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価値観の相互理解とは

2006年 9月 29日

 今日も新聞記事。どうしても、自分に引き寄せて考えたい問題だったので、取り上げようと思いました。
 実はこれは、日本共産党の野党外交の一つでもある、韓国とパキスタンを党代表団が訪れたお話です。いつもはこういう記事は読みませんが、今回は特別でした。
 韓国やパキスタン、特に、イスラム教のパキスタンは僕ら日本人とはまったく文化が違います。それでもイスラム教は一つの宗教だからまだ理解は出来ます。でも、パキスタンは核兵器を持っています。日本共産党は核兵器の廃絶を先だって推し進める政党です。本来なら、批判してしかるべきと思ってしまいます。
 ところが、そうではないんです。以下の志位委員長の発言に僕は目を剥きました。

C委員長の発言

 わたしは、唯一の被爆国の政党の代表として率直に要請します。パキスタンがどういう論理で核兵器保有にいたったかについては認識しています。また私は、パキスタンに一方的に核兵器を放棄せよと求めているわけでもありません。(中略)私が求めているのは、(中略)核兵器廃絶に向けて、核保有国として、また核保有国だからこそ出来るイニシアチブ(註:先導)を、パキスタン政府が発揮してほしいということです。(以後略、引用終わり)

『しんぶん赤旗』2006年9月29日付

 …この微妙な意味を理解できるだろうか。「核を持っているパキスタンは敵」だとするか、「核を持っているけど仲間か敵かという問題とは別」とするか。ちょっとニュアンスが違うかもしれません。
 しかしどうあれ、この共産党の態度、パキスタンの首脳たちにはかなり好感を持って受けとめてもらえたそうです。もちろん、核廃絶に向けて努力をするという意味で。
 きっと、訳も聞かないで、理由も勉強しないで、ただ頑なに「核を廃棄しろ」なんて言った日には、この外交はそこで終了していたし、恐らく、核廃絶に向けて努力する態度なんか望むべくもなかったでしょう。

 …僕がこの記事のことをここに書いた理由は、その態度に学んで自分も行動してこそ、人とのつながりが豊かになると思えたからです。人間として、人間の集団としての関わりを教えられました。今の僕のレベルは、「価値観の相互理解」なんて段階ではありません。
 かくいう共産党も、野党外交が始まったのが1999年頃。まだ7年。最初は「当たって砕けろ」的なものもあったそうです。いったい、その壁を打ち破ったものは何だったのか。ううむ…。詰まるところはそこですね。
 ともあれ、良いものを読ませてもらいました。志位委員長は、アジア政党会議や韓国・パキスタン訪問でだいぶ楽しそうな感じでしたし、その生の感情の伝わる文章自体、幸福度の高いものでした。おっと、ある意味、癒し系か。

天気:くもり(東京都板橋区・茨城県取手市)

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