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運動レベル

2009年 7月 28日

 この頃、自分のことで汲々としているふうたろうですが、今日は、そんな自分を、ほんの少しだけ省みる機会がありました。あれですよ、本部での、高い飲み会。
 先に文句だけ言っておくと、ご飯が出ず、飲めもしない酒ばかりが出るあの場は、正直ひどいとしか言いようがない。今日は大変世話になっている先生が主役だったのでそのために出たのです。


 で、何を省みる機会となったのかというと、この頃の、ふうたろうの、漠然とした「やる気」に関すること。またつまんねーことで悩むことになりますが、あの場にいた多くの人との温度差を感じたし、恐らく、平均的な労働者とも、かなりの温度差がありますから。
 久しぶりに、運動(Demonstration)をやっている人たちの話を聞くと、やっぱり選挙選挙で何なんだとも思うのですが、少しは何か行動するべきだとも思うのですよ。農家が暮らせない、国産農産物が無くなる(かもしれない)、効率的ではない(多様性がある)文化が失われる、という経済の流れに対して、そのままでいいのかと。
 だからそれなら、ふうたろうがもっともやりたくない選挙の電話がけこそ、すればいい。といわれると、正直テンションが下がる。やらないのなら、それはやる気がないのだと言われると、更にテンションは下がる。
 ふうたろうは、日常の生活の中で、人とのふつうの関わりの中で、堅苦しく言えば「権利意識」とか「社会的規範」が身に付けばいいと思っているのです。個人情報保護や独占禁止や愛国心を法律で決めなければいけない、というある意味「常識的」になってしまった風潮なんか要らない、と。
 人間、付き合っていれば、ルールができてくる。でも、ルールがあるから破らないという思考より、破りたくないからルールになる、というパターンですよね、ふつうは。いや、それがふつうではなくなったのかもしれないけど。だから、法律云々なんてことから議論を始めさせられるのかもしれないけど。
 日常生活の中で、お互いのストレスを高め合わないことが先決かなと思うんですよ。学生の頃、それができたようなときもあったけど、今はそういう実感は少ないなあ。ふうたろうは、ストレスたまりまくっています。山に行けないとか雨が多いのももちろんそうですが、人との繋がりが希薄すぎる気がしてしょうがないのですよ。何を以て濃いとするのかがビミョーですが、仕事以外で、日常的に話をする人がいないのは、強烈なストレスです。ええ、時々バーベキューみたいなことをやるときは、大阪で雪が降るくらいの奇跡的なことで、嬉しいけど、気分転換にしかならないんですよ。100mの深さの穴の中でぴょんぴょん跳びはねているようなものです。地上の光を見られる可能性を信じることはできない。
 何だか、いつの間にか、いつもの愚痴の延長になってしまったな。でも、社会を変えるレベルの話まで、大きなことを考える余裕なんて無いんですよ。仮に、気分転換や100m穴の底ジャンプで、一瞬くらいは湧いたとしても、焼け石に水、多勢に無勢。変えることなんかできるはずがない、と、すぐに消沈しますから。
 話を戻せば、直接政治的じゃなくていいから、日常的に居場所になるような環境を作りたいです。あえていうなら、それが唯一無二の要求実現ですよ。大阪城公園で雪だるまを作るくらいの頻度では、とても社会を変えようなんて思えないし、変えられるとも思わない。
 もう何年も詰んだ話になっているけど、何をどうすればいいのか、全然解らない。嗚呼、2月頃、MSの地区委員会で議論していたものが懐かしい。


天気:くもり、一時小雨ぱらつく(東京都板橋区・豊島区・埼玉県所沢市)
覚え書き:特定疾患手続き完了・NHK住所変更完了・住民票なぜ不備?・家賃振り込み初

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