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みんなと、お別れだね

2015年 9月 14日

 通夜が終わった今日は、告別式。何時から何が始まるのか、実際のところ混乱気味です。何時までにどこに行けばいいのか‥とりあえず、ちょっと散歩‥。


 こういう時だからこそ、日常のことを‥
 ‥なんて言ってても、ふうたろうがもし家族を持ち、その誰かが死んでしまったら、そんなこともできないのかもしれない。あるいはこれが、年齢も近く、一緒に遊んだ思い出いっぱいの従姉妹たちだったら‥
 結局、ふうたろうの、「実感がわかない」とかいうのは、情の強さなのかなぁ‥


 告別式が終わって出棺です。ふうたろうが今年1月、Ingressで宇佐市内のローソン巡りのMissionをやった時のルートとほとんど同じところを辿って、院内町の奥の方まで行きます。


 火葬場は院内町の山の中にひっそりと、しかし立派な建物として、ありました。陰鬱な感じは一切漂ってきません。
 ‥でも、やることは同じ。亡骸になったじいちゃんが入った棺が、フォークリフトみたいなもので運ばれ、火葬炉におかれ、扉が閉まる‥。ここまで来ると、ほんとうに最後の別れなんだと感じます。そして、扉が閉まったら、炉に火を灯すボタンを、誰かが押すことになります。
 ‥この瞬間、ふうたろうも、「あ、本当にいなくなっちゃうんだ」と‥。
 2時間、待合室や中庭で、また談笑しながら、火葬が終わるのを待ちます。ふうたろうはその間に、思い出話でも綴ろうかな。
 火葬が終わって拾骨。輻射熱がすごい。じいちゃん、熱くなかったかな、という思いが不意に出てくる。そして、焼けた骨だけになったじいちゃんを見ると、死をより強く実感する。骨壷に収まった姿はあまりに小さい‥


 告別式などをやっていたホールに戻って、初七日(?)が始まりました。30分か1時間くらいお坊さんがお経を上げ、式もいよいよ終わり‥。その後、みんなで集まって最後の食事、かな。


 談笑とこれまで何度か書いてきましたが、ずっと泣いていた人がいました。従姉妹の娘、長女でした。若干10歳。火葬を待っている時もひとり泣いていました。ふうたろうが親だったら、そばに居て、思い切り泣かせてやりたいと思うも、ふうたろうは親じゃない、と、意気地なしの言い訳をする。‥あなたにとって、じいちゃんはどういう人だったの?もっと大きくなったら、話してくれるだろうか。
 もう一人、心優しい別れの言葉を述べた人がいます。従姉妹のMeg。彼女は、じいちゃんの孫5人の代表として、前に立って、別れの言葉を述べました。
 Megにとって、じいちゃんは生まれた時からずっと傍にいた人。もちろん、Megの姉と妹もそう。ふうたろうには、平日の朝7時35分なんて、じいちゃんとどうやっても共有できなかったよ‥ふうたろうの知らない時間をいっぱい知っている従姉妹たち。でも、彼女の言葉を聞いていると、その時のじいちゃんの愛情、Megたちの屈託のなさ、なんかがなんとなく頭のなかに浮かんできます。
 じいちゃん、本当にみんなのことが好きで、みんなから愛されていたんだね。Megの言葉と、背後からのすすり泣きの声とが、それを証明している気がするよ。
 ‥ふうたろうは涙を零すことなく、それらを聞きながら、頷き続けていました。


天気:くもり時々晴れ(大分県宇佐市・宇佐郡院内町)

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