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半分は正しい。

2008年 5月 11日

 なるほど、
 「人間とはつくづく好戦的な生き物」
 か。
 これは、襲っている魔物側から言われている設定です。
 さて、戦争をするのは誰か。当たり前ですが、現実の世界には「魔物」なんてものはいませんから、同じ種族同士殺し合うのは人間だけです。
 そういう意味では、確かに、「好戦的な生き物」かもしれませんな。
 ただ、ドラゴンクエスト7のストーリーにも出てくるように、争っている人間ばかりが登場するのではなく、出会い・別れを惜しむ人、探求に燃える人、恋する人、感謝する人、何かを美しいと思う人…などもいます。ドラゴンクエスト7の設定では、こういう人たちがまた、争いを止め、安寧を求めて生きているのです。

 人=好戦的な生き物
 というのは、実は半分しか正しくない。半分正しければ十分でしょうか。
 しかし、好戦的な生き物であることも、また何かを愛する生き物であることも、同じ世界で共存しているのです。だから、人を「好戦的な生き物」と定義するのは、×。
 拡大して、性善説とか性悪説とか、そういうものがありますね。だから、そのどちらも、×。あくまでも、人は、その環境(医学的に先天的であることも含めて)によってのみ、他者にとって都合が良いか悪いかのどちらかの存在になりうるだけです。どちらの立場に立つかなんて議論をやったりすることもあるようですが、形而上学的で、何の進歩もないことです。
 この、僕が遊び呆けていたゴールデンウィーク中に、殺人事件が多発していました。殺人事件じゃなくても、そこら中で犯罪が起こっていて、やれ、人間はそもそも悪い(性悪説)とか、この人がこんなことをするはずはなかった(性善説)とか、極端な話ばかり。
 もう一度言う。人は、その環境(医学的に先天的・後天的なものも含めての)条件で、周りを脅かしもするし、共存しもする。
 犯人を責めるなら、犯罪が起こった環境を洗い出せ。犯人をかばうなら、それは事実を見ていないだけだ。
 ドラゴンクエスト7の話に戻れば、この魔物の話の後、とらわれ分断されていた人々は、団結して魔物と闘い、打ち克つのです。
 ここで、憎悪と愛情が「同じ」などという人がいるようですが、またそれも違うと思うんですね。何が違うか。その感情を抱く人を取り巻く条件(もう一度念のため言うけど、医学的に先天的なものも含めて)が違う。結果もたらされるものもまた違う。
 なお、ライオンの子殺し、ザリガニの共食い、などを、実際は論(あげつら)うことも出来ます。人とそれ以外の生物の境界なんて、怪しいねぇ。

 さて、寝るか。

天気:雨のちくもり(埼玉県所沢市)

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