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一流は場所を選ばない

2008年 10月 22日

 朝、起きたら8時45分。茫然自失。大遅刻するようなものではありませんが、メシがろくに食えません。洗濯物を取り込むこともできません。
 何のことはない、ただ、目覚ましをかけ忘れただけのことです。


 題名は、Fがふうたろうによこしたメッセージの中にちょこんと置かれていたものだ。「一流は場所を選ばない」
 ふと、自分に置き換えて考えてみたら、自分自身はそういえば何の一流になろうとしているのだろうと、思った。分析の、一流?なんか違う。(?_?)
 働き始めて既に4年半。でも、「分析のプロ」になろうと思ったことは、そういえばあまりない。むしろ、分析のことよりも、化学や生物学のことを比較的学んできたし、何より、山と写真にかけた金額の多さを見れば…。
 今の職場を見ていると思うけど、液体クロマトグラフがまるっきり動いていない。機械が遊んでいる。今、少なくともふうたろうは、検体からの農薬の抽出と洗い物をやれば、10時から18時までほとんどまるきり時間を使ってしまう。液体クロマトグラフを使う暇なんか、ない。そんなことを、もう何年も思いながらやってきたけど。
 でも、そんなこと以前に、毎週末、山に登るような一生懸命さが、仕事の中で生まれてこない。毎日日記を書き続けるような根気が仕事の中ににじみ出てこない。他の同僚3人(主任も含めて)はどう思っているのか判らないけど、4年半経っても、ふうたろうは未だにここで何をすればいいのか、判っていないのだ。
 すぐに人を引き合いに出すのはどうかと思うが、Fの場合、相手は人だった。ふうたろうも本来はフラスコの中身の行き先は農家や消費者で、相手は、根源的には人だった。でも、フラスコのアセトニトリルを見ていても、解らない。その液体の行き先が人のいる場所だと思えない。頭でしか理解できない。腹に落ちない。同僚のSは分析能力を上げることに心血を注いでいるけど、ふうたろうはそれは手段であって、目的ではないと思うのだ。そもそも、ふうたろうは機器分析の方にタッチできない。これでは、プロ意識も育たないだろうな。うん、それは解った。
 一応、アフラトキシン(発ガン性のあるカビ毒)や人工甘味料その他の色々な化学物質を分析する必要性を、ふうたろうなりには感じているのだ。最近、メラミンを恐れてスニッカーズ(という中国から輸入のチョコレート菓子)を食べなくなったけど、韓国だったか、メラミンが見つかったとの報告があった上に、ピーナッツが入っているのでアフラトキシン汚染の可能性もあるのだ。それでなくても自給率の極端に低い国なので、化学物質に対するものだけにとどまらない、思想や文化の違う国々から色んなものが入ってきている。だから、これに手を付けない手はないのだ。今いる職場も本来はそういう理念を持って生まれたのだ。
 でも、何でふうたろうは行動に繋がらないのか。「やる気がない」…なんか、違う。やる気がないのはむしろ結果であって、原因ではない。
 今仕事でやっていることを考えたら、残留農薬分析という作業の一工程をセコセコとやっているに過ぎない(工場内分業というらしい)。
 分業自体、生産力(処理検体数)を増やすことにおいては悪いことではないのだろうが、給料が上がるどころか、施設が潤って新たな行動を起こせるほどにさえ至らない。一般的な大企業の「搾取」とはまた違った矛盾がありそうだ。どちらかというと、空想的社会主義(支配者の善意による革命、とでも言いますか)の失敗を見るようだ。
 …最初の話に戻ると、「一流は場所を選ばない」だった。でも、見れば見るほど、そんな根性論で済みそうもないと思えてきた。構造的な問題がありそうだと。
 本当の場所を選ばない一流たり得るには、よほど広く深い哲学が必要な気がしてきた。今のふうたろうには、同僚一人とさえまともに話し合えてないのに、どうすればいいのだろう。「明日から僕は液クロ専門でやります!」と言えるだけの職場の雰囲気も自身の技術も組織の財政力もないのに、どうしろというのだ。
 理念や善意だけではうまくいかない。つくづくそう思う。分析をやっている企業はうちだけではないのだし、日本はそれでなくても労働者が特に馬車かその馬のように扱われている国なのだから。変わらなければいけないところが多すぎて、首が回らないッス。
\(`⊿´)/キィ


天気:くもり時々晴れ(東京都板橋区・豊島区・埼玉県所沢市)

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