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辛抱と根性は自発的なもの

2011年 6月 29日

 今日は夕方からいつものやつの集まりがあったのですが、ちょっと拡大した集まりでした。会場(というほど大きなものではないですが)の前で待っていると、夏らしい、梅雨明け前らしい空が、遊座商店街の上に広がっていました。もう、夏なんだなあ、と。そして、夏至も過ぎたんだなあと。


 集まりで食べる料理は、定番のカレーです。普通にカレールウを使う、ベーシックなやつ。ふうたろう的には、脂の塊である(栄養士の参加者がいたので聞いてみるとでんぷんもかなり使われているそうです)カレールウではなく、スパイスの塊であるカレー粉だけを使って作るカレーを食べたいのですが。みんな、手間がかかるのではないかと、敬遠するんですよね。


 今日の集まりは、カレーを食べるだけの集まりではなく、「仕事と自分のこれから」などという大それた感じもしますが、そういうものを語り合うというものでした。
 ふうたろうがいるMS(マイクロソフトではないですよ)は、色んな人がいます。社会的に痛めつけられている人(厳密には痛めつけられていると自覚している人)が多いので、前提から話す必要なく、気楽に話ができるという良さがあります。
 ひとりひとりが何を言っていたかとか、どんな仕事(学生も含む)をしているのかとかまではここに書く気もないけど、みんな辛抱しながらがんばってるなあと、尊敬するし、そんな必要がないようになってほしいとも思うし。簡単に同僚が鬱病になったり、自分自身も続けたくなくなったり(病気になりかかったり)するような働き方(働かせられ方)はおかしいのです。辛抱根性などの問題ではありません。基本的な生産活動というのは、常に「辛抱と根性」でなんてやってられませんから。辛さがデフォルトの毎日は、辛抱と根性で切り抜けるものではありませんから。
 山に登るとき、雨に降られたり、急な坂にあえいだり、距離が長かったりと、「辛抱と根性」が必要な場面はあるし、ふうたろうもそれを前面に出して歩くことも多い。でも、山に登るときは目標―たとえば山頂であったり、下山後の温泉であったり、なにより大きな空や大平原だったり―があって、そのために、有限で自発的な「辛抱と根性」を行使するのです。企業原理で使用者が永続的に「辛抱と根性」を労働者に強いるのと同じにしないでもらいたい。汚らわしい(怒
 見えない未来に向かってがんばれる人はそんなには多くないし、疲れだけがたまるような働き方(働かされ方)をして続く人は病気にでもならない限りいない。
 …初めて会った人も何人かいたけど、話せてよかったです。やりがいがあるとビンビンにがんばっている人だけじゃなくて、毎日苦労しながら働いている人がいるというのは、ある意味救い、なのでしょうか。いや、願わくば、その苦労ができるだけ少なくなるようにしたいものです。全員が自分が100%望む仕事をできるわけではないのなら、なおさらですね。


天気:晴れ時々くもり(東京都板橋区)
覚え書き:納豆18号青大豆号完成

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