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津波は今も

2011年 7月 8日

 昨夜、大荷物を担いで板橋区グリーンホール前に集合し、ボランティア隊に合流しました。バスは凹凸のある東北道を通り、今はここ、矢本PAに到着。未明、どこかのSAで休憩していたら、早速地震発生。日常茶飯事になっています。
 しかし、ただ揺れるだけの小さな地震なら、むしろエネルギーの解放にもなるのかとか思います。一方で、ふうたろうのハラが…!ハラが痛いではないか。冷えたのか何なのか判らないけど、先が思いやられます。


 曇っているにもかかわらず蒸し暑い石巻市にバスが入り、止まりました。ここ、パッと見た感じ、何も変わりはないようですが…


 これほど蒸し暑いのに、植物の生育がどうも遅いようだ…?


 道路の隅には、ひび割れた泥のようなものが堆積しています。


 ここがボランティアセンター。ふうたろう、日本共産党板橋地区委員会のボランティア隊にへばりついてやってきています。何気に、バスで隣で寝ていたのは、区議会議員という件。っていうか、後ろと左右が議員だったという件。左にいたM議員がおもしろかったという件。


 壁や柱を見ると、腰の位置くらいまで水面が上がってきたような跡が見えます。


 後で聞いた話だと、このあたりは、4日間ほど水が引かなかったらしい。


 ボランティアセンターの裏の駐車場の草、ギシギシでしょうか、そのまま立ち枯れています。でもこれは、駐車場に撒かれた除草剤の影響でしょうか。


 荷物の積み込みが始まりました。板橋区で集めた支援物資だけではなく、色んなところからも集まっています。そして、今日積み出す物資もここにあります。


 軽トラの荷台にいるM議員。妙に似合ってますよ。


 ふうたろうも乗り込んでいましたが、なんか、あとから上がってきた人が仕事を持っていってしまいました。


 ふうたろうは力仕事がいいですね…と思ったら、この横断歩道のど真ん中で、潰れかけたジャガイモの箱が崩壊して、幾ばくかのジャガイモをぶちまけてしまいました。こんな潰れた箱のまま運ぼうとしたのがそもそも間違いという。


 荷物を積んで出発。北上川を渡ります。何だか、水面が妙に高いように感じます。


 橋を渡ると、いよいよ出てきます、津波がもたらした廃墟。


 どうも、今日は泥かきなどの仕事はないようです。被災者に物資を届け、話を聞くことが仕事のようで、とりあえず県営住宅と呼ばれるところに出かけます。


 早速荷物を広げます。既に物資を待っている住民がいます。近くのスーパーが被災して、買い物に行こうと思えば7km離れたところにあるジャスコまで行かねばならないらしい。津波で車を流された人も多いのです。


 車と住居は、ローンを残したまま流され、あるいは破壊された人が多くいます。ここでは、そのローンを開放する(国で買い取る)という署名も集めました。
 ところで、ここでその署名を集めていると、積極的に書くのは、やっぱり被災した本人です。「私はそういうのないから」という人は殆どやりません。見ていて、はっきり言って気分の良いものではありません。中身に賛同しないわけでもなく、署名が嫌いなわけでもなく、自分に関係がないという理由でやらないのが、ね…。
 そのあたりをあけすけに語っていた被災者もいました。
 「みんな他人のことなんて知らんぷりだよ。みんなこうやってもらいに来るだけもらいに来るんだ。」
 …よく判ります。でも、それを嘆いてもしかたのないことかも知れませんね。ふうたろうは、署名を集めるとき、困っている人がいることを伝えることが重要なのだと思いました。
 あとの感想交流では、実はこの話だけはしていません(ただ忘れていただけなのだが)。


 人が集まってきました。列に並んでいる人に署名を求めます。さっきのローンの署名以外にも、脱原発の署名も集めています。それに加えて雑多な要望も集めているので、大雑把にいって聞くことが3個もあります。こんな大勢の人、捌けるか。ローンの署名ひとつに絞って、要望を片手間に集めるとか、一点集中して活動すべきです。
 それはともかく、来る人は共産党関係の人ではないので、署名する人の方が、恐らく少ないでしょう。…っていうか、物理的に話ができた人の方が少ないでしょう。
 まあ、とりあえず、いいんですよ。まずはここにあって、使えるものはみんな持っていってください。主義主張はそれからでも遅くない。


 助かっている、その様子さえわかれば、この活動には意味があるのかも知れませんね。
 ふうたろう、たったこの1時間ほどのために来たことになりましたが、まだ力が余っている感もありましたが、来てよかった、と思います。


 ボランティアセンターに戻るときに、町の様子をさっきよりも少し注視していました。どうも、あの看板、落ちているみたいです。


 この北上川の左岸が津波の被害がより深刻なようです。


 ボランティアセンターに戻ってきましたら、とりあえずさっきの余りの荷物を整理して、昼飯です。ふうたろうももう若いとは言えないけど、一応若者のふりをして、「若者5人組」として一緒に集まっておりました。
 それにしても、開いているのは吉野家とかすき家(こんな字だっけ?)ばかりで、地元の店は…
 吉野家におカネ落としても地元の経済はどれだけ潤うのやら。もっとも、その吉野家も大混雑で(他のボランティア参加者で)入ることもできなかったのですが。


 結局、ちょっと離れたところに見えていたセブンイレブンを見つけ、そこでコンビニ弁当(ふうたろうはエビリゾット)を買って食べることに。
 そうそう、農協には必ずこのTPP反対の横断幕があるのですよ。情勢があの時とはがらりと変わったので、どうなるのか判らないけど、一部のカネ儲けのため「だけ」に無駄にエネルギーを使う交易なんて要りません。


 13時15分より、石巻市の破壊を「視察」することになっています。宮城県の元県委員長(日本共産党の)だったかな、先導してくださいます。曰く「実際に目で見てもらうようにしています。」だそうです。ふうたろう、それも今回の参加の大きな目的ですよ。
 これは、早速水に浸かった田んぼ。さっき活動していた拠点付近も水没しましたが、今は人が行き交っています。しかし、このあたりは何だか少し違う感じがします。


 農地の中に、車やら倉庫の破片やらが散らばって、そのままになっています。ここが再び農地に戻るのは、いったいいつなんだろう。この土はいったいどのくらい塩分を含んでしまっているんだろう。


 ふうたろう、このあたりの地理はまったく判りませんが、どうも、女川に向かっているようです。まさか、あの女川原発があって、テレビでも壊滅していた、あの女川町か。
 しかし、ここはまだ丘ひとつ隔てた場所。まったく津波の被害は受けていません。しかし…


 その丘を越えた途端、瓦礫の続く死の街が広がり始めました。


 この破壊は壮絶です。バスの中から、しかも通路側から見ているので、写真を撮るのは相当大変ですが、となりのOさんの真ん前を失敬しながら、撮ります。


 テレビでも見ているせいなのか、それとも、感覚が元々麻痺しているのか、実は、驚いているようなふりをしつつも、ふうたろう、意外と冷静に見ていました。


 ここは女川町の高台にある病院の敷地から撮っています。後ろにどうやら車が繋がっているので止まれなかったようで、中途半端な撮影です。
 あの右に見えているビル、4階建ての上に屋上があります。4階すべて、壁がなくなっています。


 あの中央の茶色のビルのすぐ左奥には、何と6階建てのビルがあります。そして、そのすべての壁が抜けています。誰も、あそこに登れば助かると思ったでしょう。


 鉄骨だけになった建物。この建物は、「車検受付中」と書いてあるから…自動車工場、だったのですかね…


 このビルは、津波の押し寄せる勢いで倒れたものです。このビルは見た感じ4階建て。4階が水没すると思う人はいまい。きっとこの上に逃げた人もいただろうて。ビルが倒れたあと、その人たちがどうなったかなど、想像したくありません。


 このビルは、さっきのビルとは逆方向、というか違う方向に倒れています。引き波に依るものでしょうか。そして、このビルは、2mほども打ち込んでいる杭ごと抜けています。しかも、ぜんぶ。地震の研究者がこれを残せと言っているそうです。災害対策に使うのでしょう。


 バスの中で動きながらの写真はつらすぎます。揺れるし、窓枠は入るし、ガラスに反射するし。一度下ろしてくれと要求しました。
 ということで、一度下ります。38人の参加者のうち、半分くらいは下りていたかな。中には、見る気がしないとか、住民感情があるからとか、言っている人もいましたが、ふうたろうは、原水禁大会や登山、その他あらゆるところでやっていることと同じ事をするまでです。誰かに要求されたからとかじゃなくて、ちゃんと自分で、画像として残しておきたい。


 …ここ、よく見ると、緑色になっています。最近まで水が引かなかったのでしょうか。そういえば、石巻市内でも満潮時に街が水没していて、最近になってポンプを稼働させて落ち着いたと言っていました。大きいところで110cm以上地盤が沈んだと言っていましたか。


 手前、砂利になっていますが、あちら側は港です。どうも道路のアスファルトの上に砂利を敷いているのようなのですが、さっきの緑に苔生した砂利を見ると、水没したままで作業がまったくできない状況だったのかも知れませんね。


 アスファルトも剥がれています。いったい、この女川では何が起こっていたんだろう。平らなアスファルトを剥がすほどの力?力は水平にかかるはずなのに?ビルをなぎ倒すほどの波の力、なのか。


 この、一見無事な建物、屋上まで水に浸かっているようです。窓はすべて破れています。基本的に、あの病院のある高台などに逃げられなかった人はみんな…


 ふうたろうたち一行は、女川をあとにしました。まだ撮り足りない気もするけど、ふうたろうごときこれで十分かも知れませんね。
 ここは、海に面していながらも、何らかの加減で津波の被害が全くなかった場所だそうです。理由を説明していた気もしますが、覚えていません。ただ、周囲は波が越えて来られるような場所がなさそうです。


 海岸沿いを走り続けると、今度は水産加工施設の壊滅を見ることになります。日本共産党委員長の志位和夫は刺身と寿司が好きだと、漁業関係者の前で語ったそうですが、ふうたろうも魚は大好きです。放射能の問題も乗り越えねばなりませんが、また魚が食べられるように願います。復興は国の援助の下、漁師たちの自治で行ってほしい。


 更にしばらく進むと、瓦礫の山です。これは行き場を失った建物の廃材などの諸々の瓦礫が、校庭などに積み上げられているのです。これはもはや、空襲や原爆で残らず破壊された痕なのではないかと、見まごうほど。


 確か、このあたりは門脇地区と言っていた気がします。このあたりからの破壊は、非常に広範囲に亘っています。この住宅は、当然3階までぜんぶ窓も破れ、息の根が止まっています。


 遙か彼方まで続く死の街。バスは激しく揺れ、写真がまともに撮れません。


 ここでは少し時間が取られていて、下りることができました。
 あの建物は、門脇小学校、といっていましたか。津波の後、火災も発生し、黒こげになっています。災害発生当時、机などを渡して、何とか向こう側の高台に避難して、助かったとか。


 どこから流れ着いたのか、カボチャかズッキーニかが、花を咲かせています。誰かの家の冷蔵庫のカボチャが腐って種が芽を吹いたのか。ゴミから流れてきたカボチャの種が発芽したのか。確かにこいつはこの廃墟の上に根を下ろしている。


 遙か彼方に石巻病院。あの建物、上の方はどうも無事な様子ですが、この様子だと、やはり下層の被害は甚大だったでしょう。多くの医療機器も失われたに違いありません。


 いつからここにいるんだろう。宮城は楽天だけど、この人形の服はソフトバンク。主よ、どこに行ったのだ。


 視察が一通り終わりました。ふうたろうはここでボランティア隊から離脱です。石巻駅から随分離れたところで下ろされたけれども、まあ、構いません。要は着ければいいんですよ、着ければ。
 ふうたろうは、これから気持を切り替え、向かうところがあるのです。


 ここは仙台駅。ふうたろうはこれから更に北へ、海を潜り北海道へ向かいます。


 さて、ふうたろうがただ旅行をするために北海道くんだりなんて行かないので、行き先はひとつ、山でございます。
 ふうたろう、ずっと前から目を付けていた、東日本パスとコロプラ北海道乗り放題パスを使って行くのです。
 しかし、そこはさすがふうたろうの旅です。目一杯罠が張られています。仙台駅のJR北海道プラザの窓口のお姉様、有効な切符を発行するまで1時間かかっていましたよ。裏にいる上司や、話によるとJR東日本の担当者にまで電話して、乗車券の研究していたようです。ふうたろうが指摘した特急券と急行券の間違いとかもあり、さぞかし、重労働だったことでしょう。
 一通り発行した後、「こんな使い方する人いないんでしょ?」と、ふうたろう。「そうですねー、いないですねー(笑」と係のお姉様(何
 ふうたろうは、妙に勝ち誇ったような気分になった(何
 それにしても、津軽今別~蟹田の特急券って何だよ。


 新幹線を1本遅らせて出発。19時過ぎの東北の空は、もう鮮やかな夕焼けです。山の上で見たいところですなあ。


 思えば長かった今日が終わろうとしています。


 いや、実はまだ終わってないよ。これから、青森まで行って、急行はまなす(自由席)に乗らなきゃ。明日愛別まで行かんとならんのですよ。


 というわけで、はまなすの自由席に座りました。あとは寝ていれば札幌に、6時過ぎに着くという算段です。


 長かった。非常に長い一日でした。
 思えばあの廃墟は、見た今でも何となく実感を伴わないような感覚です。でも、確かに、津波があの街を襲い、10000人以上の、名のある人々と生活を奪った。ふうたろうにはやっぱり想像を絶します。
 そして、ふうたろうは、北海道に向かいます。雨の気配を感じながら、天塩岳と樽前山を撃破しなければなりません。


天気:くもり時々晴れ(宮城県石巻市・牡鹿郡女川町・仙台市、移動中は含まない)

  1. ☆Pegasus☆
    7月 14th, 2011 at 09:32 | #1

    あれから3カ月、未だこんな状態だったとは・・・

    ビルごと倒れたり、

    屋上まで津波が来てたり・・・

    それが現実だったとは・・・

    辛すぎます。。。

  2. ふうたろう
    7月 14th, 2011 at 14:30 | #2

     まるで、原爆を落とされたか空襲されたかのような光景でしたよ。
     ふうたろうはテレビでは見ていたので、思いの外驚かなかったのですが、まさに水に街が呑み込まれていく姿を見た人たちは、驚き、では済まなかったでしょうね。
     しかし、6階建てのビルの上まで波に呑まれていたとは思いませんでした。これでは、誰も逃げられません。

  3. みゆ
    7月 14th, 2011 at 21:46 | #3

    門脇小学校は、近くの自動車が引火して学校が全焼しちゃったらしいね;
    消防隊が救助を優先するために、消火活動を諦めたとか・・・。

    私も石巻へ行ったけど、原爆が落とされたときの写真とほんとにかぶる。
    こういうところがまだ沢山あると思うと、胸が痛むよ。

    ふーちゃんのこの記事URL、twitterとかで拡散してもいい?

  4. ふうたろう
    7月 14th, 2011 at 23:09 | #4

     そうなんだ。自動車がね…。
     気仙沼は石油のタンクだったかな。水と火の両方で攻められるのは、正直ゲームの世界だけだと思ってた。でも、現実だったんだな。

     そうだったね、原爆みたい、って言ってたの、みゆちゃんだったよね。俺もテレビで見てそう思う以外なかったけど、あの原爆と違うのは、範囲が桁違いに広いこと。半径10kmでは済まないことだよな。放射能は福島原発で十分すぎるほどだし、人災と天災のコンボでここまでひどい目に遭えるのかと思うよね。
     俺、最近東北の山に行ったから、被災した人とも話したし、この日記を見て被災者から直接メールが来たこともある。直接話を聞くと、返す言葉も出ないよ。

     twitterはURL公開してもいいよ。元々全体公開だからね。ただ、コメントは承認制だけどね。
     それから、誤字は直しといたよ(消化活動→消火活動)。

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