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人の死

2008年 12月 26日

 mixiをやっていて、ふうたろうの友達ならば、「人の死」という題名で日記を書いたのを知っていると思います。でも、今日は、そういうのもあって、色々「死」を考える素材が整ったので、改めて書きたいと思います。


 一昨日、飯島愛さんが亡くなっているのが発見されたそうです。有名人ですが、ふうたろうにとっては、一人の人、です。そう、松岡大臣やZARDの坂井さんと同じように。でも、飯島愛さんは、死後何と1週間も経っていたといいます。孤独死です。ファンでなくても、思うことは同じですよ。そして、人は死ねばみな同じ、とも。
 そして、今生きている人は、職を追われ、路頭に迷おうとしています。ふうたろうが池袋を歩いていると、ホームレスの人もたくさんいます。でも、ふうたろうは怖くて近づけない。事実として。
 帰りの電車。西武池袋線の放送で、「西武新宿線東伏見駅で人身事故があった影響で…」とのこと。人身事故の電光掲示板表示を見ない日の方が少ないとさえ思うこの頃、今日もまた、人身事故が起こった。いや、起こされた。
 そして、過去に死んだ人たち。
 21時から、日本テレビで『東京大空襲』を放送していました。東京大空襲は、周知の通り、10万人が犠牲になったといわれます。でも、半世紀経った今も、はっきりした人数は判らないそうです(導入)。
 …今日のような、空っ風が吹く東京を、1945年3月10日、0時過ぎ、人の逃げ道まで読み切ってじゅうたん爆撃を行ったアメリカ軍。その下には、生き別れ、死に別れ、目の前で焼け死ぬ人々を見、溺れ、最後には行き着くところが同じ、死を待つ人々。死んでいるか生きているかさえ判らないわが子を思いながら焼夷弾の直撃を受け事切れる母親。その場では生き残った人々も、チフスや破傷風に、以降も続く空襲に、老いも若きも男も女も病人もけが人も健康な人も、例外なくムシケラのように殺されていく。生きるも死ぬも地獄の世界。助け合いで生きようとする努力をも踏みにじられてしまう、世界。
 ふうたろう、何か、今まで勘違いしていたように思う。いわゆる原爆や沖縄戦その他のことを隠蔽する勢力を責め立てることばかりを考えていた。でも、それは違うのだ。今起こっている雇用破壊や孤独死も同じことで、そのものを風化させない・阻止することなのだ、と。
 仮に、ふうたろうにとって大事な人が目の前で苦しんでいる時、苦しみを与えた者を憎む前にすることがあるはずだ。無事を確認しないか?そういうことだ。
 戦争をできる国にしようとしている勢力がいるのは確かかもしれない。雇用破壊で苦しんでいる人を平気で足蹴にする人がいるのも確かだ。でも、そういう勢力を潰すのが目的ではないのだ。あくまでも、苦しむ人を作らない、出来ることをやるのが本分なのだ。
 …それさえ判っていれば、ふうたろうが過去何度も犯したような、ネットで荒れるなんてことは起こらない。東京大空襲で死んだ人は、現に今の靖国派を責めても生き返らないのだ。もちろん、遺族も救われない。


 明日から、大山。念のため、鳥取県の。何気に、冒頭の写真は、落としてプロテクタを割ってしまった一眼レフですが、それを持って、記録を残す。生きてなきゃできないことです。今年最後のふうたろう絵日記更新になると思うけど、本当の最後の更新にはならないようにします。やることは、山登りだけではないのですから、ね?
天気:晴れ(東京都板橋区・豊島区・埼玉県所沢市)
覚え書き:発送ミス多発・最終営業日・いつでも元気1月号終わり・不安感多少あり

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