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命をいただきます

2007年 11月 21日

 今日は、予告通り、疲れました。もちろん、昨日より。職場は2人体制でサンプルはほぼフル。しかも、いつもやらない仕事も回ってくるわけだから、トイレに行く暇さえありませんでした。
 でも、まあ、そんな小さいことは今日はどうでもいいのです。
 残りの2人は、遊んでいたわけではなく、別のところで、ちゃんと仕事をしていたのです。そこで手に入れてきたというじゃがいもと玉ねぎ。土に植えたら間違いなく芽も出るだろうな。生きているじゃがいもと玉ねぎです。


 僕は、その生きているじゃがいもを電子レンジで6分加熱し、生きている玉ねぎときゅうりをスライスし、生きているにんじんを茹でました。そして、ポテトサラダにしました。


 他に今日食べたものはいったいどのくらい?いくつの命をいただいた?僕一人を構成するために、どのくらいの命をいただいてきた?
 ちょうど、mixi仲間と「弱肉強食」について論議しているところでした。これは、まさに文字通りの弱肉強食。今朝食べた米と麦と大豆から、夜作ったポテトサラダのじゃがいもとにんじんと玉ねぎときゅうりまで、弱肉になったのです。そして、僕はその弱肉を食べなければ、命を繋ぐことが出来ません。
 これは事実です。
 一方、アメリカがイラクにやっている掃討作戦、トヨタやキャノンなどの企業が作っているワーキングプア。殺された一般市民や使い回された低賃金労働者は、弱肉です。そして、強食の側に立つ者にとって、この弱肉が必要…。
 これは本当ですか?
 ひとくくりに弱肉強食を良しとする後者。本当の弱肉強食の意味を知らないで、自分を生かしてくれているものの存在を忘れて、弱肉強食は成り立ちません。
 強者のあなたに問います(念のため、mixi仲間のことではありません)。
 強者であるあなたのために、苦労を強いられた多くの弱者に、一欠片の労いの感情くらいはあるのですか?あなたが強者になるために蹴落としてきた多くの弱者に、何か言うことはないのですか?ねぇ、強者の皆さん??
 あなたの体を作っているタンパク質の一部は、命ある誰かが汗水垂らして育てた、命ある牛の一部を、命ある誰かが料理して出来たステーキかもしれない。あなたが毎日車に乗り回すためのガソリンは、元は太古の有機物、やはり命あるもので、その精製に尽力した多くの命ある科学者や技術者、工場労働者の賜物です。あなたはあなた一人で強くなったのではないのですよ。誰かの犠牲、あるいは助けがあって強くなっているのですよ。
 誰かの犠牲や助けにすがって生きていることを知らない人間は一人前ではない。ひょっとしたら、人という種をも逸脱するかもしれない。シマウマを狩って食べるライオンや大腸菌を食い尽くすバクテリオファージが、被食者に対して感謝の念を持っているとは思いがたい。人だけでしょう、そんなことを考えられるのは、きっと。
 …というわけで、じゃがいもと玉ねぎから、こういう話になる調理室。以上です。

天気:晴れ(東京都板橋区・埼玉県所沢市)

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