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食の乱れは心の乱れ

2006年9月15日

 この頃、食事がとても単調になっています。ここに書くのが恥ずかしいくらいの食事しかできていません。職場にいるときの昼は、野菜たっぷりの、至って健康な食事が出来ますが、休日や朝晩は食べるものは4種類のうちどれか。一つは日暮里駅のソバですが、後の3つはとても言えたものではありません。
 食べているものについて、今自分の食べているものがどういう風に作られているかはだいたい想像できます。しかし、料理する気力や食べることに対する意欲が落ちていて、それどころではありません。自分のためだけに食事を作るなんて、とてもやっていられません…。ましてや、作れば大量になる一品を一週間も食べ続けるなんて。
 でも、こんな食生活を続けていたら、いつか体か心が崩壊する。たぶん、後者が先に潰れる。今日、職場最寄りの駅前のあるジャンクフード屋を出た後、思いました。こんなの、食事ではない。ただ消化管を通過させているだけだ!
 日記の過去ログを見ると、3月頃から書いていたようですが、心の浮き沈みが激しくなってきています。特に、7月以降、更にひどい。精神科の医師に聞いても「鬱病ではない」という。では、この無力感は何でしょうか。
 …八ヶ岳に行ったのがかなり前のような気がします。

 ところで、今、高遠菜穂子氏が書いた『愛してるって、どういうの?』(文芸社)を読んでいます。まだ真ん中くらいですが、彼女のボランティアの仕方は、医療行為などの「仕事」ではない、別のもののようです。核心部分までまだ読み進んでいないのではっきり言えないのですが、「愛すること」がその核にあるのかと思いました。…とはいえ、「愛すること」っていっても、曖昧すぎて、解るようで解りません。あくまで、感覚的に解るようなものです。…と、なんだかんだ言って、そんな活動している(いた)高遠氏がちょっと羨ましく思ってみたりします。
 今、僕の目の前に子どもがいたら、愛してあげられるかなぁ?逆に、今僕の目の前に、僕に悪態をつく人のことを、愛してあげられるかなぁ?…後者は望むべくもないね、今の僕では。で、何より、自分を愛してやれるかなぁ?という疑問はもはや愚問。出来ていればこんなに異常な食生活はしないでしょう。
 …また自分を愛することが解らなくなりました。自己肯定感が。
 今日はカメラを持って行くのを忘れてしまいました。

天気:くもり時々晴れ(東京都板橋区・茨城県取手市)

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