Home > ふうたろう活動日記 > 普天間(難)

普天間(難)

2011年 9月 13日

 ふうたろうらしからず、今日は観劇に行きます。MERUNのパンを3個買って、そのまま目白駅までチャリダッシュし、紀伊國屋ホールの入り口のところで喉を詰まらせそうになりながらタマゴサンドイッチをねじ込み、それと同じようにふうたろうも劇場にねじ込まれていきました。猛烈に混んでいます。
 今日の劇は、『普天間』。そういえば、民主党が政権交代するという前後に、普天間基地の移設の話が上がりました。鳩山から菅へ変わってからというもの、その話なんて忘れてしまっていました、ふうたろうも。でも、現地の人にとっては、その問題は日常なのですよね。東日本大震災の被災地で現地の人がそうであるように。
 日頃ろくに勉強もせず、鬱オーラを放ちながら日常を過ごしているふうたろうも、たまにはこういうところで思いを馳せるべきです。
 さて、沖縄の米軍基地の普天間基地を題材にしただろうこの『普天間』、何を伝えようとして、何をふうたろうは感じられるのかな?


 2004年8月13日14時18分…と言っていただろうか、沖縄国際大学に、米軍ヘリが墜落した。そこから始まった普天間基地の話。
 サンドイッチ(ホットドッグ?)の引き売り軽トラックを走らせながら、そこに集まる人々で、米軍や沖縄戦などの会話が続く。宜野湾市にある普天間基地は、米軍が占領下で、そこに住む人々の家をブルドーザで壊して作られたと。
 …ふうたろうはそれをもちろん見たこともないし、この劇で紹介されたことで初めて知るようなレベルです。
 米軍基地にはひとつの町のような施設が多数作られ、家賃も25万円まで補助が出(劇の中での台詞)、部屋が湿気るからとエアコンも付けっぱなし、何というか、至れり尽くせり、という次元ではない。
 もっとも、米軍が良い思いをしているだけであればいいのだけども、その米軍が何をしているかというと、飛行訓練による爆音は日常茶飯事(よりも多い)で、交通事故や傷害暴行事件は起こしまくる。しかし、治外法権レベルの屈辱的な扱いで、刑は軽い(らしい)。
 後半になると、具体的な話が出てくるようになる。
 ある高校生の女の子が、「アメリカの独立記念日は外を出歩くな」といわれて家にいた。しかし、そこにアメリカの兵士がやってきて、レイプ、である。想像したくもない。あまつさえ、妊娠までして、堕胎し、それでも黙っていたけど耐えられず、高校を中退していなくなった。親は、警察で、「なぜ鍵をかけておかなかった」と責められたという。
 アメリカ兵が起こしている殺人や傷害事件は、これだけでは、もちろん、ない。ふうたろうが知っているだけでも、いくつもある。


 え?アメリカの抑止力?
 ふうたろうは思うんだけど、何からの抑止力なんだろうかと。あるのかないのかよく判らない「抑止力」よりも前に、沖縄の住民が殺されている。あるいは、爆音の中で暮らし、土地を奪われ、麻薬のような経済的隷属状態におかれている。
 劇中にも出てくる言葉なんだが、「原発の話とそっくり」なのだ。原発の「安全神話」は、恐らく、米軍の「抑止力」に相当するものなのかな。原発は絶対安全。米軍は日本を守っている。でも、原発は福島第一原発が嘘を証明したわけだし、米軍の「抑止力」も、ベトナムやイラクなどへの出兵に使われた歴史があるくらいで、その「抑止力」の害は沖縄県民(あるいは基地周辺住民)に向かっている。
 え?東日本大震災で助けてくれた?
 それくらいやってもらわないと、カネを払っている意味さえない。それに、彼らが軍事演習と称して、沖縄を脅かしていることの償いにはならない。必要悪とすら言えない。そもそも、諸外国から頼りがいのある救援隊はたくさん来たではないか。災害救援を目的とするのであれば、夜間飛行訓練なんぞ必要ない。日本国民を守るものなのであれば、沖縄県民に危害を加えるような存在なんぞ必要ない。
 抑止力?寝言です。


 …しかし、この劇を見ていて感じるのは、劇と言うよりも、形を変えたパネルディスカッションというか、学習会みたいであるということ。台詞だけで実情を伝えようとしすぎていると思うのですな。それぞれの役が喋る台詞もかなり唐突だし、話の進行もあるような、ないような。劇としてみれば、何となく物足りないという感想を、ふうたろうは持ちました。この劇が、「劇」という特性を生かし切れた作品だったのかというと、疑問が残ります。
 ただ、メッセージ性は100点。最後の、「占領しているアメリカが悪いのではない。人に対して無関心であること、愛情を持たないこと、そういう現状を容認していることが問題なのである。」という言葉は、まさにその通りです。
 一方で「容認しないこと」というのがどういう態度を意味するのかははっきりしません。気持ではいつも米軍なんか要らないと思っていても、自分の力が、無くす方向に向かわせるとさえ思えない。そこですな。
 …ふうたろうは、登らなければ良かった山はひとつたりとも存在しないという確信がいつもあります。そしてそれは、この劇にも言えることで、むしろ見て良かったと思います。沖縄に直接行って見聞きし、原水爆禁止世界大会のようにこの日記で写真付きの報告をしてみたいとも思うようになりました。
 念のため、ふうたろうは、劇や映画などは、役者の知名度などどうでも良いと思っています。有名な俳優が出ていなくても、中身がおもしろそうで、無名でも優秀な役者が見られればそれで良い。時間があれば、こういう「本物」の作品は何度でも見たいと思います。山道のように、「それだけがすべて」を貫くようなものを、ね。


 →「普天間」のページ


天気:晴れ(東京都板橋区・豊島区・新宿区)

Comments are closed.