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19時間戦争(飯綱山:長野県)

2008年 7月 21日

※記録:7月22日21時台

 今日の起床は3時半。
 よくもまぁ、いつもよりも5~6時間も早く行動できるものだ。普通なら完璧時差ボケでしょうな。
 そして、困ったことに、米を炊くだけの燃料がない。インスタントラーメン二人前でお茶を濁しました。


 さっきまで本当に晴れていたのに、また霧がかかってきました。しかし、今日の空は、上空は雲一つないようです。下層雲被う戸隠。


 今日の目的地は飯綱山に登ること。イースタンキャンプ場の中に、登山口があります。


 こちらも暗い樹林帯。曇ってたら間違いなく失速。


 霧も、層をなして、ある部分とない部分が分かれています。ここの空は真っ青。


 樹林を突っ切って輝く太陽。
 う~ん!
 山の朝だ!


 最初のピークに出るまで、ひたすらダラダラとのぼり続けるルート。結構、最後の日、油断していたのか、疲れています。


 飯綱山の、僕が登っていたルートは、途中からゲレンデになっています。冬になったらどうなっているんだろうか。
 今は荒れた草っぱらだけどね…。


 高デッキという丘が見えます。さっきまでこの丘もガスに被われていましたが、ちょっとずつ晴れてきました。


 最初のリフトから瑪瑙山(めのうやま)に登るところも、ゲレンデです。ここは、とにかく戸隠連峰の展望が素晴らしい。ずっと後ろを振り向いて登っていたので、ちっとも前へ進みませんでした。


 瑪瑙山のリフト降り場で休憩。下剤袋はしっかり役に立っています。
 飯綱山と瑪瑙山も、下剤山ですね。それを言うなら、高妻山も戸隠山もそうか。


 瑪瑙山頂上は、リフト降り場の上にありますが、登り口は少し解りにくいかもしれません。


 瑪瑙山から飯綱山に向かうのですが、どうやら、一旦この爽やかな笹薮を下らなければいけないようです。うっすらガスに紛れて飯綱山が見えているような…。


 瑪瑙山と飯綱山の鞍部。瑪瑙山を振り返っています。


 同じく。


 一筋の線となる、登山者の軌跡。


 飯綱山に取り付くと、またガスに巻かれますが、チンダル現象が色を添えてくれました。


 実は、山頂に着くまで、急登と濡れた道にかなり苦しみました。ちょっと急ぎすぎたか、別の登山客に言われました。そんなに速いわけではなかったけどな…。たぶん、昨日までの疲れとナマクラがとどのつまりは…というところだろう。


 頂上は、ガス。
 やっぱりダメか。


 いや、今日は少し粘ったら晴れてくれました。もちろん、一瞬でしたけども。牧場の方までは見えました。東側は逆光で目がくらみます。9時ですからね。世間では朝です。


 飯縄神社。かなり風化しています。


 ニガナの仲間の白と黄色。隣り合って咲いているのは珍しい。


 この道も、上る人上る人、みんな顔面蒼白。
 なんだ、みんなもしんどいんじゃん。
 がんがれ~!


 雲の下にも少し遠くの森林が見えます。雲がなかったら、ずっと広がる大森林…なのかな。雌阿寒岳の時みたいに。


 こんな樹林の中で、これから登るという老夫婦との立ち話になりました。長岡(新潟県)の方から来たらしい。ずいぶん長く引き留めてしまって、申し訳なかったなぁ。


 飯綱山、下山。飯綱山クリア。


 今日は飯綱山で終わらない。まだ序の口です。
 とりあえず、このマヌケた施設はスルーです。


 この車の数!
 滅多に車の写真は撮らないけど、嫌悪の象徴。


 だんだんふうたろう旅日記風になってきました。
 腹が減って立ちよった蕎麦屋で出された、蕎麦団子。そば粉を練ったものを油で揚げて甘辛醤油で味付けてあるような感じです。ちょっとくどい。


 蕎麦を食べていると、そば粉の配達が来ました。
 ふ「この蕎麦って、この周辺の蕎麦を使ってるんですか?」
 店「すべて…ですかね?どう…かなぁ…。」
 どうやら、よく解らないらしい。
 横浜港に来るそば粉運搬トラックも、長野ナンバーが多いと聞くから、まんざらでもないかもね。
 今に始まったことではない。


 たまたま立ちよった店だったけど、どこも似たり寄ったりだと思っています。今や特産品など、外国に依存しないものなどどれくらいあるものか。


 時間は目一杯使って、鏡池と森林学習館に行きます。
 壊れ、朽ち果てた灯籠。


 小鳥ヶ池というらしい。あまりメジャーじゃないみたい。中社とかにはどっさりと人はいたのに、ここは全然いませんでしたから。


 黒と茶色と時々緑の地面に、この炎のようなキノコが生えていると、スゴく目立ちます。朽ち木に生えています。


 硯石(すずりいし)だってさ。水たまりに1円玉とかが沈んでいます。1円ならアルミニウムイオン、それ以外なら亜鉛、銅、ニッケルイオン。


 鏡池。
 …来なければよかったと、心の底で思っていました。しかし、高妻山のバッジをここで買えたので、まぁ、許す。
 だいたい、観光地というのは、あまり美しくないものだ。


 これから、森林学習館に向かいます。たった数mの距離が、何里にも感じます。かなり疲れ始めています。人混みか。


 森林学習館まで1450m?
 …遠い。


 バードバス?
 水さえたまっていない、ただの遺跡です。かなりみっともない。しかし、誰かが維持するだろうと思って作られたものなんか、うまく機能しないのだ。


 森林学習館。
 …ここは、1999年と2000年のゴールデンウィークにそれぞれ、友だちと来ています。もう、8~9年前。あのころと、変わったのか変わっていないのか。僕もこの風景も…。


 中はどうやら変わっていないみたい。
 『ザ・サバイバル』という、森に迷った少年が生き残りをかけて食用となる植物を見つけ、熊やマムシなどと戦って、森から生還するゲームがあります。これは9年前から変わっていません。まだ、Windows2000が出かけた頃?
 懐かしいな。あの時に一緒に行った友だちは、あるいは結婚し、あるいはゆくえが解らず…。


 人は全然いません。みんな、どこで何をしているんでしょう。
 山と違って、何だか、切ないんですよね。


 学習館のある、植物公園からバスで一旦キャンプ場まで戻り、これが最後の戸隠の写真になりました。丸2日、ガツンと山に登らせていただきました。
 しかし、初日に比べると、本当に家族連れが増えた。


 長野駅前は猛烈な暑さ。
 そんな中、農協青年部が街頭宣伝していました。WTO反対の立場で。
 でも、農協は、元々は自民党系だったんじゃ…。今の日本農業をダメにしたのも、農協、特に全中じゃない?
 …なんて思いながらも、まぁ、いいや。
 しかし、食糧主権を語らないのは、それでも甘い。


 長野駅から甲府駅まで187分かけて進む鈍行列車がありました。これに乗って、ゆったり旅気分。今日の午後の部はここから始まったも同然です。


 篠ノ井駅から二つ、長野駅から6つめ?姨捨(おばすて)駅。スイッチバックで停車する駅で、初めて乗った大学1年の時は、友だちと「イカサマ列車」などといって笑っていましたっけ。1998年7月29日。


 大月駅まであっという間でした。
 甲府じゃないのかって?
 甲府駅までの電車では、松本から乗ってきた、白馬岳リタイヤのおっちゃんと話していたから飽きなかったし、甲府駅では、僕らを電車に乗せてくれた女性の車掌さんと、駅ソバで話ができたから、全然時間の経過を感じませんでした。
 特に、車掌さんの話がショックでした。休日も何も関係なく、「週3回家に帰れます。」という言葉が耳から離れません。男性なら、「一週間に1回帰れたらいい方だよね?」というのは、蕎麦屋のおばちゃん。
 …最後の最後まで、旅の意味を忘れさせないよな、みんな。
 して、この写真にある看板。
 …JR西日本の、福知山線の事故から、いったい何を学んだ?安全性は、精神論ではない。
 一週間に3回はって、あんまりやろ。


 こうして、スイッチオンのまま、家に帰りました。足が汗でふやけて、更には浮腫んで痛かった。帰宅時刻22時半。
 でも、さっき駅ソバで話した車掌さん、22時半まで仕事してるって言ってた。寮みたいなところに戻るのがその時刻だって。携帯で電車の時刻調べたら本当に22時20分くらいまででした。僕には、お疲れさま、と念ずることくらいしかできない。なんか、山に行って足が痛い自分が恥ずかしくなってしまいました。
 ええ、帰りの電車は、その傷みと、自分の仕事のことをずっと考えていましたとも。最後の最後まで、力を使い果たして、家に帰ったら、風呂に入って力尽きました。

 ひとり旅はこれだからやめられない。自分の知らない世界を教えてくれる、素晴らしい旅だから。でも、悲しいこと多すぎる。だから、自分の仕事のこと考えて、一矢報いること考えましたよ。
 それでも、体力のある時じゃなきゃダメだ…。
 とりあえず、体力を回復させてから、考えよう。
 旅日記はこれで終わり。明日から普通の仕事に戻るんです。
 マラカイトグリーン…。

天気:晴れ時々くもり(長野県上水内郡戸隠村・牟礼村・長野市、移動中は含まない)

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