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文句だけなら誰でも言える

2008年 1月 11日

 今日、突然(ではないのですが)夜に所属の党の会議が入りました。とてもとても乗り気のしない会議が。自分が出たくもないものに、意味を見出せないと思っているものに、夜の自由を奪われるのはとても無駄だと考えているのです。今日の夜のもその例に漏れず、僕はとてもイヤな思いをしながら参加しました。もちろん、剣山のあの雪山よりも苦痛です。


 会議だけで終わると思っていたら、宴会が抱き合わせで来ました。強烈に悪のオーラがたまっていきます。結局、途中で逃げましたが。どのみち、楽しめないし、人を不愉快にさせるわけだし、いない方が良い。


 でも、僕の方に問題がないとは、全然言えません。僕は、この会議を、あるいはこの会議に準ずるものを、良くしようと行動したことがあったでしょうか。文句だけなら誰でも言えます。帰りの電車も超満員で苦痛のオーラを醸していましたが、ずっとさっきのことが頭から離れなくて、自分自身の主体性を問い続けました。
 僕は、山が好きで、化学のことを考えたくて、家でリラックスもしたいのです。そんな時に、会議のことなんか考えるのは二酸化炭素と水からブドウ糖を作るくらい大変なのです。でも、文句を言うなら、その会議に参加するのをやめるか、会議を良くなる方向に持っていくかするべきですよね?
 本当は、しばらく一人で山に登ったり勉強したりしたい。僕自身の技術・知識・経験の不足は、自分で補填できる限り自分でやりたいのです。「学習会」とか、よほどレベルの高いものでないと満足できないかもしれません。ましてや、内輪だけで固まった組織で動くなんて、たまりません。所沢でも、ビラまきとか「~の会」への参加などの呼びかけがありましたが、参加しようなどとは全然思いません。ハッキリとはしないけど、僕のやることじゃないと思いました。
 じゃ、どうしたいの?
 …解らない。義務でやるべきこと以外は、すべてすっぽかして、自分のやりたいことに専念したい、と、理屈っぽいことしか言えません。
 僕のやりたいことはとても気まぐれで、さっきの会議の中でもさんざん論説されてダルいと思っていたことでさえ、自然と行動していることがあるのです。
 僕は、化学が好き。山が好き。ゲームも少し好き。色々なものを見て歩くのが好き。好奇心はある。…ということは、外に出かけたら、好転することもあるかもしれない。いや、好転した経験を持っています。でも、今はどこに出かけたらいいのでしょう?ボランティア…?何のボランティア?
 矛盾していますね。一人で勉強したいとか山に行きたいとか言っていたのに。ボランティアなんか、一人じゃできないよ?でも、やりたくないことのリストには入っていませんね。
 とりあえず、僕は、今日はただあの会議に出たくないだけでした。でも、それじゃ、いつまで経ってもつまらないまま。縁を切るか、改善のために動くかしかない。あくまでも最初は自分の意思で入った組織に対して、ちゃんと責任はとらなければならないのです。
 縁はいつでも切れる。文句もいつでも言える。改善のために動くのがベストなんじゃないですかね?主任もそれらしい発言をしていたし、そう思うメンバーは他にもいると思います。
 好転は、好転を経験した時に初めて見えてくるもの。今の会議じゃとても想像できないけど、好転のチャンスはどこかにあるのでしょう。それこそ、あの会議で僕がダルそうに聞いていたことの神髄かもしれませんよ?

天気:晴れのちくもり(東京都板橋区・豊島区・埼玉県所沢市)

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