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え?何だって!?

2010年 8月 6日

 今日は原水禁最終日。メインは平和祈念式典。もっとも、この行事は市で行われるものであって、原水爆禁止世界大会そのものは必ずしも関係ないのだけども。
 ヒロシマの式典は8時15分前後なので、大会の方も遅めに始めて10時くらいなのですが、ナガサキのやつは11時2分なので、大会の方は容赦ありません。去年はそれで結局抜け出して式典に行ってきましたっけ。
 とりあえず、昨日の夜(今朝、か?)寝たのは2時。6時台にはホテルを出発。式典は異常に混むから。でも、市電は20分くらい待ってもまともに乗れる電車が来ない。混んでいて乗れないというレベルではなく、そもそも、本数そのものがこの混雑にもかかわらず、異常に少ない。


 かくして、式典はテレビ局の放送席後ろでした。これならテレビで見た方がマシだと思わなくもない。


 ズームイッパイにしても、真正面にカメラマンがいる。


 …黙祷や、秋葉忠利市長らの挨拶の間中、後ろの方で変な左翼どもが「…は帰れ!」とか延々と叫んでいました。原爆ドーム前に青いヘルメットを被った連中がいたので、恐らくそれでしょう。ビラにも市長や国連事務総長などを弾劾が何とかということが書いてありましたか。
 右翼も邪魔なことこの上ないけど、中に入って暴れないだけマシかもしれないね。


 …65年前のこの時刻、ここは火傷の苦しみに耐えかねた人たちでいっぱいだったんだろうね。


 ところで、ふうたろう、昨日からずっと気にしていた放射線影響研究所(放影研)にどうしても行きたくなったので、行くことにしました。うん、閉会式で黙って座っているより、そちらの方がいい。15分も集中力が持たないことを解っているし、去年やその前の経験上、あの漫然とした感じに若干うんざりしているし。
 というわけで、足を放影研の方へ。すると、Kaがふうたろうについてくると、突然言いだしたので急遽一緒に行くことに。
 広島駅から結局シャトルバスが見つからなかったので、タクシーで。850円くらいでしたか。
 中に入り念願の見学…
 だったはずですが、昨日気になっていた、被爆2世に対する放射線の影響について研究していた発表を見ていると、こいつがまた釣れました。


 何というか、この研究をやった張本人のオッサンが、最悪でしたね。色々ツッコミどころがありすぎてどうしようもないのですが、まず、話し始めるやいなや、少なくとも我々一般人に向かって、専門用語の連発。まあ、ふうたろうは多少解るのですが、何せ早口で考える暇もないので、普通に解らない
 ふ:「何言ってんのかさっぱり判りませんわ。」
 オッサン:「それはあなたの知識がそこまでなのでしょう。」
 ヾ(℃゜)々おいおいオッサン!マラソン選手が一般人に「キミ足が遅いね!」って言ってるようなもんだぜ!!
 …呆れてものも言えません。
 一旦その場を離れて、オッサンの射程から離れたあと、Kaと話をしていました。そしたら、そのオッサン、呼んでもいないのに駆けよってきて、また色々喋る。同じ早口で。
 そして、こいつが本当に許せないと思ったのはこの一言。
 「放影研(昔のABCC)が被爆者の治療に当たらなかったのは、地元の病院が困るからですよ。…ここは最先端の技術を持っていますからね。」
 俺らそんなこと尋ねてもいねえけど、それがおまえらの哲学か。
 …耳を疑う話ばかりでした。
 2階に行くと、また変なオッサンが放射線の有用性(ガン治療など)を語っているコーナーがあって、要求してもいないのに解説始めたりとか。何なの、ここ?
 Kaが気付いたのだけど、ふうたろうたち、原水協のバッジを付けていたので、それに警戒されたのかなと。あのオッサン(1階)の必死さは並大抵じゃなかったし。


 Kaとふたりで、いくら考えてもありえない放影研内での対応に呆れながら、戻りました。
 他の人の名誉のために言えば、変なのはそのオッサンくらいで、2階にいた炭素核のオッサン(何)はまだ許容範囲で、血液や爆心地の撮影などを解説している若いスタッフたちは健全です。取っつきやすいコーナーであることも確かですが、一般の人にも解るような説明に苦心していらっしゃるようで、好感を持てます。


 …熱気醒めやらぬまま(何)、延びまくった閉会式を、茨城のメンバーは早めに抜け出し、昼飯。ふうたろうはここでもうお別れですから。


 …ここからふうたろう旅日記に移行です。まあ、今日は一日旅日記のようなものですが。
 旅日記なのでネタありです。乗ったバスがホテル前のバス停を通過していくとか、食料を買い忘れて後々ひどい目に遭うとか。


 三次(みよし)行きの三次線と浜原行きの三江線を乗り継いで浜原駅。粕淵駅で最初降りようと思っていたけど、今日泊まる予定の「おおちオートキャンプ場」は浜原でも粕淵でもあまり距離は変わりません。それなら、次の電車を待たなくても良い浜原駅から30分弱歩けば着くので、ここから歩いてしまいましょう。


 住宅の間を抜けて赤い大きな橋を渡ります。


 静かな川面に、ちぎれて弱くなった積乱雲が映っています。


 雨が降ったのでムンムンする山奥の集落。


 30分どころか、20分くらいでここまで来ました。荷物が多かったり雨が降っていたりしなければ、歩いても全然遠くない距離です。


 しかし、もう日が暮れます。


 キャンプ場には、管理人ももういません。たぶん、この誰もいない河原のところが河原のキャンプ場のはず。おおちキャンプ場、値の張るオートキャンプ場に泊まらないでおこうと思えば、入場料300円だけで泊まれるこの河原しかありません。


 しかし、この無風高温多湿の河原は、寝心地は最強です。あまりの暑さに夜中吐き気がするほどでしたから。今日は特にそういう気候だったのでしょうけどね。北海道でも36℃超えていたみたいですし。


 かくして、原水禁も終わり、無事(?)目的のキャンプ場に着きました。あ、何のためのキャンプかは書いていませんでしたな。まあ、それは明日すぐに解ることなので。
 …原水禁は、茨城のメンバーと楽しく参加できました。楽しいというと不謹慎なのかもしれないけど、被爆者や遺族を思う気持ちとはまた別だとも思いますので…。
 しかし、最後の放影研はひどかったですな。あんなのが研究者になってはいかん。地元の病院のため…。忘れられないですよ、まったく。


天気:晴れ時々くもり(広島県広島市・三次市・島根県邑智郡邑智町、移動中を含む)

  1. コンチン
    8月 9th, 2010 at 21:06 | #1

    このギャップが大切なんだよな~
    それにしても放影研のおじさんは・・・

  2. ふうたろう
    8月 9th, 2010 at 23:04 | #2

     まったくです。>放影研のおじさん
     メールで質問してくれれば丁寧に返事しますよとか言っていたのですが、
     どこからどう見ても上から目線で、
     被爆者に対してもああいう目線で見ているんじゃないだろうかと、
     見えてしまってしょうがありません。

     >このギャップ
     え、何のことですか?
     原水禁と強攻キャンプですか?
     アホなことやっていることと原水禁での行動、ですか?
     それとも他の何か…?

     ともあれ、やりたいことをとことんやるのがいちばんです(笑

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