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現世からの呼び声

2009年 2月 11日

 今日は、アレのもう一段階上の会議。何気に、いつもよりも20分速い所沢駅発下り、西武池袋線。
 でも、主体性の度合いは、違うんだよ。


 9時半ちょうどに議場に着いても、ちょうどに始まりはしない。遅れる人がいたり、予期しないイベントが起こったり、遠回りするのが常なのだ。
 議場の一軒家(以後、たまりと呼ぶ)は、1Fで選挙の事務所開きをやっていたので、挨拶も兼ね、参加。狭い視野に立っていれば、まったく関係の無いものかもしれないけど、そうではない。それは後述する。
 午前中、しばし会議をしてから、昼飯。エビチリピザとかいうものを600円弱で買うも、S吉に0.33枚を食べてもらった(油っこくて食いきれない)。ふうたろうが付け足しに買っておいた緑タバスコもたっぷり塗ってあったが。


 ふうたろうの右斜め前に座っていたAさんが、「一眼レフ!ほしいんだよねー。」と。ふうたろうは、右手ではピザをつかみながら、左手でファインダーの中や絞り、シャッタースピードなどの説明をしていた。「撮ってもいい?」とのことだったが、ふうたろうは臓器を貸すことに躊躇はない。彼女が撮ったたばこである。


 ふうたろうの位置から撮った同たばこである。静物は回転させてある。
 この後、すぐに会議が始まった。会議というよりも、やっぱり雑談級ではあるけども。
 ただ、今日のは事務レベルの作業もあるので、終わるまで解散にならないのだ。シッカリ進めないと、効果対疲労の最大値を逸するだろう。
 Sは委員長だが、彼に全部を任せてはいけない。ふうたろうも、自分から役割を買って出るべきで、終わり頃になってやっとそれができた。名簿作り、決議案の割り振り、集まれていない人への電話かけその他。
 ふうたろう、電話かけは何気に初めてかもしれない。少なくとも、WildHalfのタケト並に場に身を任せて見ず知らずの人に電話をしたことなんか、初めてである。
 一人、たった一人かけただけだが、市房山に登り切ったくらいの気持である。少なくとも、あの時の感情は、歩いている時に挨拶を交わしたりする時に、似ていなくもない。ふうたろうの山行はいつも初めての道と初めての人との出会いなのだ。
 終わった後、1Fに降りたら、午前中、事務所開きで沸いていた人たちと挨拶ができた。ふうたろうの意思に関係なく、がんばった感を共有していたような気がする。今朝、あの事務所開きを関係ないものと思っていたならば、ここで共有したものがどれほどの大きさだったか、解らない。


 ふうたろう、Tさん号で、S吉と一緒に、小手指駅まで送ってもらった(S吉は家までだろう)。たまりでみんなが出していったゴミの山にイライラしつつ、ただでさえいつも満杯のザックに燃えないゴミを詰め込んでいた。苛ついていたのはもちろん、このせいではないだろう。不安定な諸々の感情含めて、だろうから。
 黒い(車体が)Tさん号の中は、漆黒の闇。ゴミが眩しいふうたろうの目は、Sが差し出したものを捉えていなかった。「これ、聴く?」と人の世界から呼びかけてくれたSを、ふうたろうが拒絶した時の彼女はどんな気持だったろうか。
 …この日記を書きながら、ふうたろうの部屋では、ふうたろう単独文明では、決して流れることのないだろうJULEPSの曲が流れている。ケースは、とても大事に扱われていたようで、鏡のように輝いている。
 しかし、今、JULEPSの曲がかかっているということは…。岩肌よりも乱雑で鋭い刃物で突き刺された気分だ。


 Tさん号の中で、堰を切ったように、茨城県南部にいた頃の話をした。誰に話していたのだろう。今の地域でやっていた時よりも、ずっと波瀾に満ち、色々な人がいた。ふうたろうは、そのみんなと、話している。
 …つもりだった。でも、何かバトンタッチできたことはあったかと、時々思う。所沢に引っ越してきたことは、結果的に、取手の世界を捨ててきたことだったのではないか、と。
 今、所沢での動きは0から1に無限大に上昇した。でも、同じことになりはしないか、と。ふうたろうは継続できないのではないか、と。先日の催しのように、投げ出してしまうのではないか、と。今まで、どれだけ「今度こそ」と思えるようなことがあっても、結局粉々に打ち砕かれてきた自信が、実際にある。何をやってもうまくいかない、という挫折感が。
 まだふうたろうは、「ひとり」である。いつしか聞こえなくなった、現世からの呼び声が、聞こえる日はいつなんだろう。


天気:くもり一時雨、小雪舞う(埼玉県入間市・所沢市)
覚え書き:西武池袋線とトリクロロエチレンの回覧板

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