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科学の実利と文化

2010年 12月 1日

 昨日の夜、デフォルトの胃腸になりました。非常に具合が悪く、寝つくのに苦労し、おかげで今朝もちゃんと起きられませんでした。それとも、もっと早く寝ればいいという話なのか。


 出勤の時に、いつもA旗を読んでいます。水曜日になると、池内了(いけうちさとる)さんという物理学者が、このところ「文化・学問」のところに、『科学は誰のもの?』のコラムを書いています。ふうたろうは何気にその話が好きでずっと読んでいましたが、今日のはふうたろうが思っていたことを言葉にしてくれていて、特に良かったのです。
 小柴さん(彼もまた物理学者ですが)が、ニュートリノでノーベル物理学賞を受賞したとき、何の役に立つのかと聞かれて回答したことは「何の役にも立ちません」だったそうです。
 ここまであけすけに「役に立たない」と言ったのかと、ふうたろうはこのコラムを見て、一人満員電車の中でびっくりしました。
 しかし、その、「役に立たない」は、厳密には嘘です。役に立たないのは、経済に直接還元されるという意味で利用価値がないだけで、発見そのもの、現象そのものに価値がないということではありません。
 ふうたろうはニュートリノ(素粒子)の定義や物理学的な役割はまったく知りませんし、ふうたろうにとっての身近なところから離れているので強く好奇心がそそられるものでもありません。でも、物事の起原や真理に近づいていくという知的好奇心には非常に共感できます。
 ふうたろうも、量子生物学という分野に興味が湧いたことがあり、化学物質と化学物質(広い意味ではタンパク質なども巨大な一つの化学物質です)の相互作用が、量子力学的に説明できたら、栄養や毒性、薬やホルモン、その他さまざまな生物反応の理解が進むのではないか、あるいは未知の化学物質との関わりを予想することもできるのではないか、などと思っていたことがあります。
 しかし、ニュートリノと違って、食品に栄養機能を付加するという意味での栄養学的な利益、薬を有効に作るという意味での医学的な価値、あるいは人体に有害な物質を評価するという意味での意義、という実利を伴いえます。
 でも、純粋に科学としてビタミンC(アスコルビン酸)がタンパク質であるコラーゲンの完成を担い、乳酸菌の細胞壁が発ガン性のあるアミノ酸誘導体を吸着し、ダイオキシン類(2,3,7,8-テトラクロロ-p-ジベンゾジオキシンなど)の分子がDNAの隙間に入り込んで何らかの障害を与えるかもしれない、などという具体的な話は、その実利を超えたときめきがあると、ふうたろうは思います。
 研究の目的を語るとき、その「実利」だけが強調されなければならないのは、実に貧しい社会だなとふうたろうは思います。
 ふうたろうのいたS大学農学部には、キシャヤスデの大量発生を研究する分野や雪の結晶を研究する雪氷学なども存在していました。チョウの種類や星の動き、あるいは数学や哲学の研究なんかも、直接「実利」を伴わないもののひとつだと思います。
 でも、それはふうたろうやふうたろうが関わっている人の誰かにとっては、非常に大切な事実を探る研究かもしれない。アスコルビン酸がお肌プリプリにするかもしれないコラーゲンを作るとか、キシャヤスデが環境変化の指標になるとか、雪質が雪崩の予測に役立つなどという実利と、そういう事実を知るという知的好奇心は、天秤にかけられるものではない。池内さんはそこを「知的好奇心や探求心から発する行為こそが人間を人間たらしめている根源ではないでしょうか」と述べているのだと思います。
 ふうたろうもまったく同感で、そういう科学というものの文化的側面をもっと大事にすべきだと思います。もし、科学が経済的実利のみで測られるなら、極言すれば、経済的実利のない衣・食・住以外の分野の開発そのものが必要ないのであり、それは結局経済規模の縮小に巡ってきます。
 ふうたろうの山登りや写真やこのふうたろう絵日記や道楽で学んだ化学などの類も、ふうたろうが栄養学的に生きていくだけならまったく必要ないけど、ふうたろうにとってはかけがえのない文化です。ある人にとっては電車の車両の種類が文化であり、ある人にとってはマニアックなアニメが、古銭のコレクションが、絵画の鑑賞が、ギターの弾き語りが、文化であり、それを他人が「実利がない」などと切り捨てることなんか出来ません。そして、それを切り捨てることは、自分の文化を否定するだけでなく、自分に実利をもたらしている経済さえも否定することです。…あなたの食べている米を作った人は誰ですか?その米を作っている人の日々を楽しいものにしているのは誰ですか?
 そういえばこの前、ノーベル化学賞を受賞したふたりの化学者がいました。人の名前は覚えない質なのでもう忘れましたが、炭素と炭素を単結合させて、より大きな有機分子を作り出すというものでした。あの時、新たな薬や農薬その他の有機化合物を作るのに大いに役立つ(った)ということがことさら強調されたけど、本当にそれだけでよいのかなと思います。もっと、その原理そのものや反応の存在そのものなどに注目してほしかった。ふうたろうにはむしろ、そちらの方がずっと興味深いですから。
 コラムの中で、池内さんはこう結んでいます。

 直接的には税金であり浄財であり対価ですが、(文化は)何より人々の支持が必要です。文化は社会の受容があって初めてその役割を果たせるのですから。そのために私たち科学者は、科学の内実や科学者の営みを伝えていくことに努力しなければなりません。
 役に立つことばかりが優先されると短期間の成果にのみ目が行き、地味で基礎的な分野や長期にわたる構想で作り上げる分野が軽視されていく危険性があります。文化としての科学ではなく道具としての科学、継承発展させる科学ではなく使い捨ての科学、公共財ではなく私有財としての科学となってしまうでしょう。今の日本は経済的に追いつめられているせいか、役に立つことのみが重要視されるようになりつつあります。その時代にこそ、文化としての科学を取り戻すことが求められているのではないでしょうか。

しんぶん赤旗 2010年12月1日 9面 より

 …実利がなければ研究ができない、などという貧しい社会には落ちぶれたくないものです。
 今日は気分が乗ったので、新聞の感想文などを書いてみました。


天気:晴れ(東京都板橋区・埼玉県所沢市)
覚え書き:大学芋・スマートフォン(買ってないよ?)

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