Home > ふうたろう旅日記 > 泥カレーのお味は?(至仏山鳩待峠車道歩き付コース:群馬県)

泥カレーのお味は?(至仏山鳩待峠車道歩き付コース:群馬県)

2010年 11月 27日

 朝は4時半前に起床。家で4時半に起きるのは本当にしんどいことです。前日まで都会に合わせた生活リズムであり、都会に合わせた身体の調子(大抵は悪いが)だからです。
 それでもまあ、今日は99個目の至仏山目指して、ふうたろうは羽ばたくのです。
 ここは片品村の戸倉バス連絡所。つまり、夏ならば鳩待峠や大清水、富士見峠などに連絡バスが通じ、その発着場所となるのです。しかし今は、誰も登らない冬の時季なので、鳩待峠まで車で行かないとなると、タクシーを呼ぶか歩くかのどちらかしかないのです。


 まず、道路が出てきました。
 もうこの頃のふうたろうではお約束ですね。
 そう、鳩待峠まで無謀にも車道を歩こうとしています。


 通る人が少なすぎるので道路工事しています。その脇を通過します。


 ところで、あわよくば富士見峠から入って、アヤメ平を通っていこうなんて考えていました。
 しかし、25000分の1の地図を改めて見直し、実際に歩き始めた感触で、普通に鳩待峠まで歩いても何処まで行けるか怪しいレベルの距離であることに気が付き始めました。
 昔の人は、ここを歩いて登っていったんですよね?


 実に整備された道です。とりあえず今はまだ出発直後(といっても30分は経ちましたが)。飛ばしていきましょう。歩く気力がある間に進みましょう。


 冬枯れ木立の道。夏は緑が眩しいのでしょうね。


 笠科川が流れています。夏も冬もずっと。


 車道を半分歩くのに1時間以上かかります。橋を渡って笠科川の対岸に渡ったのが、バス停を出て1時間14分後の11時21分。


 今はまだ、冬枯れの木立が青空に映えるのを楽しんでいます。ここでへばっていては百名山撃破は遠いのです。


 鳩待峠の2回目の分岐、津奈木橋の大カーブ。ここからツナギという湿原に入る道があるようですので、隠れスポットとしていつか遊びに行こうと思います。


 津奈木橋を越えて鳩待峠への道路に入りました。あともう少し。
 しかし、その思いが油断となり、地獄の戦場と変えてしまうのです。


 空が青い。枝が細い。道が長い。


 さっきからヘリコプターがバラバラとうるさいなと、イライラしていたら、どうもここにヘリポートがあるようです。どこかから行き来しているようで、音が断続的に響きます。


 12時30分、ようやく鳩待峠に到着。普通の人はここは車やバスやタクシーで来るものです。何が楽しゅうてこんな所まで歩いて…。
 でも、本当はふうたろう、10月30日と31日で来る予定で、まさにバスで来るつもりでした。しかし、あの時は憎き台風がやってきて…


 当然、人が来ないところに売店や休憩所、宿を開くアホはいません。すべて、シャッターが固く閉ざされています。


 どうやら、ヘリコプターは監視などのためではなく、物資の運搬を行っているようです。あとで見てみると、位置的に東電小屋辺り…かな。


 2006年8月12日にも来た尾瀬・鳩待峠です。さあ、あの時は百名山9個目だった燧ヶ岳を、友人たちと一緒に行きましたが、今度は99個目の至仏山を、一人で撃破しに行くのです。あれから90個も進んできたのかと思うと、ずいぶん色んなものが変わったのだと感じるものです。


 さあ、出発です。
 念のため、これからが本来の出発です。しかし、鳥海山の時ほどではないにしても、既に下山後のごとく疲れています。しかも、あの時よりは遙かに厳しい寝不足です。


 歩き始めて程なく、どん兵衛を食いました。考えてみれば、出発が10時7分で、ここの時点で13時前。職場でいえば、仕事が始まって直後から、昼飯直前までの時間が経っているわけです。それは大変長い時間です。
 しかし、これが最後の清潔な食事であることを、この時に気が付くはずもありませんでした。


 天気は素晴らしい。先週…もとい今週の青森・北海道リレー登山から、天気が抜群に良いですな。光の祝福を受けながら歩きます。


 ちぎれ雲の大きいのや小さいのが空を泳いでいます。実をいうと、今は既に天気は下り坂。小さな移動性高気圧が東海上に去ろうとしています。


 木々の間から今日の第一目標である至仏山が見えているようです。


 真新しい木道ができています。両サイド、深くササが刈り取られています。ふうたろう、これは何のための木道かと首をかしげます。環境へのインパクトは最小限にするべきというのが、いつもこういう手の観光地で聞かれるものだという印象だが?


 しかし、ここの開発は東京電力が関わっています。2個も3個も含みを持った目で見てしまいます。
 考えてもみれば、この狭い尾瀬ヶ原に、いったい何個営業小屋があるのか。そのうちのひとつは、小屋の裏でゴミを燃やしていたともいう(出典の本を紛失してしまったが)。
 しかし!ふうたろうはまだ勉強が足りない。登山と観光の社会科学をもっと学ばねば、これらはすべて愚痴にしかならない。


 ところで、さっきから何だかテンションが低い。テンションが低いだけなら良いが、何だか身体がだるい。


 階段の一段一段がしんどいぞ?


 天気も展望も申し分ないはず。燧ヶ岳だって見えてきた。


 お隣の山塊、日光白根山は雪を被っています。


 この辺りで猛烈に腹が痛くなりました。ヤバい。携帯トイレもない。しかたがないので、いつもの緊急事態の時同様、せめてティッシュだけは袋に入れて持って帰りました。あとはバクテリア様の力に頼るしかない。


 腹が痛くて動けない。これだけは治まるまで留まるしかない。胃腸にダメージが来ると、精神的にパニック状態になるそうです。実際ふうたろうもパニックを起こします。これはまずい。


 しかも、ここに来て、さっきまで楽しみにしていた雪が地獄の戦場と化す…!


 美しい風景の前に青息吐息。ふうたろう、至仏山、行けるのか?


 ここで水場が出現しました。この体調ですから何が起こるか判りません。今日寝泊まりするところ、咲倉沢の頭避難小屋には水がないでしょう。ここでせめて水筒を満タンにしておきましょう。


 この水場はオヤマ沢というそうです。時刻的には14時19分。まだ昼過ぎではないかと思うかもしれないけど、山ではこれはもう夕刻です。腹痛によるダメージが大きい。


 ここはオヤマ沢田代の一部でしょう。田代、というのは、どうも湿原のことを意味するみたいで、何処にもやたらと「田代」という言葉の付いた湿原があるようです。


 さっきの水場で少し休んだら、若干体調が落ち着きました。いったい何が起こったというのだ!?
 それにしても、雪の山というのはやはりきれいですな。


 ここは湯ノ小屋方面と至仏山及び鳩待峠との三叉路です。ここに100リットルのザックを置いて、至仏山を奪取しに行きます。できれば、尾瀬の登山ルート途中でのビバークは避けたい。


 見えているのが至仏山でしょうか。あれなら何とか咲倉沢の頭避難小屋に行くだけの時間が取れるレベルの距離でしょうか。


 これはベンチ。雪に埋もれています。


 さっきのオヤマ沢田代が遠のきます。


 燧ヶ岳が屹立しています。


 あれが至仏山だと思えば楽です。ハイパーよちよちコースです。


 さあ、あの山塊がゴールなのでしょう。


 遠く笠ヶ岳(もちろん北アルプスのではないです)が見えます。今日はあれを越えて、更に先の咲倉沢の頭避難小屋まで行くのです。


 多くの人に踏まれて、岩が真っ黒になっています。これはずいぶんなものです。


 至仏山に続く木の階段を雪が覆っています。一部斜めになっているところもあり、けっこう気を使います。ふうたろうの今の装備、カメラバッグとポカリスエットのみ。


 霧氷だってできています。もう今は11月最終週。立冬はとっくに過ぎているし、暦の上でも4日後には12月、冬です。


 雪の階段への侵食が激しくなってきました。でも大丈夫。ガチガチのアイスバーンではありません。


 遠くの森も近くの岩も、霧氷が発達しつつあります。しかし、この霧氷の見頃は、今日の午前中だったと思われます。実に残念です。


 ちぎれ雲の量が少し増えてきましたか?


 !!
 これは…!小至仏山です!何と、ふうたろうが至仏山だと思って登っていたピークは、至仏山より手前の小至仏山だったのです。


 小至仏山から至仏山を見ると、千里もの距離があるように感じます。ハンパない精神的ダメージです。


 小至仏山を離れ、至仏山に向かって歩いてきました。「気のせい」というのは恐ろしいもので、あらゆる意味でのマイナス思考は、目標を遠ざけます。あの小至仏山は至仏山に登頂したあとに再び通らなければなりません。


 15時。夏ならまだまだ日は天高く昇っているのですが、一年のうちで最も日没の早いこの時期は、もう夕方です。しかも東日本は特に早い。更にちぎれ雲がまとまってきて、大きな雲の塊になってきました。


 至仏山本体だと思っていた岩の塊は、またもやニセピークでした。この精神的負担は、あの100リットルのザックの重さどころではありません。


 さすがは山頂付近。霧氷の荒さも凄い。


 この踏み痕が黒い岩、実はものすごく滑ります。氷が着いているわけでも、雪が覆っているわけでも、ましてや濡れているわけでもないのに、とにかくツルッツルです。


 霧氷が見頃になってきました。直射日光を浴びても溶けずに残っているとは、どれだけ凄いのだろう。


 二つ目のニセピークを越えました。ここまで来るともはや根性。


 しかしどうやら、ふうたろうの根性が勝ちそうです。小さく山頂の碑が見えます。


 ぬおおおおおーーーー!!(゚Д゚#)
 着いた!!
 99個目。始まりの終わりにまた一歩近づきました。でも、クリアは下山、いや、厳密にはふうたろう絵日記に書き記したあとです。登頂はまだふうたろうのひとつの山越えの中でも2割程度の位置です。


 燧ヶ岳。尾瀬ヶ原の向こうにあります。
 ちなみに、尾瀬ヶ原から至仏山への登山は禁止されているそうです。至仏山から尾瀬ヶ原への下山のみが可能だそうです。しかし、ふうたろうにはその意味はまったく解らない。
 もっとも、今回はふうたろうは尾瀬ヶ原を通りませんが。


 日光白根山方面。あちらにまで雲が達したようです。この辺り一帯、いや、北陸・関東北部が気圧の谷に入ったようです。


 既に平ヶ岳などの越後山塊にはガスがかかり始めています。


 しかし、この崩れかけの天気が見せてくれるものほど美しいものはないと、ふうたろうはいつも思います。山は安定した「状態」を楽しむのではなく、変化する「運動」を楽しんでいるのだと思います。


 日が当たらなくなった雲は影になって黒くなりますが、空は青のまま。ある高さを境に雲が生成し、流れていく。その運動を楽しんでいるのですね。


 山頂付近の雪と霧氷は、下の方に比べればずいぶんと多くなっています。もう間もなく、冬ですね。


 ガスという水のコロイドと太陽の光線が織りなすチンダル現象。何者にも絶対はない。何者にも完全なる負および正はない。
 …要はふうたろう自身が、色々な物を、運動を、どれだけ強く感じていくか、です。そして、その運動を知り、正を少しでも多く引き出せるようになることが即ち、自由に近づくことです。
 ふうたろうは非常に疲れてしまったけど、この光景をとても楽しんでいます。9個目の燧ヶ岳の時より、ふうたろうは確実に自由になりました。


 遠くに武尊山。こう書いて「ほたかやま」と読みます。ふうたろうが初めて雪山を経験したところですが、雪のことも雪山の楽しさもまったく解らず、ただガスに巻かれて怖かっただけでした。ガスに巻かれても、場合によっては楽しめる余裕を持てる今、改めて登りたい。


 さて、5分ほど山頂で過ごしたら出発。今日中に咲倉沢の頭避難小屋まで…行けないよなあ…


 あの三角の山はこともあろうに小至仏山です。今日歩く距離のことを考えると、とてつもなく遠く感じます。ふうたろうにこういう時間に追われる場面が多いのは、その時間的余裕を作れないという未熟さに依るものです。
 でも、判っちゃいるけど、欲張ってしまう、何とも言えないふうたろうのがめつさですな。


 ちょっとの差ですが、南に行くほど雲の量が少ないように感じますね。あのオヤマ沢田代付近の針葉樹林帯の霧氷がオレンジ色に光っています。


 ふうたろうが去った後の至仏山は瞬く間にガスに包まれました。限界まで天気が持ったと思うべきですかな。


 やっと下りの小至仏山に取り付きました。


 ガスの向こうに燧ヶ岳。あちらはガスに巻かれていないように見えますが…。


 下りの小至仏山。本当ならここでマッタリと尾瀬ヶ原を堪能するのがよいでしょうけど、今はそんな時間はとても…。


 ガスがあるのと無いのと、明るいのと暗いのと、印象はガラッと変わるものですねえ。人の体調の良し悪しに似ていますか。


 さあ、ザックを取りに戻ったら、咲倉沢の頭避難小屋までとにかく進むのです。でも、まだあの三叉路まで少しあります。


 三叉路に着いたのは16時。この辺りにまで雲が達してしまいました。しかも、小雪も舞いだし…。
 ところで、ザックの底がやたらと濡れている。雪に直置きしたせいか?背負って歩くとお尻が猛烈に濡れて実に不快極まりない。何で雪の上なんかに立てておいてしまったんだろう、と。


 さっきの三叉路を笠ヶ岳方面に進むと、左手は晴れ間が、右手は雲が、という状態です。ふうたろうの歩いている稜線はその境界です。


 アラレが降ったり止んだりし始めました。しかしそれほど強くはありません。


 こんな状態の雲から、どうやってアラレとかが降ってくるのかなあと、心の底で思いつつ、先に進みます。


 もっとも、完全にガスに巻かれてしまえば、何事をか言う余裕なんぞ無い。暗闇が押し寄せてくる世界に為す術もなく歩くしかない。


 そして、道半ばで完全に暗闇になりました。どこか、平らな場所を探すしかありません。


 そして、小笠少し手前で、平らな雪面を見つけ、そこにテントを。幕営と言うよりも本当に避難ですな。テントを持っていなかったらマジで危機的な状況ですから、ふうたろうはよほど余裕だと思わない限りテントを持つようにしています。ツェルトでは心に余裕も生まれません。


 ふうたろうのお尻を濡らしていた犯人は、融雪ではありませんでした。ザックから取り出した下剤袋の水筒が、なんと空っぽになっているではありませんか!
 …どうやら、キャップ部分すぐ横のシーリングが裂けたようです。
 しかし、よりによって全部こぼれなくてもいいじゃないか…(ノ_;)


 暗闇や寒さなんかには平気であっても、水が無いことにはかなり焦ります。あるはずの水が無くなって、しかもザックの中を水浸しにしてしまっているのですから、ダブルヒット痛恨の一撃2発分です。
 幸運にも、いや、ただの不幸中の幸いとしか言いようがありませんが、今、積雪期に入っているので、固体の水(H2O)が存在します。しかし、十勝連峰のオプタテシケ山手前の双子沼で掬った一味唐辛子入り水なんて純水だと思えるくらい、ローズマリーとかクミンシードとか黒コショウが混ざっているではありませんか!ええ、もちろん、偽物ですよ。
 徹底的に沸かして、できるだけその水の摂取を減らして、カレーうどんとカレーライスを食いました。雑炊にしたら水が増えるじゃないですか。


 というわけで、壮絶な99個目の登山が始まりました。車道は長いし腹は痛いしカレーうどんは食べるハメになるし。
 でも、名誉のために言っておけば、クミンシード(偽)やローズマリー(偽)は箸で取り除いてゴミ袋に捨てました。黒コショウ(偽)は丸飯盒の底に沈めたまま別容器でカレーうどんを作りましたから。
 メシを食ったら1時間ほどで寝ました。外が暗い上に曇ってりゃ、星も見えんしね。
 咲倉沢の頭避難小屋には着けませんでした。残念。


天気:晴れのちくもり、小雪ちらつく(群馬県利根郡片品村・水上町、移動中は含まない)

  1. みゃーみ
    12月 1st, 2010 at 22:16 | #1

    お腹こわしている上にスパイス満載の泥カレーw
    あとが心配です。どうなったかな。
    この手の入れ物は信用できなくて。。。背中が濡れてしまい、汗かと思ってたら、ザックの中で水が漏れてたことがありまして、同じくショックでした。。。

  2. ふうたろう
    12月 1st, 2010 at 22:41 | #2

     ダブルスパイスですよね(滅
     しかも、食えないし(爆滅

     一応、この泥カレーのせいだと思われるような、
     食あたりっぽいのはないですが…

     まあ、大腸検査の時に使う下剤袋を、
     ここ数年常に流用していたというのが、
     そもそも災いの始まりかもしれませんね(笑

  3. みゃーみ
    12月 2nd, 2010 at 01:05 | #3

    結構頑丈なんですねw
    大腸の検査したことないので見たことないですが。
    大腸がんはならない予定なのでオプションに付けたことなしw

    私は点鼻薬とか目薬の入ってる色つき小袋を、愛用してます。オレンジはクリームで、みどりは洗顔とか、長いのは砂糖のスティックとか~。

  4. ふうたろう
    12月 2nd, 2010 at 06:42 | #4

     山ではすべてのパラメータ(ゲーム的でごめんなさい)が上昇します。
     大腸がんにならなくても、
     ふうたろうは潰瘍性大腸炎の難病を授かってしまったので、
     毎年6月頃に検査しています。
     そのための下剤、です。

     常備薬はむかつき止めや安定剤、睡眠剤など。
     鼻薬は袋の奥底に沈めてしまいましたなあ…。掘り出さなきゃ。

  1. No trackbacks yet.
Comments are closed.