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自己責任?なにそれ

2007年 7月 23日

※記録:7月24日

 今日は仕事半分、人生勉強7割。我が職場の仲間も、たまたま今日来た分析機器の営業のMさんとNさんも、夜お話ししたMさんも、みんな、何でか知らないけど、僕に科学をもたらしてくれるんだよね。「科学の子」、名乗ってもいいかな。太陽の子も名乗ってるから、崇高すぎる?
 ところで、右の写真何か判りますか?


 ここから本題。題名にあるように、僕は、「自己責任」という言葉が大嫌いです。そして、僕はどんな人にも決してこの言葉は使うまいと誓います。
 僕の周りに、色んな場面で、自分を責める人があまりにも多すぎます。自分を責めきれなくて、他人を責める人もいます。そして、僕も自分を他人を責めまくります。何で?
 今、子どもの段階で、いじめる、親を殺す、暴走族になる、万引きする、などの「少年犯罪」が問題にされています。厳罰化が叫ばれ、14歳以上の少年は処罰の対象になっています。
 成人になったら過ちに対する罰則は半端じゃありません。監視の目が光る牢屋から絞首刑まで、それはもう。
 僕らは、みんな元は子どもでした。太古の昔から、そのシステムは覆りません。そして、人は長い人生の中で、子を産み、共に過ごすことができるようになりました。みんな生まれたときは真っ白。外界の情報は皆無で、母親の胎内の記憶があるかどうか。
 生まれてから、僕らは外界から情報を集めます。楽しいこと、悲しいこと、ショックなこと、いろいろと。それ故に、それにふさわしい認識が生まれ、行動をとります。
 だとしたら、誰に責任があるのですか?外界から情報を集める子どもたちは、その条件が整わなければ、集められないのですよ?そして、それは大人になっても同じなのですよ?
 愛されない子どもが、大人になってどうやって人を愛するのですか?子育てを教えられなかった子が親になって、どうやって子を育てるのですか?やってはいけないことを教えてもらえなかった子が、どうやってそれを知るのですか?疑問に誠実に答えてもらえなかった子どもがどうやって疑問を解けるというのですか?
 軽々しく、「自己責任」なんてことは言ってはいけない。平気で嘘をつき、暴言を吐くことだって、本当はそうするしか自分の生きる術がないからかもしれない。
 ミートホープの社長は嘘をついた。誠実さもなかった。石原慎太郎は「要らないのはババァ」と言った。
 だけど、この二人をとってしても、生まれたときから悪だったのか!?もちろん、許されることではない。でも、彼らを責め立てて、何か変わったか?ひたすら意固地になるだけじゃないか!
 僕も人を責めてきた。そして、何も変わらなかった。意固地になった。
 人は、尊厳を傷つけられると誰でも傷つくんだ。そう、僕が最後につきあった彼女は言ったさ。「人は機械じゃないんだよ!」と。もちろん、彼女に暴言を吐いたわけじゃない。でも、僕が理屈や暴言で責め立てた相手は、いくら強がっても、見せないだけで傷ついている。だから、怒る。相手を機械か何かと思ってやしなかったか?
 正直、僕はどうしたらいいか判らない。僕もどこかで傷ついて生きてきた。でも、気がついたら、それを理由にしてはいけない。誰が何と言おうと、尊厳を傷つけることだけは絶対してはいけない。態度や発言は戒められたとしても。そして、その態度・発言を、その人だけの責任や問題にすることは、絶対あってはならない。
 …果たして、これだけのことを言っても、僕にこういう態度を貫けるかというと、まったく自信はありません。でも、社会の前進は、自覚した者によってなされるのであれば、最低、忘れないでおくことは必要です。
 それでも、テレビに出てくる阿倍晋三首相たちに腹を立ててしまうことはあるでしょう。そのとき、阿倍晋三という人間を否定するのではなく、態度を批判する訓練をしたい。それは、党や組織もそうかもしれない。人でない分少し難しいけど、形自体に責められる理由はないから。…でも、党や組織は、とりあえず保留ですね。ひとまず、個人の尊重は絶対ということで。

天気:くもり一時雨(東京都板橋区・茨城県取手市)

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