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早春に燃えた東京の空

2007年 3月 4日

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 午前中、ゴールデンウィークの利尻・礼文計画を詰めて、午後は東京大空襲の戦災資料センターに行きました。最寄り駅は営団地下鉄(東京メトロ)半蔵門線および都営新宿線の住吉駅。ここから歩いて20~30分。他にも行く方法はあるので、あとで紹介するホームページで確認されたし。

     しかし、資料センターで下見程度の視察をしただけで、さっきの和やかな街並みの雰囲気はぶっ飛びます。
     1945年3月10日土曜日午前0時7分。B-29爆撃機による東京大空襲が始まりました。3月10日未明は北西の風が吹いている、つまり、空っ風。非常に火災が深刻化しやすい条件。そこへ日本の家屋において研究し尽くされた焼夷弾(M69型など)が落とされました。
     結果、たった2時間半で隅田川と荒川と東京湾に囲まれた地域は全焼。10万人以上が亡くなったそうです。写真によれば、人々は炭と化して町中に倒れ、火から逃れようと橋の上や水の側に息絶えていました。それから終戦間際の8月14日まで、全国の大中小の都市で、空襲されました。その中には、広島と長崎の原子爆弾も含まれます…。
     被災者の手記が展示されています。これは特別展示されているもので、今年の3月10日までしかやっていません。直筆の原稿用紙がずらっと並べられていましたが、それをまとめた資料が厚さ5センチほどのA5版くらいの本5冊分になってセンターに収められています。
     また、センターには東京大空襲のいきさつを報じたNHK特集を開館時間ずっとビデオで流しています。これを見るだけで、東京大空襲の恐ろしさ、アメリカ軍のやり方の非人道性、日本政府の国民軽視の姿勢がある程度理解できます。
     センターの運営を担当している職員には、空襲の経験者もいらっしゃいます。彼女は言う。「理屈ではなく、戦争は反対だ」と。このきな臭い、憲法9条を変える動き、防衛庁を防衛省に変えた動き、核武装論、そういうものを感じるにあたって、発された言葉です。
     今年中に、仲間と来る。今日はそのために来たのです。記憶の薄れを止めなければならない。これからも語り継がなければならない。これは、悪いことをいつまでも根に持つことではない。戦争の悲惨さを実感することで、同じことを繰り返さないためにやるのです。
    東京大空襲・戦災資料センターホームページ
     付け加えて言えば、日本の侵略戦争(アジア太平洋戦争)に対する反省と同時に、アメリカやソ連のこのような破壊行為も同時に裁かれなければなりません。一部に、「欧州列強も侵略をした」などと日本の行為に対する批判をかわそうとしている者もいますが、ちゃんちゃらおかしい。そういう考え方自体が、戦争を肯定し、結局は日本国民の幸せにも反する行為ではないか。歴史は、誰が本当の「反国家」であるかを明らかにしています。

     また今日も長くなった。終わり。早く山に行きたい。

    天気:晴れのちくもり(東京都江東区・千代田区・茨城県取手市)

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