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人は化学のみにて生きるにあらず

2007年 10月 3日

 疲れました。毎日、色々考えていると、疲れます。人は、何かから常に束縛されて生きています。それは、自然の法則であり、社会の法則であります。僕が2週間前、富士山に登りたいと思っても、風邪ウイルスが体を蝕んでいたため、叶いませんでした。そして、どこか晴れた日にでも山に行こうと思っても、仕事があるので行くことはできません。

 富士山に登れるかどうかなんて、本当に小さいことだけど、生きるということになれば、やめるわけにはいかないから。
 僕は、自然科学系の学問を専門として、学生を6年間やってきました。大まかに、化学・生物学・物理学を。モノと向き合い、モノの性質を探り、時にはネズミを犠牲にしてきました。
 今している仕事も、その学問の延長上で、毎日触っているものの殆どは、モノです。テトラクロルビンホス(農薬名)を10mg量りとるという作業、アセトニトリルを20ml加えるという作業、トルエンを窒素吹きつけで蒸発させるという作業。
 人を構成しているもの、人の社会に先立って存在しているものが自然界です。だから、自然科学は大事ですし、やる意味も相当明確です。

 でも、やっぱり、時に、人は化学(自然科学)のみにて生きるにあらず。そう思います。
 今日、家に帰ってきたら、NHKの『クローズアップ現代』で、子どもを遺棄する事件が多発していると「クローズアップ」。親の自己責任に帰す論議は30年前と比べると減ってきたとは言え、孤立して誰にも相談できない人は多いといいます。そして、背景には、貧困があると。「経済的な貧困、人間関係的な貧困、性教育の貧困。」
 明日を生きることすら不安な人が、更に子を持つ不安まで抱えることは、僕には想像を絶します。その世界では、子を産む女性も、子を産ませた男性も、それらを取り巻く社会も、みんなけだものになっています。みんな、不安と不満で一杯なんだ。
 そのあとには、『ためしてガッテン』で乳がんの話。僕の頭の中で、「乳がん」の言葉が空転しました。
 乳がんで死ぬ人は年1万人。一方自殺者は年3万人。もし、僕に好きな人がいて、(いなくてもだけど)乳がんになってしまったら悲しい。でも、その3倍の人が、自殺しているという現状。経済的な理由で自殺する人も多い。
 人は社会に生かされ、殺される。乳がんでさえ、ひょっとしたら、社会的な要因が大きいかも知れない。
 僕が、自己満足的に、バケキチなどといって遊んでいることに、どれだけ意味があろう。そして、科学的根拠と称した平均値で割り出された基準値をもとに、ただ農薬を分析している自分に何の意味があろう。…ふと、そう考えてしまいます。


 1999年5月24日。
 アメリカの他国への「戦争」に、日本の自衛隊が何らかの援助をする『ガイドライン法案』が通過しました。その時、僕は、有機化学の学生実験をやっていました(置換反応だったかな)。戦争になったら、人が物理的に、化学的に、あるいは別の何らかの形で殺されます。そんな時にエーテルを含んだグリニャール試薬なんかただの危険物でしかないし、蒸留装置なんて木っ端微塵に吹き飛ばされます。こんな重要法案が通過しているときに、有機化学の実験なんかしている場合かと、幼いながらも当時思っていました。
 僕の今の仕事も、安全な食品を買える人がいるということが前提であり、安定的に農業を続けられる人がいることが前提です。目の前に安全を保証された食品があっても買えなければ、その人にとってのその問題は、貧困のシングルマザーの悩みとどれほどの違いがあるでしょうか。

 人は化学のみにて生きるにあらず。僕が化学に勤しんでいるとき、山に登っているとき、頭をよぎるもの。
 一人では解決しないことくらい解っている。そのために、仲間が力を合わせる。そう、先月の9月29日、沖縄に、「『集団自決』を教科書から削除するな」と集まった11万人の人たちのように。
 安全な場所で化学やっている僕に、何が解って、何が解らなくて、何ができて、何ができないのか、殆ど解らない。そして、それは僕にしか解明できない。
 …とりあえず、今はジタバタしています。

天気:くもり(東京都板橋区・茨城県取手市)

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