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新しくても使えないもの(大阪南港:大阪府)

2008年 1月 4日

※記録:1月6日

 今日のカテゴリーが「旅日記」にはいるのかどうか微妙なところですが、あえて旅に入れます。消耗戦最終日。Go!
 大阪南港。これほど住環境として特異なところが、この日本のどこにあるでしょう。「入るのにパスポートが必要」などとからかわれながら、僕は高校に通いました。確かに、海を越え、S字型の鉄道路線(ニュートラムと地下鉄)で遠回りをして通学することを考えれば、無理もないでしょう。


 ここは近隣公園。できた当時がどうだったのか、僕が生まれる前にできた埋め立て地でしょうから、知る由もありません。でも、土が流れ出してボロボロの公園を目標として作ったわけではないでしょうに。昔はここで凧揚げをしている子どもたちもけっこういたものですが…。


 これは僕(ら)が遊び場としても使っていた、粗大ごみ置き場です。鍵がかかっていることが多いのですが、この中から使えそうなものを引っ張り出して、「秘密基地」なるものを作ったのでした。
 この置き場があるのは、都市公団に属するところだけのようです。今になって初めて解る話ですが。


 毎朝、家から徒歩10分の中学校に通うのに使った道です。できたてはきれいな舗装路だったのでしょうが、今はやや傷んでいます。


 「緑の町」32棟南側の公園。1988年12月4日、ここでケンカをしたことを思い出します。ろくでもない子供時代。ケンカがろくでもないというよりも、あの子供時代の陰湿さが最悪です。昨日のごみよりも先に、この場所を次元の狭間の中に落としてやりたいくらいです。


 緑の町に属する人口の川の「滝」の部分です。電力で水を循環させながら、時間を区切って流れる「川」。僕は当時、自然の川も夜は流れを止めるものだと、本気で思っていました。
 …今となっては、ヘドロがたまり、敷き詰めた石が剥がれた負の遺産。


 南港には4つの区域があります。前述の「緑の町」の他、「海の町」「太陽の町」「花の町」。我が小学校の校歌にも、「太陽いっぱい 花いっぱい」という歌詞がありましたが、この南港はそういう思いを込められて作られたのでしょう。
 ここはその南港のほぼ中心にある噴水。東の端はやや深く、西に行くほど浅い。水はよどんでいるのできわめて汚いものです。


 この水色の建物は、「咲洲(さきしま)高等学校」となっています。しかし、僕がここにまだいた頃は、「住之江高校」、略して「のえこう」と言われていました。住之江高校を改名して咲洲高校にしたのは何か思惑があるのでしょうか。


 海の町(南西部)と花の町(北西部)との間にはポートタウン西駅があります。その駅前には、ポートタウン東駅前ほど立派ではないけども、ショッピングセンターがあります。この自転車置き場を持つスーパーは「ナショナル」という名前ですが、僕のいた頃からは場所も規模も変わっています。


 花の町に属する人口の川の最下流です。川と呼ぶにも情けないですが、今ではカモが飛来していることを見ると、まんざらでもないのかもしれません。
 当時、どこから湧いてきたのか解らないけども、変わった魚や生き物がたくさんいました。しかし、定期的に川の水の浄化と称して行われる、環境事業局の「清掃」で、それらの生き物は一掃されます。あちこちに「この池に入って魚を捕ってはいけません」という立て札を作っておきながら、率先して生き物を「処刑」するやり方には、怒りや治まらずでした。


 木の葉が落ちて茶色くなった水。ポリフェノール酸化物の色でしょうか。このまま放っておけば、ヘドロの海と化し、夢の島、「咲洲」は名前だけになってしまうでしょう。所詮は人口の川なのですから。本来の川なら、下流域や海に栄養をもたらすものになるはずです。


 南港の住宅街を取り囲むように、倉庫や港、商業施設が並んでいます。「インテックス大阪」は、花の町のそばにあり、時々よく解らない催し物がありました。「国際見本市」という別名(?)もあります。DIY(Do it yourself)は毎年行われていましたが、僕の最も古い記憶では、プラスチック包装技術の見本市が楽しかったと思っています。今思えば色の付いた水をパック詰めして配っていたのは、その色水自体に意味があるのではなく、包装技術を見せていたのですね。


 南港はコンテナ埠頭の拠点とも言えます。その地名に港があるくらいですから。タンカーからありとあらゆるものが入ってくる。昔は、これだけだった。僕らは、その岸壁で魚釣りをしていました。


 しかし、僕が中学生の頃に、この「ATC」(アジア太平洋トレードセンター)が出来ました。魚釣りをしていたあの岸壁は柵で覆われてしまいました。今はどうか知りませんが、ATCは赤字を抱えていたとのこと。ゲームセンターは入場料を取っていました。周りには競争相手がいないからなのでしょうか。


 南港のはずれにある「野鳥園」。野鳥が飛来してくるらしい。僕は、こんなに作られた「野鳥」園でなくても、さっき人口の川に飛んできていたカモで十分です。朽ちてゆく施設に、入ってくる人の数は少ない。


 釣り場としてまだ健在のようです。僕らの中では「赤灯台」と言っていた釣り場。柵は厳重に張られていても、釣り人の欲求を防ぐことはできません。


 当時はたぶんなかったと思われる足場から写真を撮っています。大阪湾は海流が変わって回遊魚が渡ってこなくなったとの話を誰かから聞いたことがあります。
 遙か向こうに、家を取りこぼしそうなくらい裾に抱えた六甲山があります。


 野鳥園の周りは鉄の柵で囲われています。また、植樹で周りの見通しも利かなくなっています。しかし、その植樹の隙間を練って歩き、柵の隙間から向こうを覗けばこの景色が見えます。見えなければ、何でもありか。


 「はばたきの丘」?こんな名前の付いた場所が野鳥園にあったとは初めて知りました。緑の町の近隣公園と同じように土が雨に流されていました。


 「海の時空館」?もちろん、こんな施設は僕のいた頃にはありませんでした。


 その時空館の側には、横浜の大桟橋のようなところが出来上がっています。できたばかりの施設ですから、きれいなものです。


 これは、父親に聞いたところによると、外国人に設計させてお金が外国に流れて批判を受けたとか。なんやら、焼却場らしい。確かに、見てくれの良い焼却施設は増えているように感じます。


 この彫刻刀で彫られたような道路は、大阪港のある舞洲(まいしま)へ続く海底トンネルです。通行料200円ほどで渡れるのです。この海底トンネルと同時に、ニュートラムの中ふ頭駅から地下鉄中央線の大阪港駅まで、「大阪港トランスポートシステム」という第3セクターの交通会社が電車を通しました。しかし、大阪市交通局とは別料金で数百円の運賃を取られるため、利用者が少なく、僕も極力利用を避けてきました。住之江公園駅回りの従来の道を使うか、高速道路専用の港大橋を市バスで渡るかのどちらかです。
 そして、僕がこの大阪を離れた10年ほどの間に、「大阪港トランスポートシステム」は潰れて、結局大阪市交通局に吸収されました。あのときの第3セクターは一体何だったんですか?


 既に、当時の場所と重ね合わせることができないくらい、花の町北部の一帯は様変わりしました。この、運河のような公園はいったい何でしょう。利用者はいるのでしょうか。
 そろそろ写真撮影に疲れてきたので、本当のホームに帰ります。


 「ハイアット・リージェンシー・オーサカ」(左)と、コスモタワー(右)です。南港も、高層ビルの中に埋もれていくのですか。


 このあと、僕は予定より30分ほど早く実家を後にしました。もう十分南港を堪能しました。そして、ここには未来永劫展望がないとも思いました。
 次々と新しい建物を建て、次々と新しい公園を増設しているようですが、既存の人口の川を見ましたか。犬猫のフンにまみれた公園の砂場を見ましたか。ヒビだらけの煉瓦通りを見ましたか。雨に土を流された公園を見ましたか。地盤沈下で階段を足した住宅を見ましたか。
 古さとともに趣が深くなるものなら良いけど、この南港にはそんなものは何もない。僕の短い人生の中でもこれだけ荒廃する施設に、どうして展望が持てますか。僕が小さい頃に行った京都のお寺は、未だにその趣を醸しています。もちろん、整備はしているのでしょうけど。
 ATCでトレードされるのがそのうち廃棄物にならないように、はばたきの丘から飛んでいくのがそのうち有毒ガスにならないように、海底トンネルの先が地獄にならないように、せいぜい祈るしかないのでしょうか。
 もう、ここには戻って来たくない。さよなら、南港。

天気:晴れ(大阪市住之江区・埼玉県所沢市)

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