Home > 未分類 > 常識ほど非常識なものはない

常識ほど非常識なものはない

2007年 8月 7日

※記録:8月8日

 今日も化学系か?
 違います…というと嘘になりますが、どちらかというと、今読んでいる『よその子』(トリイヘイデン著 早川書房)に関することです。もちろん、化学というか、毒の考え方にも大いに関わる大問題。


 『よその子』は、情緒障害や自閉症(知的障害?)などの子どもとトリイ(著者)の、現実に対する闘い(巧く言えないが)を、実話で描いています。その中に、ロリという、脳に器質的な傷害を背負った障害児の女の子が登場します。ロリは算数の天才であり、人の気持ちを読む(理解する)ことが出来る子でしたが、傷害のせいで文字・文章が読めない障害に苦しんでいます。
 トリイやその周りの学校の教師は、ロリに必死になって文字を読ませようとしていました。みんな文字を読めるようになることが何より大事だと言わんばかりに。
 しかし、ロリはどうしても文字を読むことが出来ず、自尊心を傷つけられ、学校にも来られなくなりました。
 ここまで来て、やっとトリイは気が付きました(周囲の教師は理解していないが)。「あなたに読み方が大切なことだなんて思わせたこと自体、私たちが間違っていたのよ。」ロリにそう語りかけるトリイ。
 今日までに読んだところはここまででしたが、これは重大な哲学を投げかけていると思いました。
 「常識ほど非常識なものはない」ということ。
 僕らは「常識」という言葉を簡単に使います。しかし、それは、大多数の意見の平均値であるに過ぎず、マイノリティ(少数派)を排除するものに過ぎません。障害者問題が解決しないのはそのせいかもしれません。その大多数は、その「常識」にとらわれ、少数者をバカにし、傷つけ、権利を奪う。これがどれだけ非常識なことであるかは、日本国憲法を見ても明らかです。そして、僕も、そう思います。過去に僕もその非常識な行動をしていたし、今もしているかもしれません。
 ですが、それは、科学者にも悖る(もとる)行為。ブレークスルーの出来ない研究者は研究者であっても科学者ではないと僕は思います。常識が常識であるという思考は、それ自体が思考停止だから。

 僕が思考の対象としているも、僕流の常識で考えれば、ただの化学物質です。そして、化学や物理学の法則に従って反応を進めるモノなのです。それをただ人の都合で、感情や認識のフィルターをかけた上で、毒だの機能性物質(薬・ビタミンその他)だの言っているに過ぎません。
 毒は毒だという常識、薬は薬だという常識、ビタミンはビタミンだという常識。これほど科学的に非常識なことはあるでしょうか。『発掘あるある大事典』のナットウキナーゼ機能性問題もその人のおごりだとも思います。
 ロリのような子どもは、ロリ一人ではないのです。そして、人の数だけ常識があり、非常識があり、感情があり、思考回路網があります。化学物質もしかり。
 「常識ほど非常識なものはない」
 科学を追究したければ、これだけは肝に銘じておきたいと思います。

天気:晴れ時々くもり(東京都板橋区・茨城県取手市)

Comments are closed.