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みんなと歩けてこそ一人前

2008年 3月 2日

 やはり、起きた時には地獄を見ました。
 食欲は全然落ちていなかったのは驚きましたが、昨日(今日)の夜に眠りに就いた時よりもより眠いという実態に、愕然としました。


 「東京原水協 様」だって。商売人は、客を選ばない。原則ですね。
 僕は、このホテル、それなりに気に入りました。部屋にLAN線があって、使いづらい歯ブラシもなかったし。


 「静岡北ワシントンホテルプラザ」
 …焼津のホテルに泊まった茨城の仲間の声を後で聞きましたが、「朝、トースト一枚で、本当にひどかった。」(Aさん)「ご飯よりもパンの方が安いんだよ。」(Hさん)などというところに泊まってしまったらしい。


 静岡県庁舎。大きい。こんなものだとは思うけど、いくらかかったんでしょう。必要なものならお金を厭うてはいけないんだけど。


 下手すると、会場の清水文化センターに行き着けません。JR清水駅に行けばいいと思いこんでいた僕は、危うくハマるところでした。
 ここは、静岡電鉄新静岡駅。


 眠くて死にそうな車内で、向かいの席にいた女性から、クールミントガム。鼻が詰まっていたので、効果は半減。メントールが鼻粘膜に到達しなければ意味がないのです。


 桜橋駅で降りて、凄く細い住宅街路を、ビキニデー2日目の参加者の塊が強引に通過しました。そして、その後ろで、何食わぬ顔で洗濯物を干しているおっちゃんがいました。
 …まさか、これ、当たり前?


 清水文化センター大ホール。
 あれ?さっきの巨大な塊が入っていったと思ったら、また追い出されてきました。まだ開いていないんだって。扉は内側から閂(かんぬき。といっても、「閉館中」とか書いたプラカードでしたが)が掛けられました。
 寒いぞ。早く出てきて、早速犬死にでした。


 憲法9条を守る、というテーマで、核廃絶のための「議論」する分科会です。写真の人は掲載した発言者ではありません。
 いくつか、ハッとした話を載せます。

愛知県代表:改憲に反対

 日本国憲法は単なる日本の国内法ではない。侵略戦争を二度とやらない、植民地支配を反省するという、世界に対する誓約だった。だから、サンフランシスコ講和会議で、スリランカの代表は、日本から賠償金を取るなとアメリカやイギリス、中国に要求した。そうして、賠償金を取られずに済んだ。
 だから、そんな国際的な誓約を破るなんてことは許せない。そういう気持ちで9条の会を立ち上げた。

北海道代表:改憲に、前向きに賛成?

 一つは、自衛隊は、軍隊ではないのか、軍隊なのか。軍隊であろう。
 憲法で自衛隊を規制する(国民の弾圧や海外活動など)条項は客観的にない。解釈の問題ではない。
 二つは、自衛隊がイラクの派兵されている。復興支援なのか、戦争への参加なのかどうか。戦争への参加である。
 ということは、既に戦争できる国になっている。現行憲法の下で、海外で活動するということが想定外。どういう闘いをするのか問われている。自衛隊は合法的に派兵されているので、それをイラクから撤退させることが出来ない。そのため、9条の精神を活かすためにはそれを補強するものが必要。

 …どちらも一部分の引用ですが、おもしろくないですか?日本国憲法9条の役割が、性質が、客観的にどういうものかを考える材料になりませんか。解釈ではなく、客観的に変えてはいけないところと変えた方があるいは良くなる可能性があるところを、この二方は言っているようです。
 他にも、採り上げたいのがいくつかあったのですが、キリがないのでパス。


 お昼は、茨城の仲間7人と一緒にメシ。おいら、色んなところに仲間がいるみたいですね。これ、非常に光栄なことですね。
 とりあえず、僕はこんな化け物みたいなきつねうどんは、そんな大勢の中では食べきれないので、普通盛りの盛りそばでした。


 エビ天卵とじの蕎麦っぽい。巨大な丼が威圧的。アルミニウムの胃袋しか持たないふうたろうには、凶悪。


 それから、これが天ぷらうどんらしい。これもだいぶ凶悪です。みんなの食べている物見ているだけで、ゲップが出そう。
 それで、僕の盛りそばの写真は、撮り忘れました。
 ついでに、普通盛りでも食べ切れませんでした。
 協力してくれたみんな、おおきに。


 午後から、全体集会。昨日の午後と似たような感じですが、昨日はグロッキーだったのでその分まで参加していました。ついでに、憲法9条の分科会も合わせて、一睡もしなかった自分に、ちょっとだけ褒めの言葉を。
 東京代表団で通訳もやっているMさんは、「(分科会で)寝てたんでしょ?」と、とんでも無いことを言ってくれましたが、寝てませんよ~っだ。
 そう、実際寝ている暇なんか無くて、レコーディングで大変だったのよ。おかげで、引用が出来ました。目的意識が大事なんでしょうね。


 全体集会に、アメリカの代表が来ていました。
 …アメリカと聞けば、在日米軍を真っ先に思い出し、その次にWTO協定や遺伝子組換え問題などの細々した、決して良いとは言えないものを思い出すのです。
 でもね、アメリカから来る代表は、最初に「Friends!」で呼びかけました。そして、安倍政権を退陣に追い込んだことを祝福し、アジアと世界を支配し続け、核武力で脅しをかけているアメリカ「帝国」を批判しているのです。アメリカの代表からそうしたエールが送られることにどれだけ励まされるかは、原水爆禁止世界大会でも経験済みです。また、日本の活動家(農民)たちが世界で、「食糧主権」を訴えた時に世界を励ましたことでも経験済みです。
 …これが、変革の可能性が信じられるということなのかな?


 最後に近づいて、団体数組織が、演台に出て、声を張り上げていました。「がんばろう!」的なかけ声にはどうしても一歩引いてしまう僕です。でも、それでがんばろうと思える人がいるなら、それでもいいとも思います。その声にかかわらず、僕は自分の出来ることを、探すしかないのです。


 最後はみんなで「We shall overcome」を歌って終わりました。"overcome"は、直訳すれば、「克服する」、みたいな意味です。こういうのも、僕はあまり入り込めないのですが、別に、何ちゃない。この前の酒盛りみたいに強要されることはないのだから。


 長い二日間が終わりました。睡眠不足で相当ヤヴァかったのですが、何とかやり抜けました。
 今回は、一昨年の10月7~9日に参加した「学習交流集会」のような失敗はしないぞ、と腹をくくっていました。あのときと同じように、今回もたくさん交流を持って、アドレナリンが枯渇するくらい付き合ってきましたが、そこの疲れで一踏ん張りが出来なかったのが一昨年の交流会でした。マイナス思考で、依存的でした。でも、今回はそうはならなかった。あのときよりもずっと自分の立ち位置が解るようになったのだろうと思います。純粋にみんなのがんばりを認められるようになったりしたのだと思います。条件的には、本当にあの交流集会の時と酷似していますから、素晴らしいですね。
 …で、終わってからですが、一人で帰宅したのですが、ぐったり度は最高値でした。これで帰宅が21時とかだったら、体力的に死んでいました。ああ、死なずに帰ってこられました!良かった。
 ここで出会った東京の原水協の、特に若い人たち、機会があれば、何か一緒に出来るといいですね。埼玉でも少し軌道に乗りかけているわけですし。もちろん、茨城の仲間も忘れてはいませんよ。
 ふふふ…。これが僕のさだめの道行き。最終的には僕が笑うのだ。ちょっと、引っ越ししてしばらくはどうなるかと思ったけど、やっぱり何とかなった。体力さえ回復させれば、行動にバリエーションを付けられるぞ。山と化学だけでなくて、ね。

 最後に、会場のみんなに、謝辞を申し上げます。「連帯」という言葉でしたが、僕に、人が力を合わせることの意味を突きつけてくれたみんな、単身ビキニデーに突っ込んだ僕(Wさんも)を普通に受け入れてくれた東京原水協のみんな、久しぶりに出会って楽しかった茨城のメンバーのみんな、本当にありがとう。

天気:晴れのちくもり(静岡県静岡市・清水市)

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