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物理と経済に抗うことなど出来るものか

2007年 12月 2日

 今日の日記が『ふうたろう旅日記』ではない理由はあります。しかし、まだ、それを伝えるべき時ではないと思うので、今日は伏せておきます。
 今日は、秩父地方にドライブです。僕は助手席にぽつんと乗って、運転手は…。
 今日行く予定だった、別のイベントは、開始時刻を書いている冊子を職場に忘れてきて、一気にやる気をなくしたので、ドタキャンでした。…といっても、行く約束もしていなかったのですが。


 寒いと言ってもまだ暖かい冬。秩父の紅葉は終わりつつあるとはいえ、まだ真っ赤。


 今日の拠点は、この上長瀞駅近くの川(荒川?)です。


 やや地層の傾いた岩場が続くこのあたり。これだけ撮れば、どのくらいの距離から撮っているのか解らないでしょう。


 ちょっと寂しい写真ですね。褶曲(しゅうきょく)した堆積岩(たいせきがん)に長い影を落として…。


 冷水の中、足を一本失い、一本を機能不全にさせられた、瀕死のサワガニ。太陽はこんなに明るいのに、真っ暗です。


 北里大学の理学部の1年生が地質調査をしているようです。30人くらいはいるはずだけど、どこにいるのか、探せるかしら。


 砕けた岩が砂となり、またそれが岩となる。
 その輪廻転生を、地球誕生から何度繰り返してきただろう。砂や岩だけではなく、鉄などの元素は生き物の体の一部を経験してきたかもしれない。今は止まっているように見えても、それは僕の時間軸で止まっているように見えるだけなのです。


 血のように赤いもみじ。血の成分とは全然違うことを知ってはいるけど、いちおう、そう書いてみた。
 このカエデたちも、意思を持って赤くなっているわけではありません。気温、太陽光、ブドウ糖、そしてアグリコンであるアントシアニジン(アントシアニンは配糖体(はいとうたい)のこと)などが、植物体を外から支配しているのです。なるべくしてなる、赤。


 もの悲しい赤。スポットを当てられた白。
 自由を奪われた(元々自由ではない)、僕たちのもの悲しさです。


 水洗トイレがいちばん目立つ案内板。もの悲しさも一気に吹っ飛びますね。
 …ある意味、これも人が生理的欲求から逃れられないことの現れ?


 横瀬町(よこぜまち)にあった農協。中で働いている店員さんはがんばっていますよ。地元のキビ、米、色々な野菜…。もちろん中国産のにんにく加工品やササゲ豆を見てがっかりもしたけど、僕たちに、「無農薬で栽培した黒米だよっ!」と薦めてくれる農家でもあるおばちゃんの目は嬉しそうでした。わかったよ。買わせてもらうよ。ありがとう。


 その場で玄米を精米してくれました。埼玉県産の、米。二等米に近い一等米だと思うけど、そんなことどうでもいい。その場で精米してくれる誠意だけでいい。分付きもオーダーメイドで、3分付きを10kg、ちゃんとくれました。
 米価が下がっていて、たった3500円でした。
 喜びの裏にある、影。


 今日は、ちょっと寂しい旅だったんです。でも、一緒に行ったMさん、最後は喜んで帰りました。
 僕らも、生まれは数え切れないくらいの数の元素・原子。その上に立つ、スケールの小さな経済の中でさえ、自由意思を持って動くことは難しい。スケールが小さいだけに、自然の摂理を変えることには遠く及ばないとは思うけど。
 悲しみを知る者は、きっと喜びも解るようになるでしょう。悲しみを知るからこそ、苦しみから逃れられるのでしょう。そして、喜びを知るからこそ、より大きな喜びを求めることが出来るのでしょう。
 これでがんばれる、かな?孤独を感じて辛くなっている自分とはさよならしたい。そうなれるようにしていたいよねぇ。

天気:晴れ時々くもり(埼玉県秩父郡長瀞町・横瀬町・所沢市)

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