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マススペクトルと資本と辛子明太子

2008年 7月 2日


 キノクラミン
 除草剤です。
 …忌まわしい過去をまた思い出してしまいます。もっとも、このキノクラミンは、僕を当時救ってくれたものの一つですが。
 マススペクトル、単純です。バカボンのパパの鼻毛じゃない。でも、僕は、マススペクトルの基礎なんか勉強したことない。教えてくれた人なんか、一人もいない。嘆いても仕方ないけど、教えてくれる人がいない、というのは、何だかね…。
 でも、プライドだけは一丁前に付く。良く言えば向上心かもしれない。


 帰り、昨日と同じく、『超訳資本論』。…何でこんなに言い回しが意味不明なの?オパーリンの『地球上の生命の起原』読んだ時もそうだったけど、理論だけが抽象的に飛んでくる時ほど、解りづらいものはない。
 …でも、何より苦しいのは、その理論が無用なものでないことです。むしろ、頭の片隅に置いておきながら生きていると、なるほどと思えることがぐんと増える。


 交換価値使用価値の話。
 今日、人身事故で混雑した電車がイヤになったので秋津から家まで歩き、途中で寄ったコープ北秋津。そこで、20%引きになった辛子明太子を買いました。
 通常価格380円の辛子明太子に対して、通常は380円払うはずが、304円払うだけで済むのです。76円はどこへ行ったのか。
 僕にとって、この辛子明太子の使用価値は、380円の時と何ら変わらない。でも、コープ北秋津側からすると、76円分低い304円分の価値しかない。僕は、お金という貨幣を通じて、マススペクトル分析(残留農薬分析)という労働との等価交換をしたはず。マススペクトル分析の価値が上がったわけでもない。使用価値は殆ど変わらなくても、交換価値は変わるという意味はこういうことなのかもしれません。腐敗したり、今の時代では法律的に賞味期限が過ぎたりすれば、交換価値はゼロになりますから、交換する側(売る側:コープ北秋津側)から言えば、80%でも回収したいのですね。
 ただ、僕にとっての使用価値は変わらないので、代わりに、交換価値100%の辛子明太子が消費されなくなり、ものが余る状態になります。
 …世の中では、こういう「投げ売り」がわんさかされていますから、そのしわ寄せたるや、スゴいことでしょう。仮にこの投げ売りが100個行われたら、7600円、つまり、辛子明太子20個分が余ることになります。その7600円は、交換されなかった価値と同じですから、交換する側が、何らかの形で補填します。それでは、それはどこで補填されるのでしょうか?
 資本を増殖させる運命にあるという意味では、これは強制力というところでしょうか。8割で売るも地獄、捨てるも地獄。あくまでも8割でも売って、10割のものも売れることを前提にしないとやってられないのですから。
 辛子明太子から(交換)価値使用価値の違いが解るような気がします。
 誰か、僕に、解りやすく、マルクスの資本論を教えてくれる人はいないだろうか。この意味が本当に正しいのか、僕には解らないのですから。

 さて、明日の用意するか。

天気:くもりのち晴れ(東京都板橋区・埼玉県所沢市)

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