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写真と自分の視野

2012年 10月 3日

 このところ、Facebookで300名山の栄光に浸っているのですが、その内実は過去の山々を一つ一つあげていくことです。そんなに大昔という気もしていなかったのですが、いつの間にか一番古いもので6年前。あの決死の覚悟だった利尻富士は5年半も前の話。オンネトーが美しくてたまらなかった雌阿寒岳はもう4年半前。何度引き返そうかと思った幌尻岳は3年前…。
 「年」というのはその響きだけで長く感じます。
 そして、過去の栄華に酔いしれるためには写真を見るわけです。しかし、その過去に撮った写真というのは、いやこれがまたひどいものです。当時のふうたろうなりに良いと思っていたのだから仕方ないのだろうけど、山頂しか見ていない、山の稜線しか見ていない、とにかくほどよいさりげなさがない、欲張っている、など、くちゃくちゃなところがね…。
 この1枚目は2007年5月1日の利尻富士の写真。ローソク岩と南峰を一緒の枠に入れようとしているけど、二兎を追う者は一兎をも得ず、両方とも撮れていない。もったいないね。


 これは2008年5月2日の雌阿寒岳。やっぱり見ているのは山頂だけ。ま、この年の11月、中央アルプスに蹴落とされたときにふうたろうが吐いた言葉、
 「今回で判ったのは、楽とかキツいとかを基準にすることではなく、行きたいところを押さえるコース設定をすることが大事だと。おとなしく、ロープウェーで千畳敷まで行って、木曽駒ヶ岳近くのテント場で昨日の夜を明かせば良かったのだ。」(2008年11月23日)
 これを見れば、いかに根性も山を見る目もなかったかがよく解る(ぺっ


 3月に気が狂って(本当はずっとおかしかったけど)そのあと、あらゆるものに強烈な不信感と恨みを抱えながら向かった、2009年5月4日の幌尻岳。
 …この写真を見ても、やっぱりまだ山頂と稜線だけしか見ていない。山頂は当然百名山制覇にとっては重要だけど、それだけじゃないってな。
 この時は職場をとっとと離れるために百名山だけは終わらせて、次の仕事を探そう、なんて思っていましたっけ。焦ってたんだよねー?
 しかし、視野が狭い写真とは、ひどいものだ…(滅


 2010年5月5日。暑寒別岳から群別岳などを見ている風景。4年目になれば多少視野が広がるか?
 写真の取り方のこつをどこかで学んだことは大きかったとは思います。少しだけ、視野が広がった気がしますか。でもまだこの頃、百名山撃破のために突っ走ろうと躍起になって、月山・羊蹄山とダブルで蹴落とされてかなりへこんでいましたっけ。
 躍起になるのは良いけど、あわてても登れないものは登れない。山はそういうところ、容赦しませんから。


 2011年2月20日。岩手県の五葉山。
 2010年に必死になって登りまくって百名山はクリアしたけども、結局300名山撃破の旅に移ってしまいました。
 2010年、多少の雨や悪天候くらいなら楽しむ余裕は生まれたか。本当に毎週欠かさず連続攻撃で百名山撃破劇を演じましたね。この2010年に、山に立ち向かう根性がようやくついてきたかと思います。継続することの意味、踏ん張る意味を理解した?
 この写真を見ると、だいぶ山そのものを見るようになった気がしますね。


 そしてこれは今年の2月18日。静岡県の黒法師岳~高塚山の雪山縦走。
 300名山を撃破するということは、車を運転しないふうたろうにとってはかなり厳しい壁です。アプローチは人の何倍も長くなるし、誰も寄りつかない登山口や、登山口でさえないところを使うことだってあります。車道歩き10kmとかざら。イヤでも山頂以外のところも見るでしょうし、そこに思わぬ発見があることも知ったでしょう。
 写真のファインダに収めたいものにも、自分の欲しいものの優先順位を付ける癖が、多少つきましたか?山頂だけしか選ぶものがなかった時代より選択肢が大幅に増えましたか?


 写真を見るだけでも、自分の視野が変化しているのは何となく判るような気がします。このふうたろう絵日記も、昔は山行日記でさえも、今日の日記よりずっと短かったし、内容も薄かったでしょう。リキだけ入って薄い。ま、今の日記はネタ作りに励んでいるような気もしますが。
 ふうたろうは芸術とかはさっぱり判りませんが、写真を、自分を映し出す鏡だと思って撮ってみられればと思います。


天気:くもり時々雨(東京都板橋区)

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