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楽屋で泣いた

2007年 6月 16日

※記録:6月17日

 今朝の起床はいつもと同じ7時40分頃。でも、起きても食べるものもないんですよね。そして、スパゲッティとニンニクと唐辛子があることに気がついたのが9時過ぎ。結局10時半頃のメシになりました。
 フライパンが仕舞ってある流しの下の奥に、去年の2月5日につけ込んだ味噌があったので、どうなっているか見てみました。実は、前から匂いがしていたので気にはなっていたのです。いつか味噌汁にでもして食べてみよう。

 今日は昨日の日記の通り、某演説会の任務のためにお出かけ。こんな天気のいい日に、何で屋内で演説会なんか…。ブツブツ。なんて思っていました。
 でも、雑用ってやってみるとそれほど悪くない。それに、いつもいつも忘れることですが、僕一人でやることでもない。僕が世話になっている仲間だって大勢来るのです。いつの間にか、昨日の愚痴はどこへやら。


 演説会はもう言うまでもない。僕は先日から共産党びいきのことしか書いてないわけですから、演説会も共産党。
 それでも、演説自体が好きではありません。人によっては棒読みですし、「演説口調」ってのがあって、僕はそのしゃべり方がイヤです。この写真の候補の紙さんの演説を聴くのは正直初めてですが、あまり期待はしていませんでした。


 演説に先立って、演奏会がありました。バンド名「ヒューマンファーマーズ」。今日歌ってくれた曲の中で、「サクラ」という曲があります。
 「千人針を集めた乙女 届かなかったあの日の願い 署名を集める若者の声は イラクの街に届くだろうか」
 …イラク戦争でイラク市民や世界中の多くの兵士が死んだ。家族のいる人たちが死んだのです。日本の若者はそのイラク戦争への反対のため署名などの運動に立ち上がった。
 千人針は出征する男性に対して置いていかれる女性たちが還ってくることを願って集めたものです。でも、残酷なことに、その願いはとどかなかった。今も昔も、戦争は人が死ぬことを意味するのです。
 この歌を聴く度、いつも切なくなります。
ヒューマン・ファーマーズ ホームページ

 紙さんは共産党として憲法9条(戦争放棄)を守る訴えをしていたときのエピソードを話してくれました。

演説より―90才代の画家の男性が戦争の辛さを訴える

 戦争当時、その戦争(空襲)で母を亡くし、結婚2ヶ月の妻を亡くした。戦争は絶対許せない。共産党、がんばってくれ。

 この人は、それから60年以上もこの哀しみに耐えてきたのでしょう。結婚して2ヶ月の妻を失った哀しみは、太平洋戦争を「正義の戦争」と平気で言ってのける人たちには届かないのでしょうか。日本が軍を持つことの意味、解っているのでしょうか。軍が国民を守るなんて幻なのに。

 紙さんは最後の締めくくり、紙さん自身と共産党との付き合いについて話しました。

演説より要約―紙智子と共産党

 両親は自民党でした。その中で智子さんは共産党員になりました。両親からは「共産党はダメだ!」といわれたそうです。「どうして、共産党が何の悪いことをしたの?」「共産党は戦前から戦争に命がけで反対してきた…。」…そうして話していくうちに、実は、この反対は親の愛情だったんだということが解りました。「世の中そんなに甘くない(偏見などのことだろう)、何故お前が共産党をやらなきゃならないんだ。」「私はお父さんの人生を生きるんじゃない。私の人生を生きるんだ。」


 それから10年後、どうなったって言ってたかな。もう胸一杯で殆ど覚えていません。この先は紙さんの演説を直接聞いてください。
参議院議員 紙智子ホームページ
 僕は舞台袖で思わず泣きました。この人は、本気で社会に、共産党に、そして家族に向き合ってきたんだ、と。今の僕が親と向き合っていないことを知っているから、余計に。

 素晴らしい演説でした。多忙でそそくさと帰ることになった紙さんでしたが、「共産党よろしく」、そんなこと、もう言わなくてもいい。既に、共産党が伸びる、という次元を凌駕しています。
 あとは、僕がいつになったら色んなことに本気で向き合えるか、かな。

天気:晴れ(茨城県つくば市・土浦市・牛久市・取手市)

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