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不況と食の安心

2006年 6月 11日

 何日か前、一枚の葉書が届きました。それは、行きつけの常総生協井野店からです。中を見ると、店を閉めるとの内容でした。「供給高低下」とあり、経営が赤字のようです。「赤字発生がわずかな段階で撤退する」とのことなので、閉店は時間の問題です。もし、ここからこの店が無くなれば、どこから野菜を買えばよいのでしょうか。戸頭に常総生協はありますが、車を持っていない人間はまず行く気になれないでしょう。

 常総生協井野店は、場所が団地の裏にあり、人通りも非常に少なく、客の入りやすい条件にありません。それに加えて、青果、特に果物の値段は近くのスーパーに比べると2倍以上します。この常総生協では無農薬をかなり多く扱っているのですが、果物では無農薬栽培が特に難しいそうです。それに、安い外国産の農産物に圧されれば…。

 この常総生協井野店の閉店は、単に経営者と、安物買いの消費者の責任でしょうか。
 見かけは、運送や冷蔵の技術が発達したせいか、アスパラガスでも、国産の、地場産のそれと殆ど変わりがありません。栄養価に至っては、食べるまで判りません。ブロッコリーなどではビタミンCの量が少なくなるという実験結果もありますが、食べる価値が無くなるほどとは言えないようです。
 それでもなお、捨て置けない問題があります。ブロッコリーや玉葱など、最近輸入量が増えた青果物一つ一つが、どこの国で、どんな人が、どんな状態で作ったのかは判りません。その解らなさはもちろん「安心」感を無くさせるのですが、解っている分をいえば、現地の生産者が自分で作ったものを食べられない、ひどいときは餓死する、そんな状態であるとも聞きます。無理が通れば道理が引っ込むといいます。無理をさせて作った生産物が、たとえ化学的には「安全」であっても、社会的に「安心」であるかどうかは別問題なのです。
 外国産のものが安い理由が、労働力を安く買い叩くからという理由だけではないにしても、それが占めるウェイトは大きい。その人たちの生命を食い物にして、本当に安心なのでしょうか。
 多少高くても「安心」して買えた常総生協の野菜たち、もう会えなくなるというのか。悲しいことです。ここに卸していた生産者たちも、今後いったいどうなるのでしょうか。
 ところで、今までここの野菜を食べることができた僕はまだ幸せなのかもしれません。「高くても国産のものを食べたい」という国民世論とは裏腹にやっぱりスーパーの「広告の品」や「値下げ品」を求める人は多い。経済的に逼迫した生活が、無意識のうちにそうさせていると思えてなりません。そして、安ければそれでいい、高い人件費を掛けてまで日本の農家を守る必要はない、そんな考え方になってしまうのかもしれません。ここまで国民の所得を奪い、心を荒廃させた政治と社会が許せない。

 明日から仕事。この二連休、あっという間だった気がします。昨日の時の記念日も、あんまり大事にできなかったなぁ。

天気:くもり時々雨(茨城県取手市)

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