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自分の人権意識

2007年 3月 7日

 今朝もいつものように新聞を読んで職場へ向かいました。その新聞は、読めば読むほど怒りが湧き、呆れることも多くなります。その中で、教育再生会議についての記事がありました。中身は、「いじめをする子どもに対する毅然とした態度」なるものについて。
 この教育再生会議では、確か、野依良治氏が座長になっています。この人、ノーベル化学賞を取っているくらい「科学界では権威のある」人なのです。不斉合成(ふせいごうせい)という分野なのですが、今日はそのことはいいや。とにかく、技術的に難しいことをやってのけたのです。
 しかし、だからといって、教育政策で役に立つかどうかは別。実際、今日読んだ記事では、「教育再生会議の議論はあまりにも粗雑」という現役教師の声を載せていました。
 また、同記事の中に、女子高校生の声が載っていました。

 …同じ人間に格差を付けて、「いじめ」の事実を無理やり肯定しようとしていると、私は感じる。いじめられる者が弱いなら、いじめる者も弱いのである。両者とも救うべきではないだろうか。

 出典は、解る人には解るだろう。それでいい。なお、2007年3月7日付です。
 これが高校生から出てくる言葉なのですよ。教育再生会議側の、「いじめた者=悪」「いじめられた者=弱者」という超思考停止型頭脳。これが、ノーベル化学賞を取るような人が座長やっている会議の実態。あぜんとしながら読んでいました。

 でも、今日はそのことに対する怒りを書きたかったんじゃないんだ。読みながら、僕は確かに再生会議のメンバーや政府関係者に恨み骨髄の罵声を心の中で浴びせた。けれども、そういうのは、さっきの高校生の声をちょっと応用すれば、なんかおかしいな、と思う。彼らは将来的にただ断罪されて切り捨てられればいいのかな、と。そして、今のままなら、僕は確実に切り捨てるだろう、そういう人を。悪いことしている奴を「毅然とした対応を」とって裁くのもいいけど、彼らの「弱さ」には気が付いているのかな、と。どうも、高校生のこの言葉、僕にも、「思考停止してるよ、君も」とささやいているように感じます。
 こういう、国を、人類を窮地に陥れかねない行動をする人たちに対して、僕はどうしたらいい?よく解らない。
 最近、怒りの表現のしかた、人を本当の意味で科学的に見る訓練、した方がいいのかな、と思い始めています。罵声の前に一呼吸…。

天気:くもり時々晴れ(東京都板橋区・茨城県取手市)

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