相談できる仲間(近くに)
  • 愛を受けとってくれる人、あるいはくれる人(近くに)
  • 団結する心
  • 自分の考えを理解してくれる人(近くに)

 …結局「人」なんですね。僕にとっては八ヶ岳に登ろうが、化学実験をしようが手に入らない、幻です。諦めてしまったら終わりだけど、最近諦めたくなるときが多い。高遠菜穂子さんのように、テメェで探せって?それを言っちゃおしまいだな。
 いつになったら、どうやったら、近くの理解者に出会えるのか。というか、何故殆どの人はそれを実現できるのか、僕にはわからない。いや、何故僕にそれが出来ないのかがそもそもわからない。そして、この世にその参考になる意見があるとも思えない。
 …眠くなってきた。今日は、脳がもう考えたくないと言っています。終わり。

天気:くもり時々雨(茨城県取手市・東京都渋谷区・千葉県柏市)

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雨とともに生きる文化?

2006年9月17日

 朝から曇りがちの天気。今日は石岡市でお祭りがありました。9月16・17・18日と3日間。お祭り好きの仲間たちとGo!
 取手駅から電車に揺られること50分ほど。石岡駅は黒山の人だかり!子どもから大人まで、男も女もそれはそれは…。
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 昼間から屋台が大繁盛。笑顔で人形を渡す店員と受け取る子ども。僕は、フラ○スロールというところでまずいクレープを食わされました。げっそり。
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 幌獅子(ほろしし?)が動き始めました。パレードです。先頭には提灯(ちょうちん)や錫杖(しゃくじょう)を持った子どもたちが。なんだか元気のない表情をしているけど大丈夫かな。
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 次から次へと、獅子が現れます。うおぉ~!スゲェ…!!…と思ってたら、みんな、僕の目の前で疲れて後ろとバトンタッチ。大変な演出なんですね。
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 このイベントは子どもがとにかく大活躍です。綱を引っ張る少年の姿は得意気です。ピースサインなんかしたりして。更に、疲れて乳母車で前後になって眠りこける子どもたちもたくさんいます。寝ながらでも参加しているんだなぁと思ってしまう自分が不思議。
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 風変わりな獅子もいます。紫色。
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 御輿が一台。これは今日はお休みだそうであまり目立ちません。
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 ちょっと建物の踊り場の手すりに登って、黒山の人だかりを撮ってみました。屋台の屋根がカラフルできれい。
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 御輿が通り過ぎると夜の大きな山車(だし)のパレードまでお休み。屋台を見ながら買い食いをし、くいだおれました。僕は屋台の雰囲気を撮ってみたりして。バナナチョコのタール色素やウケねらいの風船など。
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 御輿のある總社宮(なんて読むのか解りません)まで行きました。御輿は今日はやっぱりお休み。三日も出っぱなしじゃ神様だって労働基準法違反を訴えたいよね?
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 ところで、そのちょっと前にこんな場所が。市議会議員か何かの候補者っぽいけど、まったく人はいません。誰がこんな祭りで政治的なことをやってるんでしょうか。その横には現職っぽい自民党の議員みたいな人の写真があったりも。↓

 18時に近くなると大きな山車が動き出します。子どもたちの表情は「何かよくわからないわ」と言う感じ。
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 山車は確かに大きい。獅子が舞っていた昼間と比べると、信号機くらいの高さまであるし。中に人が乗って、踊ったり尺八を吹いたり。祭りは佳境に入ってきました。黒山の人だかりも拍車がかかります。
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 雨が降ってきました。道行く人は傘を差し、山車はみんな“カッパ”を着ています。大変だなぁ。傘を持っていない少年たちはずぶぬれ。他人の傘から垂れる滴でも更に濡れて辛そう…。
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 山車の中できつねが踊っています。僕にはこの踊りの意味を理解することが出来ませんが、いいものだと思います。なんだか、この伝統的な雰囲気だけでもおもしろい気がするし。この山車は石岡市の青木町という地区の山車のようです。地区で一つの山車かぁ…。 ←画像をクリックして拡大
 結局雨に降られましたが、なかなか良い祭りでした。もうちょっと意味が解るようになればなぁ…。民俗学?

天気:くもりのち一時雨(茨城県取手市・石岡市)

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ウロウロと…

2006年9月16日

 まず、昨日、サーバが落ちたようです。アップロードしていた15日付のログが飛んでいました。17日の午前1時過ぎ、再アップしました。

 今日はあるイベントへのお誘いのため、訪問活動をしました。といっても、訪問先の人は誰一人会えず、置き手紙して来るにとどまりました。あ、いや、ふたりだけ会えた人はいたかな。MさんとEさん。ふたりとも変なおもしろい人です。
 殆どの人に会えなくて、損したとか失敗したとか、マイナス思考ではなく、仲間と一緒に訪問して、いろんな話もして、寄り道もして、楽しみました。
 4月16日に、取手市内の歴史探訪をしたときにも行った、高源寺の大きな木を見て、Eさん宅で脳年齢を測るゲームみたいなのをやりました。前者の木はケヤキだそうです。

 脳年齢を測るゲーム。やってみたら以下の写真のとおりでした。

 ゲームにも嫌われたか。
 この後、土浦まで行って話し合いをする予定でした。…が、ただの交流会。意外と日頃の思いの丈を交流することが出来ました。プチ合宿みたい。
 ちょっと今日は疲れているので、その内容に関わることは、いつかそれとなく話をしようかな。もちろん、予告なし。
 とりあえず、今日はここまで。

天気:晴れのちくもり(茨城県取手市・土浦市・牛久市)

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食の乱れは心の乱れ

2006年9月15日

 この頃、食事がとても単調になっています。ここに書くのが恥ずかしいくらいの食事しかできていません。職場にいるときの昼は、野菜たっぷりの、至って健康な食事が出来ますが、休日や朝晩は食べるものは4種類のうちどれか。一つは日暮里駅のソバですが、後の3つはとても言えたものではありません。
 食べているものについて、今自分の食べているものがどういう風に作られているかはだいたい想像できます。しかし、料理する気力や食べることに対する意欲が落ちていて、それどころではありません。自分のためだけに食事を作るなんて、とてもやっていられません…。ましてや、作れば大量になる一品を一週間も食べ続けるなんて。
 でも、こんな食生活を続けていたら、いつか体か心が崩壊する。たぶん、後者が先に潰れる。今日、職場最寄りの駅前のあるジャンクフード屋を出た後、思いました。こんなの、食事ではない。ただ消化管を通過させているだけだ!
 日記の過去ログを見ると、3月頃から書いていたようですが、心の浮き沈みが激しくなってきています。特に、7月以降、更にひどい。精神科の医師に聞いても「鬱病ではない」という。では、この無力感は何でしょうか。
 …八ヶ岳に行ったのがかなり前のような気がします。

 ところで、今、高遠菜穂子氏が書いた『愛してるって、どういうの?』(文芸社)を読んでいます。まだ真ん中くらいですが、彼女のボランティアの仕方は、医療行為などの「仕事」ではない、別のもののようです。核心部分までまだ読み進んでいないのではっきり言えないのですが、「愛すること」がその核にあるのかと思いました。…とはいえ、「愛すること」っていっても、曖昧すぎて、解るようで解りません。あくまで、感覚的に解るようなものです。…と、なんだかんだ言って、そんな活動している(いた)高遠氏がちょっと羨ましく思ってみたりします。
 今、僕の目の前に子どもがいたら、愛してあげられるかなぁ?逆に、今僕の目の前に、僕に悪態をつく人のことを、愛してあげられるかなぁ?…後者は望むべくもないね、今の僕では。で、何より、自分を愛してやれるかなぁ?という疑問はもはや愚問。出来ていればこんなに異常な食生活はしないでしょう。
 …また自分を愛することが解らなくなりました。自己肯定感が。
 今日はカメラを持って行くのを忘れてしまいました。

天気:くもり時々晴れ(東京都板橋区・茨城県取手市)

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夢のある話

2006年9月14日

 今日、職場は一人少ない3人。いつもの通り、農薬の添加回収試験です。そんなさなか、大きな機械が職場に運ばれてきました。ガスクロマトグラフ質量分析計(GC/MS)。構造を予測することが出来るため、従来のアルカリ熱イオン型検出器や電子捕獲型検出器などより、分析がしやすいようです。僕もまだGC/MSを直に触ったことや勉強したことはありません(大学院の時は使わせてもらえなかった!)ので、あまり適当なことは言えませんが。でも、今までよりも良い精度で農薬分析が出来ます。どうなるかわからないけど、楽しみでもあります。

 ふと、実験台の上の有機溶媒の瓶に目がいくと、下の写真のようになっていました。

 この二つの瓶の中にあるのは、ヘキサン(左)と酢酸エチル(右)です。なんだか仲良く抱き合っているように見えませんか。セットで使うことの多い試薬で、納得?


 ところで、1月頃から、千葉テレビで「キテレツ大百科」が再放送されています。もう15年以上前のアニメで、とても懐かしい。ちょくちょくビデオに撮って、見ています。
 今日は先週と今週のを見ました。
 先週のは、主人公の「発明品」で、四次元の世界に消えた友だち(将来の嫁さん?)を助けに行く物語です。未知の世界に、装備もなく飛び込んでいくところが子どもらしいのですが、大長編『ドラえもん』のような結束力というか、仲間を思う気持ちというか、そういうのが伝わってきます。う~ん、ありがちなシーンなのですが、僕はそういうのが好きです。
 しかし、このアニメがリアルタイムで流されていた頃は僕は子どもで、キテレツの道具で切り裂いて作った四次元の入口が恐くて恐くて、とても印象が強い。断片的だけど、その裂け目と岩に強烈に吸い寄せられる磁石はよく覚えていました。
 17年も前のアニメですが、四次元の世界をどう描いていたのでしょうか。アニメを見ると、岩と枯れ木と洞窟の世界です。住人は影みたいな存在で、魔法みたいなものを使います。異次元を見たことのある人はいませんし、そうなるのかな。とにかく、神秘的で、不気味な世界。そんな風に作者は描いていたのでしょうか。
 今週のは、「航時機」というタイムマシンで20年前のブラジル(今2006年だから40年前くらい)に黄金のチョウを採りに行く話。密猟者と戦う場面にも出会いながら、見事チョウを捕まえることが出来たのですが、そのチョウは「今」(1989年)には絶滅しています。「今」に帰る前になって、「絶滅することになっていたとしても、この自然の中で生きた方がいい」という少年たち。最初はお金に目がくらんでいた少年たちは、逃がすことを決め、帰りました。帰り際に少年の一人が、「キテレツ、公害のない発明品を作ってくれよな」と括って終わります。
 公害のない発明品、か。純粋な少年たちの気持ちは今の社会に届いているかな。ん?あの頃の少年って、今の僕らの世代か。自分にも出来ること、何だろうなぁ。
 今日職場にやってきたあのGC/MSで、「発明」は出来なくても、「公害」はなくせなくても、人が安心できる仕事が出来ればいいな。とにかく、化学物質を測れる機械だから、活かしていきたい。

 なんだか無理やりな気もするけど、通ずるものもあるような。ともあれ、いい夢は見て生きていきたい。

天気:雨のちくもり(茨城県取手市・東京都板橋区)

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本当の学問を

2006年9月13日

 今朝、身体がだるいので熱を測りました。すると、35.9℃。かなり低い。いつものように、起きるのがだるい朝です。
 今日の仕事はひさびさに普通の残留農薬抽出。アセトンやヘキサンを使って、わっしゃわっしゃと。昨日までのように、雑念が頭から離れません。自分の学問観や哲学、生き方、そういうものが問われている問題のように思えて、フラスコ振る手も脊髄反射。

 今朝、行きの電車で新聞を読んでいたのですが、そこに、ちょうどタイムリーに太平洋戦争や侵略の歴史についての連載が始まっていました。その語り主は日本共産党のかつての委員長、不破哲三さん。彼は公文書(日本の)をかなり念入りに調査した上で話をします。
 いやー!凄いなー!!
 …なんて思うことはありません。僕がここで思ったのは、僕自身にそれだけの念の入った研究熱心さがないということ。無茶苦茶というくらい、悔しい。公文書を何種類も集めて、日本政府と関東軍が満州事変(柳条湖事件)を起こした過程などを説明していました。僕にもこれだけの根気があれば…。自分のふがいなさを身にしみました。
 それと、不破さんはなぜここまで色んなことを研究しようと思ったんだろう。そっちの方がむしろ気になる。不破さんだけではない。BSEのプリオン説に疑問を投げかけた福岡伸一博士や、オカルトなどの問題を研究する(それだけじゃないけど)安斎郁郎さん、他にも、いっぱいいっぱい勉強して活躍している人がいる。みんななぜそこまでその問題に傾倒できるんですか?どうしたらそこまで打ち込めるようになるんですか?
 …でも、去年のことでした。前にも一回書いたことがありますが、健康食品系のマルチまがい商法について相談を受けたとき、調べたなぁ。寝なきゃいけないのに。原水爆禁止世界大会の報告集を作るとき、原爆症認定のことや放射能(放射線)のこと調べたなぁ。1999年に一時期、食品添加物の冊子を作ったときは1ヶ月、必死で資料探してがんばったなぁ。…あの時と今と、僕に何が違うの?
 ううん、解ってる。当時何があって、いま何がないか。励ましてくれる仲間や発表できる(成果を出せる)場が当時はあった。でも、今は一人で本を読んでいるだけであり、その成果を還元できる状況にもない。やっぱり僕に欠けているのは“人とのつながり”です。正確には、“人とつながっているという認識”かな。
 今まで、「独立するために何でも一人で出来るように」とがんばった。でも、それは、独立とはほど遠い、いや、正反対の「孤独」になるためのものでしかなかった。そして、結局今、それは破綻している。でも、どうすればいいか解りません。相手がいることですから。

天気:くもり時々雨(茨城県取手市・東京都板橋区)

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何が君の幸せ?

2006年9月12日

 雑念が頭から離れません。ある掲示板で、やることなすこと、攻撃的。相手ももちろん売り言葉に買い言葉でそうなっていますが、もはや僕にもそれをコントロールする余力がなくなっていることを意味します。いったい俺は何をやっているんだ?
 僕はなぜ学ぶんだろう。高校生活が始まった頃、化学・生物学系の話が好きで講談社のブルーバックスを読み始め、大学に入ってから興味の幅が広がり、食品や環境はもちろん、経済学や教育などの本も読みました。単純に、目から鱗、興味心をくすぐられるといったような感動を純粋に楽しんでいたはず。それは間違いなく僕の幸せだった。いや、もちろん、それは今も変わらない。
 でも、ちょっと違う。いつしか僕は学問を「武力」としても使うようになった。そう、相手を論破したり、自分を正当化したりするためにも。最近、中国や戦争に関係する本を読むことが多いのは、一面では「ある掲示板」で問題意識が湧いたこととも言えますが、もう一面は、相手を攻撃しようという邪心。それは間違いありません。太平洋戦争の本を読んでいた時、本当にその悲惨さを感じながら読んだか?…結局、その掲示板に学んだことを引用することはありませんでした。学問を「武力」に使いたくないという気持ちがまだ残っていたのかも知れません。それでも、理屈でたくさん攻撃した。消せない汚点です。
 これはまた別のホームページで、僕がほぼ毎日見ているところに、お父さんと次女のやり取りを書いたものがありました。かなり前に見たものですが。
 その中で、その次女が言っていたことが胸を突き刺します。
「私は学びたいから学ぶんだ」
 その次女というKちゃん、僕よりも干支は一回り以上年下の子です。とてもいい考え方だと、今になって思います。
 学びたいから学ぶ。そして、もっと発展して、共に前に進むために学ぶ。言うのは簡単でも、やるとなると意外と精神力が問われます。
 「科学的」って、そんなに甘いもんじゃないな。だって、本などで知識を得ているだけでも、論理的に考える力があるだけでも駄目なんだから。大事なのは、その科学に目的がつくこと。今の僕にはその目的(自分を含める誰かの幸せとか)が見えません。「何が君の幸せ?」と問われても、答えは雲の向こう。曇ってて暗い森の登山道を、虚ろな表情で重い荷物を背負って歩いているような気分です。そんな時、山の頂上にある感動的な光景を想像することも、雲の向こうにある太陽や雲海を夢見ることも出来ません。
 仲間を感じられる人間になりたい。

天気:くもり時々雨(茨城県取手市・東京都板橋区)

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山に行ってきたのに

2006年9月11日

※記録:9月12日

 八ヶ岳は本当に良い天気でした。日焼けがキツいくらい。11日の雨が時々降る天気とは大違いです。
 八ヶ岳でリフレッシュしてきた…はずでしたが、心は依然として晴れません。僕の今要求している幸せは?旅ではなくもっと別のものか。いつもイライラして、「ふうたろう絵日記」の副題に掲げた「子どもたちの幸せを願っていたい」も泣いているような気がする。
 唯一、仕事をしている時、その気が紛れます。仕事への依存の一歩手前。しかし、通勤の疲労は同じくして蓄積します。
 …11日の仕事は20時近くまでかかりました。最近残業があまり辛くなくなっています。やっぱり依存か。
 帰ってからは八ヶ岳に行っていた時の日記を書きました。10日の分はキーを打ちながら寝ていました。…なぜそこまでする?

天気:くもり一時雨(茨城県取手市・東京都板橋区)

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