Archive

Archive for 2006年4月25日

誰もいないプラットホーム

2006年4月25日

 「誰もいない」といいながら、それほど寂しさを感じないで、20分ほどくそ寒い牛久駅のプラットホームで我孫子(あびこ)駅行きの最終電車を待っていました。このくそ寒い牛久駅での待ち時間の前には、交流会会議をやっていました。さらにその前には電車の中で、『事件に走った少女たち』(村山士郎著)を読んでいました。知的・人間的な欲求を十分に満たされ、寒い空気もクーラーのようでした。

 『事件に走った少女たち』には、なぜ子どもたちが犯罪に手を染め、あるいは、残酷な行動に出る(犯罪でなくても)のかが、子どもたちの現状とともに書かれてあります。内容を要約せよと言われると困りますが、あえて強調すべきところといわれれば、「事件に走った」子どもたちが生まれた原因を、いたずらに子ども自身の先天的(著書には「生得的」とあった)な問題や親のしつけなどに帰さないことです。自己責任論にしてしまえば結論は楽ですから、やれ「特異な個体」だとか、「親が甘やかしすぎだ」とかいう論が出てくるのです。もっとも、この本を読んでいると、ほとんどの人にとって、なぜ子どもたちがあのタリウム事件のようなものに走ってしまうのかが解らないことによって、自己責任論が生まれているのだとも言えます。仮に、意図的に「自己責任論」をぶちまけている勢力があるとすれば、なんとしても跳ね返さねばなりません。

 終電間際の牛久駅で待っていると、日中では見られない労働者を見ることができました。通勤客がいなくなった改札機から使用済みの切符を取り出すところです。牛久駅の駅員さんが青いバケツを持って、改札機の鍵を開け、たまった切符を回収します。どこから旅した切符だろう。ほとんどがオレンジの近距離切符。しかし、中には、水色の遠距離切符(1890円以上)。大阪市内から来たものもありました。
 誰もいない、駅員さえも姿を見せない都会の改札。Suicaのハイテク機がただただ並んでいます。そして、見る人もなし、これまたハイテクの発光ダイオード電光掲示板が、ただただ最終列車を知らせています。

 帰ってきたら0時7分。眠いっす。

天気:雨、雷と雹を伴い一時強く降る、のち晴れ(東京都板橋区・茨城県取手市・牛久市)

未分類