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強固な哲学を持ちたい

2006年10月11日

 「中途半端な認識は中途半端な行動しか生まない」
 こんなこと、誰が言い始めたんだろう。でも、この頃、凄くそれを感じるようになりました。僕は「判っているけど行動が伴わない」とよく言い訳をします。
 例えば、ファストフード店を安易に使うこと、ちょっと前までは「その意味が解っているかどうかで違う」なんて思っていました。でも、それは「甘え」だった。意味が解った上で、どう行動するかが大事なのに。安さや見た目を求める現状をして、その現状の原因の一つである所得の低さや国民負担増、食品の選択幅の狭さなどの改善のために何か行動したのか。あるいは自分の心にゆとりがないなら、ゆとりが持てるように努力をしたのか。こんなところで、日記を書いているだけでは改善なんて出来ない。どこかでその行動を形にする場面が必要です。
 そこで、一昨日の言葉が返ってきます。「仲間との深い人間関係」から生まれる組織力。一昨日まで参加していた「学習交流集会」はそれを身につけるところではなかったか。放棄しかけた「仲間との深い人間関係」。危うく生きる力を失うところでした。
 さぁ、これからどうする!!?

(2006年2月22日撮影)
 ところで、通勤で関東鉄道バスを使っていて思うことがあります。当たり前ですが、運転手さんは毎日、便ごとにも変わります。僕はいつも運転手さんに「お願いします」と言って乗り込みますが、その時の反応がみんな違う。「はい」という人から「ありがとうございます」という人、あるいは返事すらしない人もいます。凄く丁寧な運転手さんから無表情の運転手さん。最初は、返事もしない、表情もやる気ないような運転手さんに、「何じゃこいつは~!!」なんて思っていました。でも、いつの頃からか、あまり気にならないというか、「どうしたんだろうなぁ。」と思うようになりました。今では、その無表情で返事のない運転手さんに「返事してもらえたらいいなぁ~」なんてことを思ったりもします。記憶が正しければ、別の運転手さんで返事をしてくれるようになった人もいたような…。
 考えてもみたら、毎朝、早くから運転して遅くまでやっているのです。それだけでもご苦労様です。感謝の気持ちさえあれば、別に返事してもらえなくてもいいや。そんな風に思えたりもする。…のかな?

天気:くもり(茨城県取手市・東京都板橋区・豊島区)

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プラス思考で生きよう

2006年10月10日

 あの大惨事の9日が明けた10日の朝。いっそ疲れは取れていたような気さえします。8日の観光で「うらり漁港」(三崎港)で買った岩のりを付けてご飯を食べながら考え事。塩辛かった。
 行きの電車では谷川岳の地図。今週末行く予定ですが…。

 今日から仕事は恐ろしく忙しくなります。これから、野菜などに加えて、米を何十件もやらないといけなくなります。分析、追っつかない…。
 などと泣き言を言っていたら、分析センターの職員の名が廃る!がんばるぞ!!

 右の写真は、残留農薬抽出用の「塩」です。食塩の塩。

 実は、今日からこの『ふうたろう絵日記』は新しくなりました。ほんの少し、アクセスが早くなり、スパム対策もある程度出来るようになりました。コメント機能を復活。スパムと荒らしだけは嫌だな。

 今日は21時まで職場にいました。なんだか帰るのが億劫だったりして。それに、『ふうたろう絵日記』のメンテナンスを職場でやっていたのもあります。GC/MSや普通のGCを触っていたりもしていました。でもちょっとだらだらしすぎたかな。
 昨日の、「仲間が認識できない」という話。実は昨日から今日にかけて、何人かの人が心配と激励のメールをくれました。それに、仕事を一緒にやる人だっている。『ふうたろう絵日記』のメンテナンスを手伝ってくれる主任だっている。身体の具合を気遣ってくれる所長だっています。これでも、「仲間はいない」?
 あと、怒るのやめる努力をしよう。人のこともっとおおらかに見る努力をしよう。何言われても、何やられても、一呼吸置く努力をしよう。そしたら、昨日みたいな悲しい事件を起こさなくてすむかもしれない。
 最後に、気を遣ってくれているみんな、ありがとう。

天気:晴れ(茨城県取手市・東京都板橋区)

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気がつけば茨城

2006年10月9日

 今日も快晴。朝は寝不足のまま、外を歩いていたような気がします。写真が残っています。

 …出来れば忘れたい。今日一日の悪夢。でも、正面から向き合わねば、相手に対する失礼、昨日の自分に対する失礼を償うことは出来ない!

 今朝も寝不足でした。朝食は殆ど食べられません。さすがに2日目は辛い。
 しかし、そんな食欲不振なんか幸せに思えるくらい、今日は不幸な1日でした。具体的なことは言えない。「仲間を認識できない」と叫び続けている僕は、ついに人に危害を及ぼしてしまった。不信感は疑心暗鬼を生み、人のことを悪くしか見られなくなる。それがたとえどんなに大事な人であっても、です。
 今日は学習交流集会最終日。山田さんという方の講演がありました。何と苦しいことか!まさに、仲間の力について語っています。「仲間の連帯をどう作るのか」という章があります。「仲間を組織する上で大事な考え方」という章もあります。

仲間の連帯をどう作るのか―「連帯の3条件」 講演レジュメより 山田敬男氏

  • 相手の立場を理解する
  • 自己主張できる人間関係を
  • 徹底した議論と民主的合意

 僕はこれに、「乗り越えることは可能なのか、乗り越えられたとしても、持続なんか出来ない。」と思いました。何と後ろ向きなことか。

仲間を組織する上で大事な考え方 同上

 仲間との深い人間関係の中で人間的自立が可能になる

 強烈な一撃。「連帯の条件」を諦めようとした僕は、自立なんか出来ないということです。
 その意気消沈のまま、ジェンダーについての分科会感想発表。首尾よく、時間内に、アドリブも利かせて、ふたり作業をやり遂げました。

天気:快晴(神奈川県三浦市・横須賀市・茨城県土浦市・取手市)

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情景一致

2006年10月8日

※記録:10月9日

 …抜けるような青空。満月が海の道を作った翌朝は、太陽が房総半島までつながる海の道を作りました。大気汚染も環境破壊もない、光の道。

 4時まで起きていて、仲間と語り明かしました。そのツケは大きいぞ。朝ごはん時はべらぼうに気分が悪く、殆どエネルギーを身体に取り込めず。
 食後は『格差社会とジェンダー』の討論です。僕はみんなに問いかけました。「(男女)平等とはなんぞや」と。
 討論には老若男女が15人以上おります。あからさまに年配の方と20代くらいの若年者との語り口は違います。年配の方は具体的に、家事や賃金差別などを取り上げます。一方の若年者(僕以外女性でした!)は、「コミュニケーションとして平等を培う努力が必要」「違いを認め合う」という個人レベルでの関係、加えて、「その条件整備をする社会システムを作ること」を中心的に述べます。
 若い人の経験は年配者のそれに比べて圧倒的に少ない。しかし、どうしたことか、平等を定義する議論、あるいは確立する議論となると、具体的事例だけでは包括しきれない。僕はこの分科会の代表で感想発表をすることになりますが、この討論は次につながるものになったと言えます。

 午後からは三浦半島の観光です。実は、半島観光以外のコースもたくさんあり、学習コースさえあります。しかし、僕はあえて、観光を選びました。「学習交流集会」という名前に反するのではないか。少なくとも、僕はそんな位置付けで観光をやりません。だから、反しません。観光は交流を中心命題とならざるをえませんから、一つの議題に固まった学習会や見学よりも、生身の人間がでます。強いて言うなら、この半島観光コースは、「人間の学習コース」でした。…オーバーかしら。
 現に、このコースを選んだのは正解でした。油壺(あぶらつぼ)、城ヶ島(じょうがしま)、北原白秋の館、地元の魚市場や魚料理を扱う飲食店の集まる三崎港など、各所を回る過程で、自然や生活の風景を見ることは当然です。仲間とのコミュニケーションや、降りかかるトラブルなど、一つ一つが僕には目一杯の感性を使うところです。僕にとっては、何にも勝る最大の「学習コース。」
 油壺の海。散策道は熱帯植物のようなものが覆っています。また、油壺の海は非常に入り組んでおります。リアス式海岸を思わせますが、沈降によってできた地形なのかは解りません。

 油壺からは城ヶ島行きの船に乗る桟橋が架かっています。その傍らで、もう秋だというのに海水と戯れる子どもたち、さっそうと海を横切るヨット。すべてを抱擁する海はきらめいています。

 そうそう、このコースはさっき述べたように、僕一人で感動していたわけではありません。広島のFさん、茨城のMさん、愛知のSさんという同年代や20人ほどの年輩の仲間たち。その感動を共有していました。同じ船の同じ位置から動こうとしない僕ら4人。その船を追いかけるかもめたち。船の向こうで、青い空に突き刺さるようなプロペラの風車。そして深遠なる青い海。仲間との感動の共有は僕の感性をさらに大きくしてくれます。ありがとう。
 船の上はとても揺れます。それでもカメラのシャッターは放さないぞ。かもめと釣り人、その向こうに回る風車。本当は共有する仲間たちの姿も載せたいけど、御法度。

 今一度、城ヶ島に上陸。南側の断崖絶壁から、太平洋と伊豆大島。光と水の粒に霞む小さな島。

 島と言えば、石垣島や天売島などでも猫がいっぱいいたっけ。この城ヶ島でも猫がわが物顔で寝ています。実家の猫を思い出すなぁ。ふてぶてしいあの猫たち。

 城ヶ島には馬の背というところがあるようです。なるほど、馬の背です。低気圧が過ぎ去った2日後ということで、風が強く、波が荒い。馬の背の岩にしぶきを上げます。

 北原白秋館。…閉まっていました。でも、良いんです。仲間がいる旅。何があっても、笑って過ごせるさ。白秋館の真上を通る城ヶ島大橋。これで城ヶ島の住民も生活はしやすくなったでしょう。また、白秋館からは対岸の半島の漁港。遠洋マグロ漁船でしょうか。

 このあと、4人で、三崎港で飲食。結構高いね。

 ふぅ、なんて長い一日だ!ホテルに帰ってきてから、今度はマグロ捌きのショーを付けた青年交流会。写真の職人の真剣な顔を見よ!

 ここまで来て、今日の僕の心。とにかく、感動はいっぱいありました。しかし、本当は、出会いという感動、人の優しさに触れる感動が、今日のどの自然の景色よりも強かった。馬の背で具合が悪くなった時に側にいてくれた人たち。翌日の分科会の感想発表に当たって、一緒に発表の台に立ってくれるFさん、Fさんとはよく本音で話した。間違いなく、嬉しかった。

天気:快晴(神奈川県三浦市)

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答えを見つけるために

2006年10月7日

※記録:10月9日

 取手市の朝はくもり。昨夜の雨で、常磐線はシャットアウト。答えを探す旅。困難を迎えます。
 取手駅を9時33分に出て三崎口に着いたのは12時前。ここは神奈川県三浦市です。畑が広がり、向こうには山脈が続きます。

 何故か首のない地蔵があります。縁起悪い。

 潮風アリーナにて、全国学習交流集会。名前を聞いてもよく解らないだろうから、説明はなし。学習といってもジャンルは学会のように一つではありません。
 オープニングに地元の人が太鼓を披露。子どもから大人まで、力強い。

 講演は不破哲三氏。日本共産党の元委員長ですが、政治家というレベルではありません。研究力でいえば学者です。適当な演説はしません。一つ一つの命題に、必ず具体例を添えて結論を述べます。まるで、何かの論文を耳で読んでいるようです。

 講演のあと、宿舎に向かいます。ここで今度は分科会。僕は『格差社会とジェンダー』と題した分科会に参加します。分科会の説明をすると長くなるので省略します(8日に討論を掲載)。しかし、ホテルのエレベータが混んでいて階段で上がったことが裏目に。会場の13階は中から鍵がかかっており、階段から入ることが出来ません。13階から三浦市の住宅街。

 ところで、このホテル、何か違和感。とても個性的な造りをしています。なんだか、高層住宅のような…?

 個性的といえば、タオル。お願いの文句が口語的というか人間くさいというか。

 8階の部屋から見る東京湾の入口、浦賀水道(うらがすいどう)の夜空と月の光の道です。秋の夜。

 さて、答えは見つかったか。不破哲三さんの講演聴いて、凄いと思っただろう。何が凄いと思った?研究力か?科学性か?…違うだろう。彼をそうせしめる力であろう。聞いてみたい。「何故あなたはその年になってもまだそこまで研究し続けるのか。本当に学問が好きなだけではないでしょう。」と。

天気:くもりのち晴れ(茨城県取手市・神奈川県三浦市)

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農薬の法律の研究会

2006年10月6日

 今日は本当に一日雨が降り続きました。北側の窓が濡れっぱなし、雨で穿ちそう。朝の取手駅西口は改札からバス停まで100メートルくらいの列が出来ています。まだビルの中にいる人は良いけど、外に出ている人は、ずぶぬれじゃすまないぞ。

 つくばの研究施設の会議室で、農薬ポジティブリスト制度に関連する研究交流会がありました。

 質問を何個かしましたが、やはり、法律問題。難しい。みんな理解できているのか、疑問にもなります。それと、質問のやり方をもっと整える努力をしよう。

天気:雨、強く降る(茨城県取手市・牛久市・つくば市)


 ポジティブリスト制については、前にもちょっと聞いたことがあります。食品添加物の規制のように、認められたもの以外は使えない、一歩進んだ(?)制度ではあるのですが、外でばらまくという条件のせいで、目的でないところに、余計な農薬がかかることもあるようです。そのせいで、基準違反となることがあります。これを飛散とかドリフトとかいうそうですが。読み通り、「悲惨」で、今日の交流会もその話は主柱の一つでした。
 加えて、全国的にはあまり量産されない農産物(マイナー作物:交流会では葉ショウガとかハーブ類とかが例に出されていました)に対する、基準値の設定(設定されていないと農薬が使えない!)がもう一つの主柱です。
 「悲惨」な飛散については、風のない時に使う、粒剤を使う、噴射圧をあげるなどの話があったような気がしますが、これは前にも聞いたことがあります。飛散を防ぐためにはそれくらいのことしかできないのかな。
 マイナー作物について。一つ一つ事細かに基準を決めないといけないのか。そもそも、何で、同じ農薬でも作物によって基準値に開きがあるんだろう。場合によっては200倍とか違います。また、基準値を1000倍に緩めた農薬もありますが、この根拠は何だ?…これは僕の質問でした。
 …出席者(演者ではない)の一人の発言によると、作物種によって、農薬の使い方が違うからということ、1000倍に緩めても毒性の問題もないし、農産物の流れもグローバル化していること、だそうです。
 でも、200倍の違いを付けるのか。小松菜では違反でない農薬がホウレンソウでは違反だったという例を見ると、どうも不当に感じる。キュウリなら収穫前日まで使ってよくて、他なら7日前までしか駄目とかもある。これは、農薬使用量を出来るだけ減らそうという考え方から来るのか…。
 でも、まだこれはいい。もっと解らないのは、基準値を1000倍も緩めたこと。毒性を評価する時の安全係数(100)よりも大きい。1000倍じゃなくても、何倍、何十倍にも緩まったものもあります。それが、「グローバル化」のため、か。僕が気に入らなかったのは、こっちの方です。しかも、その「グローバル化」で苦しんでいる農家がたくさんいるのに。でも、ここはそれを話すところじゃない。

 夜、ある討論番組のスペシャルをやっていました。その中で大激論になったのが憲法9条。改憲派からは、国際貢献や自衛、平和がただの理想であること、などが出されていました。自民党も民主党も同じ。
 国際貢献を武力行使でする。湾岸戦争の頃を僕は知らないのですが、「金だけ出して…」とバカにされたそうです。どの国がどんな風にバカにしてきたのだろう。それにその「バカにされたこと」がたとえ、「武力を出さねぇ」ということでも、だから「軍隊を持つ」ってのはどうかと思います。自主的に憲法を作るというなら、そんな「挑発」に乗らないでほしい。
 自衛隊を持っていることは、9条違反になるから、9条を変える。倒錯していることは置いといて、改憲派はほぼ100%「襲われたらどうする?」といいます。なぜ襲われる?軍隊を持たなければ襲われる?
 そこで、犯罪と同じようにいう人がいます。それなら、警察はいらないとか、強盗に入られても抵抗しないで良いのか、とか。国を挙げて戦争することと、犯罪を犯すことが同じかどうか。どちらの方を防ぐのが難しいか。犯罪は少数でも一人でも出来てしまうからね…。それに、犯罪を犯す人と犯さない人の心理の違いを考慮はしたのか。
 …北朝鮮は襲ってくる?…だとしても、日本が軍事力を持つ必要があるのか。中国や韓国に、北朝鮮との仲裁を任せられないものか。本当に、軍事力しか方法がない?
 第一、今すぐ自衛隊をなくせとも言ってない。9条は最終的に実現すればいい。それに向けて努力することが大事。襲われる不安をなくす努力も含めて。
 平和が理想。…本当にそうかな?北朝鮮が全体主義になったのも、日本が右傾化しているのも、人の心理の必然性か。「自然法則」か。経済発展や豊かさが戦争のための必然か。少なくとも、武力行使に反対する人が世界でこれだけ増えている段階で、違うでしょう。豊かな国でもそうでない国でも、アメリカやヨーロッパでも運動はある。日本とは規模が違う。それでも、「平和は理想」という理屈が成り立つのでしょうか。

 <!– more–>タグを覚えて良かった。こんな長い文章を直に打ったら、読む気なくすからな。なお、このタグはこのブログシステムでしか使えないと思いますが、確認はしていません。

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今日も耐えた…

2006年10月5日

 情景一致の毎日です。まあ、いいか。
 今日も一名少ない人員です。僕が休んだ時、きっと今日みたいに忙しくなるんだろうなぁ。でも、体調さえ悪くなければ、今日くらいの忙しさならへっちゃらです。(体調は昼の味噌汁が多くて、少し悪くなった)
 米の収穫が始まっていて、米の依頼が多いです。水と油に悩まされます。

 これは中に珪藻土(けいそうど)というものが入っていて、殆どのサンプルは、この筒に通すと、水分やそれに溶けやすい物質が吸着されます。「殆どは」と書いた理由が、今日「水と油に悩まされた」、水の方にあります。米はこの筒を通しても、一部の水が吸着されずに落ちてきます。こうなると、無水硫酸ナトリウムという物質を使わなくてはならず、二度手間。洗い物(フラスコ)も増えて、二重苦ですか…。よりによって、日本農業の命である米がこうなるなんて…。
 と、まあ、字面ほど苦労もしていないのですが。
 あと、FTD(アルカリ熱イオン検出器)が「暴れて」います(サンプルも何も入れていないのに、やたらと信号を拾っている)。

天気:くもりのち雨(茨城県取手市・東京都板橋区)


 今日も昨日の本の続きを読みました。今日は章が変わりました。…突然意味が解りにくくなりましたが、この著では、三島由紀夫氏(市ヶ谷で自殺した人?としか覚えていない)などは、「愛国」ではなく「憂国(ゆうこく)」なんだと書いています。言葉遣いの話になると意味不明になるのですが、僕が馴染みのある言葉で説明されているとすれば、「愛国」は保守的、「憂国」は革新的ということでした。「愛国」は政府などのいいところを見つけ、それを賞賛し続けること、「憂国」は駄目なところを駄目だ、駄目だということ、というニュアンスでした。何で、「どちらか」という選択になるのか、これは僕にはちょっと理解できませんでした。
 僕は、いいところはいいと言いたいし、駄目なところは駄目だと言いたい。その点、愛国的であり、憂国的であるのかな?
 もう一つ思ったこと。この著の中に、「経団連事件」というものを紹介している一文があります。これは「財界の営利至上主義を許すな!」と言って右翼の人たちが経団連に立てこもった事件らしいです。三島由紀夫氏の思想にも深く関わる事件だと著からは読み取れます(これは「憂国」の例だと思われます)。
 …なんか、本当に、あの革マルとかの「やり方」を彷彿とさせてしまいます。ここも、僕の考え方とは違うところです。
 プラス、奇妙な一文。これが最も印象的。「尊重の義務を法制化すればいい」という文言。これはこの段階まで読んできたことと矛盾するのかなと思います。心の動きに「義務」を課すことは、新右翼じゃなくてもやろうとしている。国を愛することを強制するのと、僕からするとあまり大差ない。
 新右翼といっても、やっぱり核は右翼。よう考えたら、全面賛成なんて出来るはずもない。よく言えば、押しつけがましくないところが良い。反共にこだわらない(形にこだわらない)ところも、理解できる部分です。でも、具体的な問題(領土問題や太平洋戦争の歴史、福祉、教育など)についてはどう考えているのか、わからない。是々非々かな。そして、やっぱり他の国民にも日の丸・君が代などを大事にしてほしいという願望はあるのだろう。僕にはその願望を聞き入れることは出来ない。でも、その辺の違いは、やむをえないですね。お互い、強制はしたくない。
 何はともあれ、唯我独尊的な左翼・右翼と比べれば雲泥の差です。こういう右翼もあるんだな、と思っておこう。
 今日でこの本のことを書くのは終わりにします。でも、最後まで読もうとは思います。

天気:くもりのち雨(茨城県取手市・東京都板橋区)

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なんとか復活

2006年10月4日

 今朝の体調は、まずまず。納豆ご飯を掻っ込んで、出発!やっと日常に戻れました。
 出発するとき、ちょっと周りの自然を気にしてみたら、もうすっかり秋。8月にはトケイソウの花が咲き誇っていたのに、もうつぼみもない。イネ科の雑草も冬に備えて穂を付けています。

 今日の仕事はいきなりまた多忙でした。でも、集中!手伝ってもらいもしましたが、18時までに余裕で終了。他の作業も出来ました。
 途中、来客があり、その方たち手作りの栗の渋皮煮(?)をいただきました。直径3センチ以上はある大きな栗。美味い。もちろん、国産だそうです。

 そのあと、かなり前に退職した方と、職場近くのベトナム料理屋さんで打ち上げ(何の?)。とにかくいろんな料理を食べましたが、名前で覚えているのは…、覚えているのは、美味かったことだけかも知れません。ただ、辛い料理が鼻に逆流したときは、悶絶しました。
 ともあれ、店員のお姉さん(中国かベトナムの人?)は快活で、対応もよし、メニューも美味し。また来よう。

 メニューです。日本語、がんばれ!メシはうまいぞ!

 ココナツミルク。牛乳みたいな味を想像していたら、ほんのり甘いけど、あまりにおいも味もないのです。

 ベトナムビールらしい。僕は飲めません。333とは?添加物のエリソルビン酸(アスコルビン酸(ビタミンC)の光学異性体らしい)と亜硫酸塩が気になりました、何気に。

 ザーサイです。どんな植物なんだろう。アブラナ科とか言っていた気がしますが…。
 今日はそれなりに楽しかったのかな。まだ心は曇ってるけど。

天気:くもり(茨城県取手市・東京都板橋区)


 帰りに、10月1日に買った『愛国者は信用できるか』を読み始めました。予想通り、切り口がおもしろい。著者自身、自分の「愛国心」をいろんな行為で示してきたといいます。左翼に暴力振ってきた。そして、逮捕された。
 そういう過去を踏まえながら、著者は「愛国心」や「愛国者」という言葉に対して、意味合いに対して、異議を唱えています。
 僕がまず目を剥いたのは、この文章です。

『愛国者は信用できるか』鈴木邦夫著 講談社 P.25-26より

 …(愛国心という言葉は)「愛」という普遍的な装いをしながら、実は対立・憎悪を煽るときに一番よく使われる。今だって、「中国、韓国になめられるな!」「北朝鮮をやっつけろ!」と叫ぶ人が多いし、そう煽り立てる雑誌も多い。(中略)
 愛国心は「愛」といいながら、他人も他国も愛さない。自己愛と国家愛しかない。自分がいかに国を愛しているかという「自己申告」と「自慢話」の競争になる。また、他の人はいかに国を愛していないか、という批判、糾弾の道具として使われる。凶器として使われる。(引用終わり)

 …「愛」という言葉をはき違えている人にはぜひこの言葉の意味を理解してもらいたいものです。何も、これは愛国心という言葉に限ったものではなく、平和活動をしている人だってそうかもしれません。「僕は平和を願っている」といいながら、身の回りの人の権利を踏みにじったりしてることもある。
 僕は、「右翼」を誤解しているのかもしれません。今、阿部首相をはじめとする「愛国者」が増えています。しかし、この著者も三島由紀夫氏も、その自称「愛国者」とは全然違います。もう一つ引用。

同上 P.23より

 …国家を愛しているという人がいても、それでも、「愛国心」は心の中で思っていたらいいだろう。「愛している」と公言すべきことではない。胸の中にしまっておいて、何かあった時に、それに基づいて行動すればいいのだ。(引用終わり)

 …含蓄のある表現です。恐らく、この本ではあとで出てくるでしょうけど、そう考えたら、右翼から見ても今の「愛国心」を強制するような情勢は間違っているということになりそうです。
 なるほど、僕は、こういう右翼なら話をしてみたい。本の帯には著者のことを「右翼」と書いていますが、僕は「右翼」だといいたい。
 他にも、21ページの最後くらいから22ページにかけてとか、24ページの最後の方とか、なるほどって思うことありました。(もう引用はしません)
 一つ残った疑問は、「愛」と「恋」を使い分けているところ。三島由紀夫氏は「愛」ではなく「恋」で十分だといっているそうです。国に対して。著者の後輩の森田さんという人も「俺の恋人、誰かと思う。神の作りし日本国」と言っていたそうです。徳富蘇峰(とくとみそほう)という人の言葉らしいですが。説明はしてくれているのですが、イマイチ理解が。「愛」と「恋」…ねぇ…。
 うん。まぁ、続きが楽しみです。期待。

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四面楚歌

2006年10月3日

 今日の題名は、現実にそういう状態であるという意味ではなく、心の状態がそうであるという意味です。
 そういうのは、今日は昨日に輪をかけて体調が悪かったからです。まず、朝はとてもひどい夢で目が覚め(6時~7時の間?)、9時まで起きあがることすら出来ないくらい動悸がひどく、挙げ句の果てに、熱も出始めたからです。
 …夢の中身が題名に近いものだったような気がします。過去の、人からの「疎外感」を感じていた頃のことを思い出させました。周りに友達がいる実感もなく、「無関心」や「軽蔑」を感じていた頃のことを。今思えば、23歳くらいまでは相当そういう感覚が強かった。…そういう夢を見て、さらに他の不安も重なって、今日は一日、ひどい体調でした。夕方、少し眠って、少しだけ回復。明日こそ、元気に労働できるといいのだが…。

 そういえば、今日は雨上がりでした。動悸に朦朧とする僕の目からは、外の晴れ間は何となく見えていましたが、自然を感じる余裕なんてありませんでした。ちょっと落ち着いたということですか。

 夏に花を咲かせるヘクソカズラ(アカネ科)に這っていた(はり付いていた)カタツムリです。
 ヘクソカズラについてはここをクリックしてください。

天気:くもり時々晴れ(茨城県取手市)

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今日で三日

2006年10月2日

 今日で三日目。ハンバーグ。今日も食べたのに、まだ4つも残っています。このペースだと完食が5日の木曜日。しばらくハンバーグを見たくなくなるかも知れません。
 今日で三日目。サーバの調子がおかしく、この日記を開くのに40秒もかかっていました。そして、今、復活しています。サーバ管理の方、ありがとうございます。いつまでも開かないので、諦めた方や何度もアクセスした方、大変ご迷惑さまでした。

 憲法問題や安倍政権のことを扱った週刊誌を買いました。しかし、買って後悔。憲法問題、安倍政権のことは、電車の釣り吊り広告で、デカデカ宣伝している割に、最初の数ページ。他は…。
 それでも、深いことを述べていたように思います。「戦前の日本が悪で戦後は善」という、切った見方を批判していたような…。一連の歴史として捉えなければならないと…。
 戦争放棄の9条がある戦後は、本当に平和だったか…、ということを考えると、その批判もまんざらではなさそうです。9条に抵触するようなこと(イラク派兵とか、ビミョーな自衛隊の問題とか)や「憲法を破って」なんて言う政治家がいることを見ても、決して戦後の日本が「平和」だとも思えない…。
 念のため、ここで述べた「平和」はあくまでも戦争状態かどうかを意味する狭義の平和です。

 今日は体調崩しました。早く寝よう…。やっぱり、療養したい。何らかの方法で…。何が効くのかわかりませんが。

天気:雨時々くもり(茨城県取手市・東京都板橋区)

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虐待に対する裁判

2006年10月1日

 今日の調子は結構いい。鬱っぽくもないし、目立った身体症状も、19時36分現在、ありません。しかし、この日記のサーバの調子はめっぽう悪い。アクセスに30秒以上かかります。なぜでしょう??

 今日は柏に地図を買いに出かけました。その電車の中で新聞。この前の、「君が代強制問題」への違憲・違法判決に関すること。
 …僕が思っていた通り、ずっと聞いていた通りでした。記事には、以下のようなものがありました。

A.K. 2006年10月1日付

 「やむをえず起立した友人は、『立つ』という言葉を口にするだけで涙が出てしまうといっています。そんな思いで立った人たちがたくさんいます。」(以後略、引用終わり)

 ほれ、言わんこっちゃない。訴訟に立った人なんて、圧力を受けたと思っている教師たちの氷山の一角です。記事には、卒業生の方を向いて見送りたいと思ったのに、「日の丸」の方に座席を向けさせられ、その思いは無視されたということも書いてありました。…子どもを愛する教師なら、たまらんよなぁ。子どもに対する虐待でもあれば、教師に対する虐待でもある。許せまへん!
 ついでに、柏の本屋さんで、おもしろそうな本を見つけました。『愛国者は信用できるか』(鈴木邦夫著 講談社発行)です。安倍晋三氏の『美しい国へ』(だっけ?)の側に置かれていた本です。帯には「三島由紀夫は言った 『愛国心は嫌いだ』 なぜか 新右翼の大物が問う『天皇と愛国心』」とあります。どんなんだろう。
 著者は自分でも「愛国者」だと言っています。君が代を5000回以上歌い、靖国神社には500回も行ってきたそうです。でも…?
 前書きでの一文に目を剥きました。

『愛国者は信用できるか』(鈴木邦夫著 講談社発行) P.9より

 愛国者ゆえに日の丸・君が代は大切にすべきだと思うし、<強制>なんてすべきじゃない。(中略)そう発言しただけで『売国奴』と罵られる。

 …ひどいことを言う人がいるものです。ならなんだ、強制しない奴は「売国奴」か。君が代を5000回以上も歌った、靖国神社を500回以上も参拝した、そういう人に向かって?左翼から言われるならまだしも、同じ「愛国者」を名乗る人から…!仲間じゃなかったのか!?
 というわけで(それだけの理由ではないのですが)、僕はこの本を買うことにしました。僕の、右翼偏見を打ち砕いてくれるかもしれません。一昨日の「価値観の相互理解とは」の答えが見つかるかもしれません。

 取手に帰ってきたら、県議候補が街頭演説していました。感想はここで書くのはやめとこう…。
 そのあと、その足で向かったある事務所。机に、靴底を切り刻んだような物体がありました。

 事務所のSさん。「食べてみなくちゃわからないじゃない。」しょうがないからちょっと噛み。…まずい。紙に包んで捨てました。何か果物のエキスを固めたような変なやつで、臭い。信じるものは救われない…?(笑)

天気:くもりのち雨(茨城県取手市・千葉県柏市)

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