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最後の五月晴れ

2006年 5月 31日

 今朝の寝覚めはそこそこ。ただ、頭が少し痛く、僕も職場や本部の人がひきまくっていた風邪に少しやられたのかもしれません。
 今日は昨日までの5月の天気と違い、快晴でした。朝、半袖でも寒くなく、洗濯物をたたんで干し、体調は微妙ながらも飯を食べ、久しぶりに花の写真を撮って出勤できました。

 左はハハコグサ(キク科)、右はウラジロチチコグサ(キク科)です。
 今日も仕事は大忙し。昼飯前までは、待ち時間というものは存在せず、必ず何かの作業がありました。9件の野菜から農薬を抽出していたのですが、かなりを一人でこなしていました。でも、秒単位で次の作業を考えながら動くのは悪くありません。タイムトライアルでなかなか。結局、17時半にはすべて終了。まずまずの成績でした。

 仕事帰り、タイの食糧事情について書かれたブックレットを読んでいました。このブックレットは、筑波書房というところから出ている、「FTAとタイ農業・農村」という題名で、山本博史氏が書いたものです。この中で強く印象に残ったことがあります。

  1. 米価の暴落と大干ばつで収入を断たれた農民が、穀倉地帯を工業団地に造りかえる労働にかり出されたり、低賃金で働かされたりする現状
  2. アグリビジネスがエビやその加工品を輸出するために、内陸部の水田地帯の近くでエビ養殖場をつくり、塩害や水質汚濁を引き起こしている。それに対する禁止措置が執られたが、その措置に抵抗していること
  3. 同じく、アグリビジネスがトウモロコシを鶏の飼料用に日本に輸出していたのが、アフラトキシン(カビ毒)に汚染されて悪評が立ったのをきっかけに、現地で鶏まで飼育したものを精肉あるいは加工品にして輸出する体制に変わったこと
  4. タイ政府は日本に輸出に関する規制緩和(検疫体制など)を求めているが、その要求を出しているのは政府内にいるアグリビジネスの関係者であること

 東南アジアなどで作られたものが何故安いのか、見えてきます。僕が何日か前、100円寿司屋で食べたあのエビは、どの国から来たものだろう。その一匹一匹が非持続的な生産のもとで「製造」されているのでしょうか。それを食べた僕は、タイをはじめとする、抑圧された農民や労働者を虐げたことになるのでしょうか。
 …でも、卑怯だといわれるかもしれないが、なんか違う気がします。テレビの番組でも、「月1万円生活」なんてことで、放送していたりします。色んな広告も、安さをウリにして物を投げ売り状態。みんな少しでも豊かに暮らしたいから、それに飛びつきます。当たり前ですよね?でも、一方で、賃金の安さ、非正規雇用者数の増加、相対的に生活費を減らす社会保障の改悪、そんなことに目を向けられるような環境はあるでしょうか。「高くても国産の安全なものを食べたい」国民が多いという国の調査とは裏腹に、安物買いに走る国民。安い理由さえも知らされない国民。たとえ知ったとしても逃れられない自給率の低さや生活費の少なさに悩まなくてはならない国民。…そう考えると、何が国民を苦しめているのか、アジアの農民や労働者を苦しめているのか解ってくる気がします。
 国民が安いものを求める。確かにそうです。事実。でも、それで終われば、未来永劫、農民と消費者は分断されたまま。消費者が安いものを求める理由、アジアの農民がマングローブを潰してヘドロまみれの土地にしてまでエビを養殖をしなければならない理由、それが概ね同じであると思えるのは僕だけでしょうか。
 …一度でいい。この山本先生の授業を受けてみたいものです。
 みんなの食べるものが誰の犠牲もなく生産される社会。そんな社会を築きたいものです。

天気:快晴(茨城県取手市・東京都板橋区)

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