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たりないことが多すぎて

2007年 1月 23日

 またテレビ(ゲーム)を付けっぱなしで寝てしまいました。おかげで、やや寝坊。8時前に起きるという体たらく。昨日は24時過ぎには布団に入ったのに、やっぱり睡眠の質が悪い。
 そして、池袋駅から東武東上線に乗ろうとしたら、人身事故で、駅が閉鎖。
 あちゃ~!!と思ったのは数秒。犠牲者を頭に思い浮かべました。どんな人が飛び込むのかな。こんなに人が簡単に死に急ぐ社会は、異常だと思わない?
 池袋駅から歩いていたら、写真の店。…凄い圧縮陳列。ドンキホーテが2年くらい前に火災起こして若い従業員殺しましたね。そんなのを彷彿とさせるけど、合成の誤謬か、日本社会はその教訓を活かさないし活かせない。みんな目の前で自分の愛する人が病気になったりケガしたり死んだりしないと、解らないのかな。それとも、解っていても、僕みたいに、どうしたらいいか解らないのかな。

 昨日の怒りはそこそこ、今朝も新聞を読みながら通勤。とりあえず、フジテレビ系の『発掘あるある大事典Ⅱ』に一番の怒りを覚えながらも、この納豆の「食品機能性」に踊らされた国民の思考停止状態にもちょっとばかりがっかりしていました。というのは、昨日、スーパーを見ると、納豆のコーナーに納豆が普通に並んでいたからです。そのコーナーは数日前まで、歪んだ顔(元々?)が元に戻らないくらい、さんたんたる状況だったのに。
 でも、もっとがっかりしたのは、番組制作というのが、システムとして、経費の削減、外注化の方向に向かっていて、その制作を請け負った会社が視聴率を稼げないものを作れば降ろされる、というものになっているらしいこと。
 もちろん、ねつ造は論外だし、個人的にはこういう「健康」食品系の話は嫌いです。でも、それを抜きにして思いました。昨日の怒り心頭の中身と似ているなぁと。外注で制作会社に残る利益はどのくらいなんだろうなぁ…、しかも、あれ、残業とか凄いし、ハードだし(実際にそういう人を知っているから)。それで番組がポシャって損失出したら、どうにもこうにもならない。ねつ造は、そうした構造から出てきたものだと、言えなくもないよね。
 もちろん、ねつ造は許さないというのは前提ですし、構造があるから必ずねつ造が起こるといっているわけでもありません。

 でも一方で思います。僕が知らない、いろんなところで働いている人たち。その人たちの現状を知らないと、な~んにも行動にならないんだなぁ、と。平和運動で、戦争体験者の話を聞かないのと同じ。それくらいバカなことをここで書いていると思いながらの、日記。
 ふぅ、今の自分の能力では、今の社会で生きていくには限界があるなぁ。足りないこと、知りたいことが多すぎて、じたばたしている状態で…。
 もっとがんばらないと、なんて思っても胃腸の具合が悪くなるだけだから、いきむ気もしないけど、やっぱり、もっと人と話をしたい。些細なことでいいから。人の体験そのものは立派なデータなんだもん。そう、科学で必須の、データ
 僕のやっている残留農薬の抽出。大事な仕事だけど、それだけじゃ狭いよね。…もやもやします。

天気:晴れ(茨城県取手市・東京都豊島区・板橋区)

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