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帰らなくてもいい日を求めて

2020年 1月 5日

 ふうたろうの旅も最後の日となりました。昨日、めでたくIngressソロ合宿()全国制覇を成し遂げられ、改めて、来たかいがあったと感じます。
 今日は12時半ころに西宮市にある歯医者に予約を入れてあるので、それまでこの宝殿駅周辺でイン活していこうと思います。


 アイテムが足りなくなったので、この橋の上からアクセスできるP8で補給していきます。冬休みの早朝なので人はまばらですが、時々人が横を通り過ぎていきます。きっと不審者を見る目なんだろうなあ‥


 線路の北側にある住宅地には、プレイヤーに見捨てられたポータルが大量に打ち捨てられ、そのままキャプチャできる状態です。ふうたろうがプレイを開始した2014年11月頃は、そういう「白ぽ」はめったに見かけませんでした。ポータル自体が少ないのもありましたが、もっとプレイヤーも活発に動いていたと思います。ドラクエウォークなどにプレイヤーが取られたのでしょうかね。


 ところで、空が(Θ_Θ)どよーんなのですが、小雪が舞い始めています。スマホ画面が濡れるほど降っているわけではないのですが、いい気分はしません。Ingressは降水があると、永遠の機動力ゼロの出る幕は本当になくなりますので。


 ‥と思っていると、猫の目のように気まぐれな天気。


 当初はこの高御位山(たかみくらやま)に登るつもりでした。多重の青CFに沈んでいる緑ポータルだったのでキャプチャだけでも、と思っていたのです。


 しかし、そんな救いようもない高御位山の北に、緑のリンクが一本出ていた大藤山をたまたま発見したので‥


 急遽変更。


 しかしこの大藤山、いつものふうたろうの道が延々続くひどいヤヴ山でして。


 かつて道はあったと思われる場所ですが(地図上では)、面影はない(じと目


 山頂標は確かにあるのですが、ここ、登ってくる人、今はいるのでしょうか。また、整備する人がいるのでしょうか。


 下山路は違う道をたどってみましたが、やっぱり悪路というか、道が消えていました。この大藤山、ポータルがある事自体不思議ですが、今後、登山道自体が消えてなくなるのではないかと思います。


 さて、多重CFを張りながら宝殿駅に戻ってきました。何気に時間ギリギリでしたが、一応張りたい分は張ったと思います。


 高砂及び加古川でのイン活マップです。全体的に青優勢で、駅周辺にはP8もありました。ただ、それ以上にプレイヤーに比してポータルが多すぎ、放置されたままの状態です。


 西宮市で歯医者を終えたら、あとはそのままストレートに帰る、というのもありですが、まだ昼過ぎですし、メシを食べてもうちょっとイン活してから帰ろうと思います。久しぶりに一人でうろつく西宮・尼崎近辺になりますので、いつもの散歩モードで。
 ここ、妻との馴れ初めのときに、ふうたろうが一人で泊まったネカフェのあったところですが、潰れたのかな、ないように思います。


 結婚する前、付き合ってから約1年半、隔週でふうたろうはこの尼崎や西宮、宝塚近辺に通い続けました。毎月末、付き合いの記念としてケーキ祝いをするのですが、このケーキ屋はよく利用しました。当時はそれが「いつまで続くのか」の思いでしたが、今となっては「あの頃にはもう戻れない」です。


 ところで、ふうたろうはこの都会を走り回っているにも関わらず、またもや有機物不足に悩まされていました。やっと見つけたファミレスでは、マルゲリータピザにチーズ増量でイナヅマ食いするしかありませんでした。今回の旅は飢饉との戦いでもありましたね(真顔


 ふうたろうは社会人になってすぐ、小さなデジカメを買いました。それ以降、カメラを持って、当時住んでいた茨城県取手市や周辺市町村を練り歩く(というか自転車で走り回る)ようになりましたが、山に登り、旅をするようになってからは、カメラひとつあったらどんなところでも散歩できる体になっていました。もちろん、人混みの繁華街とかは快適ではありませんが、それでもカメラの被写体はどこかにあるものでした。今思えば、芸術的な何かというより、そこにある何かを撮りたかったから撮っていたと思います。雲を掴むような芸術の世界は、ふうたろうにはやはり、理解できませんから。
 ここには団地が確かにある。それでいいのです。団地の雰囲気がわかれば、それでいいのです。


 住宅地の向こう(海側)には工業地が広がっています。そこは大阪南港にも似ています。というか、全国的にそういうモデルで都市開発が進んだのでしょうね、きっと。


 こういう、住宅地と工業地との間に、緩衝地帯のごとくある公園のような緑地も、南港そっくりさん。残念ながら懐かしい気持ちになってしまいます(ぇ


 西宮の南港もどきで遊んだら、いよいよ帰路につくことになります。旅の終わりはいつも寂しい気持ちになります。帰って落ち着ける、という気持ちは、ふうたろうの場合あまりなく、あの子供の頃、大分県から大阪南港に強制送還されるような気分に近いものがあります。でも、それは、帰る家があるから言えることなのでしょうか?旅を続けられる条件(経済的条件)さえあれば、帰る家がなくてもふうたろうはたぶん生きていける、と思えるのは、甘いですかね?


天気:くもり時々晴れ(兵庫県高砂市・加古川市・西宮市など)

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