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化学物質と公害と戦争

2006年 10月 29日

 今日はいよいよ、水俣病と日本軍の毒ガス兵器に関する講演会がある日です。ちょっと気張って行ってしまいました。でも、そんなに軽い話じゃないよ。だって、みんなそれですごく苦しんでるし、責任を逃れようと躍起になっている勢力もいるんですから。
 東京駅まで新聞を読んでいきましたが、柏駅で足止め。線路に障害物があるとか。障害物って何だろう。
 東京駅の駅ビルには大量の血痕が。いったい何なんだ、これは。犯罪か、喧嘩か。

 水俣病。1995年に10000人以上の患者が認定されて、解決したかと思っていたら、認定を求める人が新たに出てきました。そりゃそうだよね。神経症状の出る水俣病。気味悪がったりされて、差別を受けて、誰が好き好んでカミングアウトして、勝てるかどうかも解らない裁判なんか闘うんだって。
 そして、許せないのは、とにかく水俣病の認定基準を厳しくして、苦しんでいる患者たちに背を向けること。調査はしない(突然打ち切る)。水銀の毒性を報道しようとした新聞記者に国家(環境庁)が介入する。1953年頃から出始めていた水銀中毒者。42年もかからないと補償もできない?なんて国だ。
 …水銀中毒が出た頃のアサリ(貝)の水銀濃度は、40ppm以上(今の基準は0.3ppm(メチル水銀)だそうです)。水俣病を出した、チッソのアセトアルデヒド生産量とアサリの水銀濃度、時間差がありますが、相関がありそうです。
 本当に、もっと早く救済できなかったのか。
 話は世界に移ります。時間の都合で、あまり詳しくは聞けませんでしたが、紹介します。
 旧日本軍の毒ガス兵器が中国各地で中国人に被害を与えている話です。父親が毒ガスを浴びて、18日後亡くなりました。教師になる夢を持っていたその娘さんである女性はそれすら諦めなくてはならなくなった。母親も過労で苦しんでいます。そんな母親を気遣う彼女…。
 日本政府は裁判にかけられ、一度地裁で負けた。けど、控訴した。…原爆症とか、従軍慰安婦、強制連行とかに構図が似ている。バカな話ではありませんか。記者会見で号泣する女性。あれがウソだというなら、何が本当だというのだろう。
 これらの話にやっぱり共通するのは、痛め付けた側は、無かったことにしたがるということ。痛め付けた側は、証拠を出し渋り、あるいは隠滅するくせに、証拠を出せという。そして、患者や被害者が死ぬのを平然と待つ。原爆症然り、慰安婦然り、水俣病その他然り。
 旧日本軍の毒ガス遺棄事件を取材した海南(かな)さん。「売国奴」と罵られたこともあるそうです。出た、出ましたよ、「売国奴」。…その言葉、そっくり返してやりたい。愛国心があるなら、仲間である新右翼の人たちを見習ってみたらどうだ。恥ずべきことを恥じられないことの方が、よほど自尊心のないことにさえ気がついていない。

 水俣病も毒ガス遺棄事件も、まだ殆ど僕の中に知識はない。でも、もっと学習したい。好きな化学が汚れたことに使われるのは嫌だから。そして、罪のない人が、それに不当に苦しめられるのはもっと嫌だから。
 最後に、海南さん、できることをやろうといいました。何ができるか、迷ってはいるけども、学習を続けていれば、忘れることはない。そして、多くの人にこの事実を知ってもらえるような活動を、やらないといけない。…一人じゃできんのだけど。
 で、「会場を出て5~10分は覚えているでしょうけど…」なんてどうか、そんな寂しいことをおっしゃらないでください。忘れるものですか。これをきっかけに、もっと学習するのです。水銀も毒ガスも、忘れるものか。不当に苦しんだ人たち、不当な扱いを受けた化学物質たちを。
 本を読もう。学習会に出よう。海南さんの作ってくださったDVDのドキュメンタリーで学習会をしてみよう。
 しかし、バカな話、DVDを手に入れ損なった。悔しい…。

天気:くもりのち晴れ(茨城県取手市・東京都中央区・千葉県柏市)

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