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克服のケーキ

2006年 4月 3日

 2002年5月23日頃です。もうその時の日記はPCが吹っ飛んで無くなっている(非公開)と思います。が、あの時のことを覚えています。

 京都市の烏丸鞍馬口にある、とある食堂。もう名前も忘れました。味は中の下くらい。それほど美味しかったとは思えません。奨学金がもらえないことが判明し、慌てて探し始めたアルバイト。時給650円のアルバイト。しかし、見習い期間は時給がもらえません。よく考えれば、本末転倒です。アルバイトで仕事体験がしたいわけではありません。一刻も早くお金を手にしなければならないときでした。当時の僕でも、「いったい何をやっているんだろう」という思いはあったはずですが、覚えていません。
 2回目の見習いの時、僕の指導に当たった人は、一つ一つ、事細かに指示します。失敗を許さないかのように。息苦しい。その時の店長はそれに感づいたかのように、「彼、教えるの上手いやろ。」その指導後、僕はアルバイト開始9日ほどで辞めることになりました。
 辞めることを決めた日、店長に2階へ呼ばれました。覚えている言葉。「お前はケツを割った。」「(ここで働いている大学3年くらいのやつに)負けたんやで。」「会って10分くらいで続けられないことはわかった。」
 その時に卒業生らしき人が持ってきたケーキ。一つ、手渡され、持ち帰り、食べました。「敗北の味」がしました。
 それだけで終わりません。その当時付き合っていた彼女、「たった9日しか続かなかったとは…、そんな人間と付き合いたくない。」思いました。「俺は人間失格なのか。」当時そういう言葉が出たかどうかはわかりません。感覚はそういうものだったと。
 その20日後くらいに決めた「セルフィー下鴨」のアルバイト。研究室の教授が発狂。「勝手に決めやがって」…あくまでもニュアンスですが。同時に僕も発狂。…そういう関係がずっと続きました。教授に対する憎しみだけが膨らんでいきます。
 前述の彼女。「ふうちゃん、ガキっぽいよ。」…当時の僕の体調は最悪でした。潰瘍性大腸炎の再発で、あれほど辛かったことはありません。教授との喧嘩は同時に彼女との喧嘩をも意味します。

 「敗北の味」のするケーキから始まって、僕の大学院時代の闇は幕を開けました。人の言葉が別の人に与える影響、今になって思えば恐ろしいものです。四面楚歌の状態。正論でも受け入れがたい辛辣な言葉。僕が幼かったのか、周りが悪かったのか。今となってはそれを確かめる術はありません。でも、僕は思います。当時僕がほしかった言葉や受け入れてほしかった心…それらだけは握って放さない、と。そして、当時の僕に言ってやりたい。「お前一人の責任ではない。」
 あれから4年。僕には明確に仲間がいます。肯定されている感覚、自己肯定感を持てるようになりました。闇に取り残される寂しさも仲間と一つのものを作る喜びも知っている僕ができることはただ一つ。肯定すること。もちろん、迎合することでも従順になることでもありません。あんなに辛いことは「僕で終わりにし」たいのです。

 今日は新入生のお祝いケーキを食べました。これからの希望に満ちたケーキです。彼も今日は笑顔を見せました。これから、よろしくお願いします。

 春を告げる桜が散り始め、本番を告げる花が芽吹いてきています。この春風に乗って、生きていきたい今日この頃です。

 左の写真にある花は、幹から直接花が出ています。なんだこれ。

天気:晴れ時々曇り(東京都板橋区・茨城県取手市)

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