Home > 未分類 > 住井すゑさんを訪ねて(茨城県牛久市)

住井すゑさんを訪ねて(茨城県牛久市)

2007年 3月 21日

 今日は不手際の極みでありながらも牛久散歩計画を強行しました。
 なお、参加者は1月3日の鎌倉と同じメンバーです。
 取手駅で既に眠く、慢性的な睡眠不足…なんだろうね。一日24時間が足りない。暇な時間なんて、ない。

 牛久駅に着いてから、道端の花を見、道に迷い、実際の目的以外のことも多かったのですが、メインは住井すゑさん宅の訪問と小川芋銭(うせん)の碑を見てくること。…なんで芋銭だけ呼び捨てなのかって?ゴロでしょ、やっぱ。
 ここは住井すゑさんの家の、学習ルームらしい。ここですゑさんは仲間を呼んで勉強会などをしたそうな。
 なお、こういう活動をするとすぐに「共産党だ」などと言う人がいるようだが、残念ながら、彼女は党員ではない。自分の判断で戦前の「天皇=神」の思考停止状態から抜け出した人物の一人です。もっとも、共産党を作った人たちも同じなんだろうけどね。
 すゑさん宅の前には共産党のポスターが貼ってはいるが、管理をしているボランティアの人も、「決して共産党員ではない!」と断言しています。
 …勝手に思いこむ人は要注意。恥をかいても知らないよ。

 さて、ボランティアをやっていると言った前述の方が、気前よく、住井すゑさんの作品である『夜明け朝明け』の紙芝居をやってくださいました。3年前にこの小説は読んだのですが、後書きしか覚えていません(もちろん、この後書きも名作ですが)。丁度いい。
 農民の生活というものを描いた作品であったのですが、これがまたひどい。「供出」という制度があって、農家は自分で作った米を自分で食べることができなかったのです。当時の茨城県結城市を舞台にしたこの作品は、この地方(だけじゃないと思うけど)の差別意識を強く描写していました。
 …具体的な中身が知りたければ、作品を読むか紙芝居を申し込んでみるかすればいい。

 住井すゑさんの「抱撲舎」から目と鼻の先にある、小川芋銭のアトリエである雲魚亭(うんぎょてい)と河童の碑を訪ねました。住井すゑさんと小川芋銭は関係が深いそうですが、その解説は、以下のページで。
『草思堂から 吉川英治記念学芸員日誌』(ブログ形式)


 抱撲舎はかなり寒く、ストーブが不完全燃焼していたのもあって、眠気とのトリプルパンチ。帰りはヘロヘロでした。その帰り道にあった八百屋さん。「牛久アシタバ」と銘打って売っていたのでダッシュ買い。側に看板になっていた大根。おもしろいですね。


 文学散歩なんて、初めてしたかもしれない。今こうやって思い返すと、意外とおもしろいものだったかも。眠気と煤と寒さでやられていたのは非常にもったいない。やっぱり、勝は体力!

天気:晴れ時々くもり(茨城県牛久市・取手市)

Comments are closed.