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脳天気な日本

2008年 6月 4日

 今日は、病院に行きました。大腸の方なので、いつもの予約制の精神科や歯科と違って、待ち時間も手続きも長い。チャリは壊れているのでバスで行こうと思ったら10時発のしかなくて、病院から家に帰ってきたら13時回っていました。
 たぶん、潰瘍性大腸炎の方は問題ないと思いますが、中途半端に病弱なので、継続的にあの負担の大きい内視鏡検査を受けなければなりません。今日は、その予約でした。


 実をいうと、話の本題はこちらかも。
 結局今日は出勤しなかったので、午後は家にいました。雨が止んでいるので洗濯をしておきました。
 そして、家でゲームをやっていた19時頃、隣から怒号が飛んできました。いえいえ、僕は何もしていません。何やら、母親が子どもを折檻しているようです。
 なになに…?
 「怒られる覚悟でやれと言っただろうが!」
 微かに壁を通して子どもの泣き声と、正直迷惑な母親の怒号と、それをかき消せずにいるドラクエ7のBGMとが交ざっていました。終いにはドタバタと音をたてていたので、こちらも半分イラツキながら玄関先まで出ていったら、さっきの母親、洗濯機(外に置くタイプ)の前で始末に負えないガキンチョのようにムッツリしながら洗濯物を洗濯カゴへ投げつけていました。
 …隣の子どもはたぶん2人かな。毎日一定時間、まるで動物園の隣に家を構えたような気分になります。でも、今日はその怒号のあとは一切音が聞こえませんでした。
 いったい何があったのか知らないけど、子どもを仕付けるやり方としてあれが適切なのか、首をかしげました。それでなくても、いつも母親の怒号は大なり小なり毎日聞こえているのですから。
 今日の感じでは、あれは躾(しつけ)じゃないね。母親のイライラをぶつけているように僕には見えます。それとも、時津風部屋などの角界のような、「かわいがり」の気分だとでも言いたいのかな。もっとも、僕にとってはどちらも同じようにしか見えませんが。
 そもそも、怒号や腕力で仕付けようってのが、甘い。
 え?体罰を全否定するなって?
 相手がイヌやネコならまだしも、言語中枢と理性を司る前頭前野を持っている人の子どもですよ?
 もう一度いう。そういう暴力で済ませようとするのがそもそもお気楽すぎるということです。たまたま今日は隣の家がガタガタしていたのですが、これは誰にでも言えること。
 そりゃ、人間、誰だってズルしたり、嘘ついたり、思わずカッとなったり、不機嫌な顔したり、ため息ついたり、するさ。それは子どもも大人も変わらない。でも、子ども相手なら、手を挙げることが許されると思っていることが、甘い。悪い意味での体育会系も、同じ。子ども(弟子)に手を挙げるということは、子ども(弟子)手を挙げることを許すということ。あんた、ヘタしたら、力の差が無くなった時、死ぬよ?
 最近、キレる子どもが増えたとかいうけど、キレる子どもを育てたのは誰か、よく考えれば、ネコでも解る。それとも、下克上の世界に戻りたいのですか?
 …というわけで、体罰(精神的なものも含む)は当然全否定。自分が同じレベルで体罰を受ける側に回ることを許せる人間がいるなら、それは自分が受けるだけにしなさい。抑圧されて育っていく子どもを、これ以上増やすのはやめてください。
 とはいえ、親だって元は子どもだから、「鶏か卵か」の議論になるんですけどね。少なくとも、親→子どもの連鎖だけはどこかで断たないと、何も変わらないでしょうね。
 僕はそういう生き方はしないようにしよっと。
 あとは、アレですね。ほら、社会を変えるとかいうやつです。

天気:くもり(埼玉県所沢市)

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