日和見主義
朝、のそのそと7時過ぎに起き出して、10時前までうだうだしながら、圧力鍋を担いで明治公園。
そしたら、集会の目印、警官がおりました。
さすがに11時。
まだ開始よりも1時間早いので、来ている人もまばら。
農民連が、マイタケ汁とご飯と、みずたまという山菜のおひたし、リンゴおよびそのジュースを出しています。マイタケ汁は出会った人に手当たり次第紹介しておきました(身内びいき)。
しかし、12時くらいになると、分科会が始まったようで、そこら中に人だかりが。見回すと、少し人が増えたかも。
農民連だけがブースを出しているのではない。色々なものが、生活向上を前提に、色々な形で出されています。ここは、Sの原水爆禁止日本協議会のブースで、核兵器廃絶署名をやりながら、メイドさんたちとチェキを撮れるというコーナーです。
…面白いことやるじゃねぇか。
金八先生とは、武田鉄矢のことではなく、モデルとなったといわれている、三上満(みかみみつる)さんのことです。何を話しているのかは全然聞かなかったけど、参加者は真剣に聴いてたな。
よく考えれば、自己肯定というものの存在を教える人だ。
分科会が終わると、分散していた人が中央に集まりました。黒山の人だかりです。
これだけ広角に撮っても、人が入り切りません。人数、4600人。
耳が聞こえない人のための手話付き。作法としても素晴らしいですね。
演台に立つ人たちの話を聞く数千人の人々。おいらはところどころしか聞いてなかったな。せめて、ボイスレコーダー、持っていくんだった。
小さい男の子がリンゴを要求していました。サンつがるという品種のリンゴ。少年は早く食べたい一心です。この少年にとっては、目の前がすべてリンゴであるかのよう。子どもは純粋でいい。
お約束、志位和夫、日本共産党委員長。
去年、人間の尊厳をかけた闘いという名言を残しました。
しかし、僕の表情は空がそうであるように曇ってゆくばかりでした。
この少し前に、大阪かどこかの労組の若者が喋っていて、「労働者側が守るべき義務があります。」と。
いわれることは想像していたけど、「憲法を守る、守らせる義務、権利を守る義務」という、権利闘争の義務です。
気にするな
そう言われても
気になるぞ
オレの日常
顔向けできぬ
ここに来ている人たち、僕が今まで見向きもしなかったような職種や趣味を持っている、色んな人たちです。風船の数だけ、愕然とするしか、なかったな…。そう言えば、「カラに籠もらないで」みたいな歌を歌っていた人たちがいたな。
…聖風が心を切り刻んでいるよ。
かなり気力と体力を消耗したところで、デモ行進。最近は、パレードと言うんですがね。
前にも書いたかもしれないけど、多彩ですよ。
数日前の決起集会で、ふうたろう、斜に構えていなかった?一枚一枚のプラカードやのぼり旗が、網膜を突き抜けて、ざくざく刺さってくるよ。
外苑前の陸橋に立って、行進隊を撮影し続けました。去年は30分。今年は40分を超えました。僕の横に並んでいるカメラマンの数も3~4倍に増えていました。
ふうたろうがオロオロしていても、時代は進んでいる。
隊列は交通に分断されようとも元気だ。4600人の列は普通ではない。
創意工夫をこらしたオブジェ。力を合わせる者たちの強さを知るがいい。
埼玉県も大きな組織を組んできています。成功には必ず理由がある。集めたのか集まったのか。どう考えても二桁代後半を集めた地域は、普通じゃない。いや、ある意味、「普通」なのかもしれないが。
道路は渋滞し始めました。沿道の人も、渋谷に向かうにつれてどんどん増えてきました。みんな色んなことを言いながら歩いていきます。かみ合ってない(表現が)ような雰囲気を感じながらも、注目は集めています。渋滞に遭っているドライバーはどんな気分でしょうか。
…みんな含めて、日本のあらゆる運動は出発点なのだ。
すでに満身創痍の状態で、原宿駅近くを通りかかりました。雨も時折ぱらつきます。
隊列の最後が渋谷の宮下公園に着く頃は、もう暗がりの中。みんな、本当に、よくがんばった。
今日は久しぶりに会った人、初めて会った人、ついこないだ会った人、いつも会っている人、全員集合でした。
でも…!人に会うたびに元気がなくなる!!
こんなことは今までありませんでした。よもやこのふうたろうがっ!
しかし、単純なことで、孤独の限界に達しているだけのこと。このパレードの中の誰ひとりとて、孤独に闘っている人はいない。ふうたろうに連帯感がなくても(たとえあわせる顔がなくとも、自己否定感が強くとも)、客観的には連帯していることになっている。
…それが、今日のすべてだ!
大集会は、よほどの反社会的行動を取っていれば別かもしれないが、だてに、「つながる みんなの願い」を名乗っていない。
この会を設定してくれた人、盛り上げた人、僕個人としては声をかけてくれた人、話を聞いてくれた人、すべてに感謝したい。
終わったあと、所沢~飯能(新座の人もいたが)のメンバーで、集まり、飲み会をしました。これほど、安全性を感じた空間はここ最近ではありません。「安心感」、ではなく、「安全性」です。特によく話を聞いてくれた、A、Fさん、Fは、核シェルターのような存在でした。爆風と放射線から守られる安心感は、そうして初めて生まれました。
飲み屋から出たら22時半。外はすでに雨。持っている折りたたみ傘は小さかったけど、核シェルターがあるから大丈夫だったな。
こうして、ふうたろうの日和見主義的な一日が終わる。
付け足し程度に書いておくけど、mixiでマイミクのてぃろ~が原爆症のことを書いて、板が沸いていたので、書き込みしてたら時刻が1時とかになってしまいました。てぃろ~は現実の友だちだけど、沸かしていた人は知らない人だったもんな。ま、友だちのよしみで手助け(になってなかったらすまんけど)をしたまでだ。おいらのねちっこさはシェルターの中にいてもそれほど変わらないかもしれない。
天気:晴れのちくもり、夜は雨(東京都新宿区・渋谷区・埼玉県所沢市)