Home > 雑談 > 山との一期一会

山との一期一会

2011年 12月 13日

 あの、地獄の奧茶臼山の地図です。
 小沢橋バス停、地図で見てもしらびそ峠登山口より随分下です。奥茶臼山から栂村山までも、けっこうな距離です。それから先の車道歩きも果てしないです。
 とりあえず、終わった後は燃え尽きていました。

より大きな地図で 奧茶臼山 小沢橋バス停~大河原バス停鬼畜コース を表示


 ふうたろう、山に登るようになってから、本当に全国色んなところに出かけるようになった。高校生までは長野県より東に行ったことがなく、行く場所も限定的だった。大学生になってからは、若干行動範囲が広がり、東京、福島、栃木、長崎など、ほんの少し、それまでよりも行くところが増えた。
 でも、その行動範囲の広がりは、今思えば殆どが受動的な広がりだった。まるで、濃い塩水の塩分が薄い部分に自然に広がっていくような。それは、ふうたろうの山に対する思い入れに呼応している。当時は科学・学問に燃えていたこともあった。それをやるには相手がいることも解る。でも、何かが違う。
 当時、山に一人で行くなんて考えたこともなかった。日本百名山なんてものの存在なんて知らなかった。山の何が好きなのかも解らないくせに「山が好きだ」なんて何の恥ずかしげもなく吹聴して回っていた。
 あれから10年以上が経った。ふうたろうが小さい頃、それでも年に何回かは通っていた場所の近くにも、たくさんの山があることを知った。それは、単に「存在だけを知った」というのではなく、自分が登る対象であり、関わっていく対象が、そこにあることを知ったのだと思う。
 例えば、中学・高校で登っていた山は、大阪を中心とした低山だ。金剛山や大和葛城山、二上山、六甲山、洛西愛宕山、比叡山、高野山、岩湧山、犬鳴山…
 確かにこれらの山はみんな登った。歴史上、確かに登った。でも、まともに記憶している山は、この中でひとつでもあるだろうか。記憶が古いから、という理由もあるだろうけど、いちばん大きいのは、山に登りながらも関わっていなかったからだと思う。そこの自然を見たか?空を眺めたか?花の名前を覚えたか?あらゆる感性を働かせてきたか?友達とお喋りをする時間くらいにしか考えてなかっただろう?中学生の時にいたっては、一切の記憶がない。恐らく、毎月行っていたはずなのに。
 今は、自分で地図を見て、どんなところか想像して楽しみ、行き方を研究し(交通手段からね…)、行ってからも歩くこと、見ること、聞くこと、触れることに集中している。それを一人で、恐らくたとえ二人でも、やるだろう。そこにいられるのは、これが最後のチャンスだと言わんばかりに。人で言えば「一期一会」に近いものかもしれない。だから、マイナスの感情が湧いた山でも、決して忘れたくない、ないことにしたくない。ふうたろう絵日記と写真は、欠かしたくない。
 山に対してまっすぐ関わっていると、下界に対する関わり方も変わる気がする。いや、変わった。山が山だけでは存在し得ないことを確信した。山は地の積み重ねである。山は自然のままでは登れないので、人が登山道を造ったり、ロープを張ったり、そこに「経済活動の成果」を持ってきて初めて山は「登る対象」になる。だから、山を登るには、山を支える土地と人の営みとを支える必要がある。それを、ふうたろうが登ってきた山々は伝えてきたし、ふうたろうはほんの少し、それを受け止められるようになってきたと思う。
 毎年のように通った九州の婆ちゃん・いとこたちの家が大分県宇佐市にある。海や山が近い、田舎である。40kmくらい南下すると、温泉で有名な別府市がある。しかし、そこに由布岳や鶴見岳があって、冬にはあれほどの吹雪になり、冷たく輝く樹氷ができることを知らなかった。愛媛県にも親戚がいてワラビ採りをよくやっていた。でもそのそばに、岩壁が聳え、笹原の風が気持ちいい四国山地があることを意識したことはなかった。
 目的が見えるというのは、人間を強くする。何となく旅をするのがいい、といわれることもあるようだけど、ふうたろうはそれは少し違うと思う。狙うものがあるから、対象に焦点が合うのだと思う。昔のふうたろうは、狙うものが何なのかわかっていただろうか?少なくとも、今は個性豊かな山々の姿にふれあい、その地に住む人と話をし、営みを見るという狙いがある。ふうたろうは、それが「強い」ことを意味するのかどうかは別にしても、間違いなく幸せだと思う。中学・高校であれだけ大勢の人を連ねて通った山よりも、一人で血眼になって通い続けている山の方が、ずっと幸せだし、寂しくない。そう、現実を見てみても、今の方がはるかに応援してくれている人が多いではないか。

天気:晴れ(東京都板橋区)

  1. ☆Pegasus☆
    12月 15th, 2011 at 11:25 | #1

    何故だか感動して、ちょっとウルウルだったり(・_;)

  2. ふうたろう
    12月 15th, 2011 at 11:42 | #2

     たぶん、10年後、今を振り返ると、また違った思いになるんでしょうね。どうなるんでしょうね、10年後。

  1. No trackbacks yet.
Comments are closed.