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虐待を裁いた当たり前の判決

2006年9月22日

 今日、まず一つ大失敗。抗不安薬のアルプラゾラム製剤を携帯用のピルケース(実はイチゴジャムの瓶)から切らしてしまい、日暮里のそば屋さんでそれに気が付きました。塩化ビニル(PVCと書いてある!:Polyvinylchloride)の固いカラだけがかさばって、憎々しい…。

 今日はニュースの話に逃げます。職場での感動がちょっと少なかった…
 昨日、東京地裁で、「君が代」強制は違憲という判決がでました。新聞の一面。僕にとっては、それは当たり前のこと。被告の東京の教育委員会側は控訴すると腹をくくっているようですが、ここで「違憲判決」が出たことを歴史から消すことは出来ません。
 僕がこの判決を当たり前と思う理由。憲法19条(思想・良心の自由)に対する違憲だから

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 ではありません。人に、力で、ものごとを強制すること自体が間違っているからです。そういえば、タイで軍事クーデターがありました。あれは武。そして、軍事政権側は(反対)集会の禁止や報道規制をしようとしています。これは権(強権)。
 「己の欲せざるところは人に施す事勿れ」という言葉(孔子だっけ?)も、僕にとっては当たり前です。
 それゆえに、君が代を歌いたい人に、「君が代を絶対に歌うな」と、権力や武力で強制したら、それもまた批判されるべきです。そういう理念が人々の良心に残っているから、憲法19条は守られてきた…と僕は思います。
 そして、この「君が代」強制が許せないのは、その対象が(権力的に)弱い立場の子どもたちや教師たちであること。教育委員会などの公権力から学校・教師へ、そして子どもたちへ。ヘタすれば、力ですべてが統率できてしまいます。
 かくして、この「君が代」強制問題では、東京都が実際にそれをやった。345人もの教師を、「君が代を歌わせない」等の理由で、“権力”で“処分”したのです。その処分された教師たちの周りには、その権力に従った、いや、従わされた教師がいて、更にそのもとにたくさんの子どもたちがいる。そして、子どもたちの中には歌いたい子も歌いたくない子も両方いる。歌いたくない子は内申書と教師の苦悩に潰される。子どもだって人の苦痛はわかる。だから、先生が辛いのを喜ぶはずがない。自分の将来だって守らなければならない。…だとしたら…?
 これは政治権力の子どもや大人に対する虐待を裁いた判決です。それゆえに、この「違憲判決」は当たり前だと僕は考えます。

 しかし、公権力が強制力を持たなければそれでいいことになるでしょうか。否。教師の生徒・児童に対する体罰は延々と続きますし、僕もその「教師たち」に相当傷つけられました。教育では体罰が当たり前と言う人もまだいます(多数かな、ひょっとして…)。体罰はなくてもその周りに言葉の暴力もあります。
 …どうか、これを当たり前だと思わないでください。そして、これを「教師と生徒」または「政治と教育現場」という狭い枠にとどめないでください。親と子、社長と社員、男性と女性、はたまた、友達同士でも…、いろんなところにそういう「強制」は見え隠れするものですから。「三人行えば則ちそこに師あり」(韓愈?)という言葉。「師の説」という故事に出てきたと思います。性別とか職業、更には年齢の高低さえも関係ありません。そのまま直訳すれば、お互いが師に(教えを施す人に)なるということ。そこには“力”なんていりません。あえていうなら、知がいるのかな。これはまだ目指しているところだけど、僕の「当たり前」です。

天気:くもり(茨城県取手市・東京都板橋区)

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