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労働の価値

2007年 12月 17日

 今日という日は、先週の土曜日を除いて、ここ何ヶ月かでいちばん働いたと思える一日でした。「仕事」ではなく、「労働」をした気分です。
 それは、今日来たテレビ取材が僕にとって非常に珍しかったこともあるでしょう。しかし、それだけではありません。今日の取材は、実験の一部始終をとらえていくものでした。米粒の大きさや形を、価格と関連させて考えるための実験。ぼかした表現ですが、売値と米の品質にはある程度の相関があるだろうという仮定で始めた実験ということです。


 実は、僕はそれほど米粒の大きさなんか気にしている人間ではありませんでした。それは、この前、人工オレンジジュースに対する感情と全然変わらない。その前にいたっては、コンビニおにぎりの油に対する感覚と全然変わらない。
 でも、僕の目の前で、テレビのクルーが4人、時間の経過すら忘れて、撮影の段取りを汗を垂らしながら進めているのを見ると、改めてこの問題を考えようと思いました。僕にはそりゃ米の味なんてろくに解らないかもしれない。でも、農家や米の検査員、米屋の業界の殆どが品質維持に粉骨砕身しているのに、その努力を無駄にするようなことは許せない。
 確かに、安い米を買って、安い食費で、短期的に見れば生活は潤うという意見があるかもしれない。でも、それは短気であって、必ず損をする。健康面?安全性?…そんなことじゃないさ。
 安い米には、安いなりの理由がある。品質?ああ、それもそうかもしれない。
 でも、赤飯用に買う餅米の値段を、僕が大学生だった数年前から見れば、当時の3分の2くらいになっています。米の値段が安いのはありがたいか?それは、農家が時給250円程度で働いているという前提で成り立っている価格であることを知っても、そう思うか?時給250円では、マクドナルドのバイトさえ寄ってこない。時給を1000円に上げよという労働者の声がある時代に、ましてや。
 …農家の継ぎ手がいなくなったらどうなる?健康面が心配?安全性がなくなる?そんなレベルで済みますか?世界的に穀物の在庫量がどんどん減っている中、日本国民だけが安定的に食べられる保証なんてないのです。クロルピリホスメチルが、フェニトロチオンが、という前に餓死です。
 「合成の誤謬(ごうせいのごびゅう)」という言葉がありますが、みんなが自分のことだけを考えて行動していると、それが自分の望む方向とは逆に向かうことを指す言葉です。
 しかし、貯蓄のない世帯、生活保護を受けている母子、大学で勉強ができないくらいバイト漬けの学生、不安定労働にあえぐ潜在的失業者がこれだけ多い社会です。灯油は値上がりし、穀物は不足しています。いつ医療で多額の出費をするかも解らない。増税は押し迫ってくる。…支払いたくても支払えない人は大勢いるはずです。そんな人たちに、「安いものを求めるお前たちが悪い」なんて言えるものですか。代わりに、貧困を作り、石油や穀物を高騰させ、医療を疲弊させ、増税に苦しむ人をおもんぱからない、そういう行為を責めましょう。
 富は、あるところにはある。一人の人間が必要な量以上の富は要らない。累進課税はそのためにあるのです。誰かの犠牲の上に成り立つ、不要不急な富の積み重ねは要りません。もし、これを見て、「勝手なことを言いやがって」と思った人、まさにその人こそ、責められるべき人間かもしれません。あなたの富は、あなたの力で集められたものではないことを知るべきです。
 ことは人類がこのまま食べ続けていけるかどうかに関わる問題。ぶっちゃけ、例えばトヨタが何百万台車を売ろうが、食べ物がなきゃ人は死ぬのですから。仮にトヨタの利潤が1000分の1になるくらいで10000人の命が救われるのなら、安いものです。
 つまり、トヨタやキヤノンの会長たちの要求なんぞ、聞かなくてよろしい。そして、彼らへの依存なしに政治を続けられない政党や政治家は、政界を去るべきです。田舎でそれこそ畑でも耕していなさい。

天気:晴れ時々くもり(東京都板橋区・埼玉県所沢市)

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