墓参り

2008年 1月 3日

※記録:1月6日

 徳島県の旅は終わりました。これから消耗戦です。大都会と寂れた田舎町の悪いエキスを集めたような場所にいるのです。

 こいつらが、タンゴ(左)にデモ太(右)です。悪いエキスの中和を少しだけ手伝ってくれます。

 3日はとりあえず、思い立ったように、兄を除いた3人で、兵庫県三田市までお墓参りです。三田市内のとある小さなお寺に、僕の知る限り、父方の祖父母・義理の叔母が永眠しています。宗教儀式なので、僕はそれほど重視もしませんが、お寺の雰囲気は嫌いではありません。


 三田市の空は、ちぎれ雲がありながらも概ね晴れています。秋に落ちきらなかったお寺の柿の実は、カラスにさえつつかれず、枝に重くぶら下がっています。もう、正月も終わりなんですがね…。僕でさえも剣山で雪に撃たれて冬モードになったんです。


 お寺の水汲み場。このごちゃっとした感じが、僕はなかなか好きです。妙に落ち着くのです。


 お寺から離れて、父の実家へ。
 実家の向かいは駐車場でしたが、いつの間にか、こんなアパートができていました。隣にもマンションができて、景観は立派に悪くなってしまいました。父の実家も、人が少なくなってしまい、諸事情も重なり、鉛のように重い空気が流れます。僕には、ただ懐かしむことしかできないのに、その懐かしむことさえもアパートとマンションに否定されました。


 三田市は、僕が20年くらい前、雨でも散歩が楽しかった頃とはがらりと変わってしまいました。カタカナの地名がついた場所には高層マンションと大型店が建ち並び、彫刻刀で彫ったような道路がその間に浸潤します。20年前にはなく、10年前にはあった、お菓子のチェーン店は再びなくなっていました。
 僕が中学生の頃、大雪が降って歩き飽きることが想像できなかった池とその隣の学校、更に西にあった、金心寺などのお寺と森は、今どうなっているのでしょう。当時も既に開発の波は押し寄せてはいました。でも、Googleマップで見てみたけど、信じたくありません。


 そう、僕はもう、関西の人間じゃない。大阪も兵庫も、振り切ってきたんです。
 三田から大阪に帰ってくるのに、自動車で時間的には1時間かからないという。僕の小さい頃は、大阪駅(西梅田駅)まで出た後、さらに福知山線に乗っていったのです。当時は2時間以上かかったでしょう。
 …今は、その三田からの帰りに、大正区のメガマート内にあるブックオフへ行く途中。結局僕も今の時代に乗っかっている一人なのです。


 昨日の夜から消耗戦だといいました。とことん消耗します。
 僕の実家は市営住宅。家賃は所得に応じて変化する。
 僕は、4歳から15年間ずっと住んでいたその住宅で、ごみ収集車というものを知らずに育ちました。その原因がこの、ダストシュートです。分別という考え方が、僕が小学生の頃に存在していたかどうかさえ解りません。しかし、大阪という都会の中で、今から15年以内という最近まで分別の哲学がなかったとは、思えません。それでも、事実として、このダストシュートには瓶でも缶でも生ゴミでも放り込んできました。



 緑のバーを持ってくるっと下に降ろすと、ごみを入れる空間ができます(左)。ごみを投入したら(右)再びバーを元に戻して、終わりです。ごみは僕の目の前から姿を消して、住環境はきれいになりました。
 なに、所沢でごみ収集所にごみを出すのと何も変わらないさ。ごみを出していることには変わりないさ。日本全国、分別の程度は所詮どんぐりの背比べだし、日本の商品は分別には非常に不向き。日本でモノを消費し続ける限り、大阪南港だろうと所沢のアパートだろうと同じなのさ。
 …でも、それでも、このダストシュート、凄く憎らしいです。見えなくしてしまう、人を盲目にする奴です。上からごみが落ちてくる時にこの前に居合わせると、必ずいつも同じ臭いがするのに、ごみは忽然と姿を消しているのですから。そして、この向こうではごみ処理をする人が直接的・間接的に働いています。しかし、僕は、それを見ることができません。


 気持ちは萎える一方です。僕が今日たどってきた道が、どれほど人間離れしているか。もう、ここには戻りたくない。いや、戻るべきではない。

天気:晴れ時々くもり、夕方に時雨れあり(兵庫県三田市・大阪市住之江区・大正区)

Comments are closed.