家に帰るまでが遠足(大洗港~:茨城県~)
※記録:5月7日21時台
朝、船の中で、3時27分に目が覚めてしまい、それ以降寝られなくなってしまいました。4時半まで2度寝を試みましたが、徒労に終わりました。
それで、結局、8日分たまった「ふうたろう絵日記」を書こうと、人の少ないラウンジへ。"さんふらわあふらの"は、ラウンジがあって、机もあるのでデスクワークが出来ちゃいます。
そして、PCの前で、不健康な食事。
この似非オレンジジュース、一丁前に「栄養機能食品」などと名乗っています。何それ。
もっとも、船の中での食事は、レストランを使ったとしてもまともなものがないので、諦めるしかありませんが。
この後、10時くらいまで、3日分くらいの絵日記を書きましたが、8時35分から始まった「ちりとてちん」総集編にハマってしまい、4月30日以降、書けなくなってしまいました。人も増えてきたし、友だちも起きてきたし、文章書くのも疲れてきたし、終わり。
ところで、これを書いている時、隣でくしゃみをした人がいました。飛沫が僕のところまで飛んできました。
たぶん、北茨城沖です。もう、大洗港寄港間際です。濃霧がきついですね。
大洗港が見えてきました。港はいつも曇っている。北海道の船旅はいつもそう決まっています。
そして、具合はとても悪い。頭がくらくらします。本当に、この分厚い層雲みたいです。
大洗港から大洗駅までは歩きました。そして、水戸駅からはスーパーひたち号で上野まで…。
家に着いたのは18時前。疲労がたまりきっていて、荷物が登山初日(28日)よりもずっと重く感じました。重すぎて、唾を飲み込むことさえ出来ませんでした。
でも、とりあえず帰ってこられた。今までで最長の10日間という一人旅が終わりました。
こうして帰ってきた10日ぶりの所沢。色々今回の北海道の総括をしてみると、やっぱり色々思わぬハプニングがあるものだと思いました。27日のコインロッカー探しとシカ衝突、28日のイチゴ・オレと疑似好天による暴風雪、29日のいきなりの気温上昇と雪道トラバース、加えてスパッツファスナーの大破、30日の気分の波、1日の雄阿寒岳の酷暑、2日のキャンプ場で水がなかったこととトイレの故障、3日のクスリ切れ、4日・5日の疲労困憊…。
それから、今回の厳しい暑さで、防寒具がまったく役に立たず、荷物を圧迫しました。インナーダウンジャケットとフットウォーマー、雪用のシャベルはまったく使わず、ただの邪魔にしかなりませんでした。アウターの分厚いジャケットとアンダーウェアも相当邪魔になりました。ろうそくの炎は避難小屋で使うとよかったでしょう。今回は避難小屋はなかったので、不適当でした。
一方、意外と役に立ったのは、登山靴以外の履き物、サブザック(ただしもう少し大きめのものが好ましい)、細引き、現金として持ち歩いた50000円あまり、米炊き袋など。地図・コンパス・温度計・時計のセットはゴールデンコンビ。僕をずっとサポートしてくれました。
熊すずは安心感を与えましたし、アイゼン・わかんも前半はだいぶ役に立ちました。何より、ピッケルの活躍は素晴らしゅうございました。登山用のズボンの替えを1本持っていたことも旅を快適にしました。携帯の充電器は必須。食器を拭くためのトイレットペーパーは欠かせません。火つけに大活躍だったターボライターも手放せません。
もっと必要だったものは、ゴミ袋(着替えなどを入れる袋)、そしてカメラ用の充電器とメモリ。何より、常備薬の数の確認を怠ったのは致命的でした。これによる、4日・5日の損失分は大きい。
土産物に関していえば、不用意に生ものを買うのはやめるべきでした。帰り着く頃にはシシャモもイクラも常温になっていて、保冷剤は全然使い物になっていませんでした。以後、生ものの購入は、郵送しないのであれば禁止しましょう。身体への加重負担にもなりますし。
タクシーや特急列車を利用することも、今回は考えさせられました。危険を回避し、過度の疲労を抑えるために利用することは、贅沢でも何でもありませんから。
予定とはかなり違った日程になったことも、教訓かもしれません。水も汲めるところで汲んでおくことも重要です。
色々あるもんですね。でも、帰ってきてみると、あっという間でした。旅はまだこれからも続けます。また今週末には…。
天気:くもり(東北三陸沖・茨城県東茨城郡大洗町・埼玉県所沢市)