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結婚、ねえ…

2011年 11月 16日

 体調の悪い平日が続きます。体調というか、恐らく非生産的な平日のストレスで脳の活性が落ちているんだろうなあ、と思ったり思わなかったりしますけど。
 …家に帰ってきてから、有効活用落花生を、納豆にしてみることにしました。方法はいつも通りでいいだろ、この際…。水を吸わせて、蒸して、納豆菌を植えて(熱いうちに)、24時間ほど発酵させて、という。


 ところで、今日、ある友人からはがきが届いていたんだけど、どうも、離婚してしまったらしい。ふうたろうは結婚したことはないし、あってもせいぜい依存的な関係が切れる程度なので、そんなに大層な「別れ」は経験していないので、辛さを知らないけども。
 Mariさんと別れる前に、少し結婚については考えた。結婚というのは、いったい何のためにするんだろうな。誰のためにするんだろうな。
 子どもと一緒に暮らしたいからか、家族を持ちたいからか、現実的に言えば生活を支えるためなのか。踏み切れない気持でいる農業を、ふたりでならできるかも知れないという甘い期待はあるけど、同じように考えていた山が一人で行けていることも思うと、農業も単純に自分の意気地がないだけだと思わなくもない。ともあれ、結婚が自分にとって何のためにするものなのか、判ったものではない。
 もう一つの、誰のために、ってやつだけど、相手のためにってことはないだろう。親のためってのもバカバカしい。世間体とか、アホかと言いたい。自分の人生は自分が生きているのだ。したくもないのに誰かのために結婚なんて、人生の墓場決定だろうとしか思えない。大層なカネをかけて披露宴をし、タキシードだのウェディングドレスだのに絡まって、ホテルの大して美味くもない捨てるほどの料理を前に人々が並び、狭い薄暗い建物の中に休日の真っ昼間から人々がひしめき合う。ふうたろうの価値観に真っ向から反するものだけを抽出して濃縮・再結晶させたものが、最も祝われるべき場所に陳列されているなんて、この世の地獄だ。
 着心地もいいとは想像できない衣装に素速さを下げられるくらいなら、山の装備に身を纏ってキャンプしながら祝ってもらいたい。捨てるほど大量の食料を並べられるくらいなら、自分たちで食事を準備してそれをみんなで楽しみたい。ホテルの中で休日の真っ昼間から過ごすくらいなら、浜辺や草原で青空弁当パーティーでもやった方がいい。その方が、カネも時間も労力も食料も、無駄にしなくて済む。何でみんなあんなものをありがたがるのか、まったく以て判らない。
 結婚から話はずれたけど、それ自体はその後の人生を左右するものだとは思うが、それが本人にとって最善だとは思わない。思えばあの白神岳に行ったときに小屋で話した、小学校の先生になろうとしていた彼女も言っていた。今はクラスの何分の1くらいかが片親だと。
 ま、こんなこと言ってるから、逃げられるんだろうねー(黒笑
 …あれ?なんかこないだも同じ事言ったような気がするけど(笑


天気:快晴(東京都板橋区)

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