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Archive for 2006年8月

見えない後方支援

2006年8月31日

 今朝の寝覚めもかなり悪く、幸福度低。幸福度の悪さの極みが足をマク○ナルドへ向かわせました。料理を作る気力がないことが一つ、いつのも日暮里のそば屋さんに行けないのが一つ。後味の悪いバーガーでした。
 気がふれている時、いつもと違う感性が働くのは昨日の日記の通りです。いつもと違うことをしたくなるというのと似ているのかもしれません。家から駅まで、歩きました。蝶が花の蜜を吸っています。風が草のにおいを運んでくれます。見上げれば秋の空です。それだけで少し元気が出ました。花も虫も風も空も、僕を味方してくれているような気がして…。

 電車に乗れば、新聞と本で学習。一種の逃げかな。それとも、今の苦しさを助ける何かヒントをえようとしているのかも。
 実は、今日は幕張メッセで「分析展」がありました。そのために今日の目的地は海浜幕張駅。恐竜博と重なっていて、雑踏のすさまじさよ。

 分析展では分析機器の展示を始め、レクチャーもありました。しかし、本当の目的は機器の売り込みだったりして。僕はただ単純に「学習」させてもらいました。会場で発表などしてくださった方、本当にお疲れさまでした。
 それにしても、楽しそうに、自信を持って話す人たちをみると、やっぱり幸福度が上がる。分光光度計のことを話しているおっちゃんに、「自信持って話しているところ、良いですね」なんていうと、照れくさそうに声を上げて笑っておりました。いいですね。幸せですね。
 また、粗タンパク(サンプルに含まれている総窒素量から単純計算で算出したタンパク量)や粗脂肪(油性の有機溶媒で溶け出してきた物質の量)などを分析する機械を講演してくれたおっちゃん。時々(オヤジ)ギャグを飛ばしていました。僕は、純粋に親しみが湧き、反応していましたが、後で、「反応してもらって話しやすかった」と言ってくれました。途中、エアコンの寒さと眠気に耐え難くなる時もありましたが、また温かな気分になれました。
 粗タンパクは、通常デュマ法かケルダール法という方法で測定するそうです。この講演で出てきた機械は、改良デュマ法というものらしく、試料のセットだけで楽に分析ができるそうです。
 他にもいろいろな展示を見ました。主任も一緒に来ていましたが、一緒に行動したのはほんの30分くらいかもしれません。最後に一緒に見たミニカラムという器具の展示には目から鱗が落ちる思いで、二人で感動!
 終了間際の分析展受付。佇んでいる人がまた寂しさを思わせたりします。

 帰りには精神科に寄りました。うまく言えませんが、少し楽になりました。キーワードは「100%正しいことを言うと子どもは疲れる」でした。なるほど。
 帰宅後、一身上のことである人と話。あまりにも親身なその態度に、クラクラ来そうです。その厚意に甘えてよいのか。とにかく、今の人生を揺るがす問題に悩んでいる僕に、更にはその人にも大きな影響がある問題なのに、寛容でした。ありがとう。
 更にその後、もう一本電話。これが今日の関ヶ原。3年ぶりに告白。しかし、結果からいうと失敗。いや、そうとも言えないか。付き合ってほしいという願いは叶わないけれども、彼女の言葉には幸せを感じた。彼女がこれからも幸せに教師をしていけるという確信も持てた。これでいいのだろう。悔いはない!

 最後に、今日見た社会の矛盾。幕張メッセのカフェテリア。トレー以外が全て使い捨て。残飯がザルの上に山積み。その下にはラーメンの汁を受けるバケツ。これだけの廃棄量の食料。分析機器もいいけど、こちらの方も気になります。向こうでは慌てて作業する店員さんがトレーをぶちまけます。…。

 今日は8月最後。一応色々ケリが付いたような気がします。そして、意外と一人じゃないって…。

天気:晴れ(茨城県取手市・千葉県松戸市・千葉市美浜区)

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こんな時だからこそ

2006年8月30日

 今朝も当然のように、激しいうつ状態。幸福度最低。
 けれども今日は、こんな時だからこそ見えるものもある、と少し思えました。そば屋のおばちゃんとの会話が妙に嬉しかったり、分析サンプルの色の変化が妙に輝かしかったり、読んでいる本の中身がより身近に感じたり。僕のうつ状態(鬱病?)に対する防御反応なのかもしれませんが、それで奇しくも得られるものもあるのかと。
 日暮里のそば屋のおばちゃんと、ソバ食っている間話をしていました。山の話でした。他愛のない話。荒涼とした都会に埋もれて忘れかけていた風景。そう、そば屋のおばちゃんと話をするようになったではないか…。
 今日の農薬やビタミンCの分析。ビタミンCを分析するためにメタリン酸という試薬を使います。ビタミンCは野菜を粉砕した瞬間から酸素の影響で急激に減りますが、メタリン酸はこれを食い止める働きがあり、分析には必ずこれを使います。ナスを使って実験したところおもしろい光景を見ました。メタリン酸を入れない方(左)はナスの色素成分であるアントシアニン色素が酸化して茶色になりますが、入れた方(右)はナスの紫色がきれいに温存されています。この効果は数時間以上も続きました。メタリン酸の、酸化防止作用機構を調べてみたくなります。

 読んでいた本は、『中国はいま何を考えているか』(大西広著、大月書店)です。まず、中国という国に対する僕自身の誤解を知りました。中国では、僕が思っていたよりも遥かに国民のナショナリズムが激しい一方、そのナショナリズムには中国政府自身も悩まされ、それなりの改善の努力をしていること。政府がナショナリズムを利用していると思いこんでいた自分が、少し恥ずかしい。同時に、そのひどいナショナリズムは日本でも同格。中国人に日本の領事館が襲われたとかいいながらも、日本人(右翼)も中国の領事館などを襲ったりしているそうです。違うのは、政府としてナショナリズムを利用しているか、抑えようとしているか、ですか。もっとも、この本一つで判断するのは危険ですが、安易に中国のイメージを悪くしていたことは情けなかったなぁ。

 …今のうつ状態には原因があります。でも、それをここで暴露するには辛いものがある。できれば逃げ出したいが、そんなわけにもいかない…。なお、仕事のことではありません。

天気:くもり一時雨(東京都板橋区・茨城県取手市)

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元気を出して頑張ってはみるが…

2006年8月29日

 今日から、農薬の抽出作業が本格的に攻勢をかけてきました。しかし、抽出に欠かせない作業である、濃縮に使うポンプの調子がいまいちよくありません。圧力がうまく下がらないため、アセトンやヘキサンなどの溶媒がなかなか蒸発してくれません。
 しかし、それもそのはず。なんと!引っ越しの際に再構築した配管のつなぎ目に、パッキンを入れ忘れていたのです。固いプラスチックの隙間から、気が抜けて、ポンプにも余分な負荷が。

 ポンプの圧力は右の写真では87mbar(ミリバール、約0.09気圧、通常大気圧の10分の1以下)ですが、パッキンがないと、190mbarくらいまでしか下がりません。ゴムの力は偉大だと、こんなところで関心。
 効率が上がって、16時にならないうちに、余裕で作業が終了。ちょっと気になった、ミョウバンのことで調べ物。

 農民連の会長から、固いけれども甘い品種の桃をいただいていました。ここ何日か、ずっと食べ続けています。そして、その横に、20日以上冷蔵庫の奥で放置された桃を発見。これも冒険で剥いてみました。
 会長の桃、包丁の刃に桃皮の弾力性が伝わります。新鮮。一方、「奥様」の桃。包丁を当てると、皮が剥けるというより、剥離するよう。錆びた鉄がはげ落ちるような。
 味。会長の桃は香りたっぷり。歯ごたえもしっかり。一方、「奥様」桃、複雑な香り成分が消滅。歯ごたえは、「もも」というより、「いも」
 色をみれば一目瞭然。ゾンビと新生児。

 退勤後、仲間二人と今度行く八ヶ岳の登山計画。池袋の大戸屋で会談。地図を広げて、はた迷惑なことをしました。…当日、晴れるといいのですが。

 …なんか、こうして外にいる時、いろいろなことをやって気分を盛り上げてみたりしても、やっぱり家に帰ると気が重い。叶わない願い…、そんなのが多すぎる。辛いです。

天気:晴れ時々くもり(茨城県取手市・東京都板橋区・豊島区)

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されど都会は幸少なし

2006年8月28日

 職場には10時より15分前に着きました。土の残留農薬を分析することになっているのですが、土は篩(ふるい)で2mm以下のもののみを集め、塊は乳鉢ですり潰し、また篩にかける。これを繰り返します。通常の野菜よりも作業工程は多く、2時間は余分にかかります。それでも、終了は16時過ぎ。明日からはいよいよ分析の攻勢がかかります。

 それにしても、大都会の生活は辛い。職場の窓から外を見ても周囲は大きなマンション。駅を歩けば小便がたまっている。電車の床では酔っぱらいのような人が寝ている。…池袋や新宿、上野を歩けば若者向けのファッショナブルな店もたくさんあり、情報の集積地帯だと胸を張れるぐらい本屋も充実しています。しかし、落ち着く間もないこの空間。辛いなんてもんじゃない。
 一方、雇用、自動車の運転、病院の不足、そんなのが頭をよぎると、簡単に田舎とは言えません。経済的充実の引き替えに都会の苦痛は微々たる代償か。そんな風にも割り切れないから、困る。取手市は地方都市。このくらいの規模が丁度いい。

天気:くもり(茨城県取手市・東京都板橋区)

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週末は花や緑と戯れる

2006年8月27日

 朝から曇っています。ここ数週間、まともに太陽を見たのは、尾瀬と御嶽山くらいです。毎日が暗い。
 手紙を郵便局まで出しに行った後、野々井・下高井・藤代町などを一周してきました。曇っているのであまり花を撮っても映えません。途中で買って飲んだ、結構馴染みのドリンクタイプヨーグルトは、いつの間にか「糖質40%オフ」に切り替わっており、「アスパルテーム・L-フェニルアラニン化合物」添加の物体になっていました。合成甘味料は飲んでいて味に違和感があるので(本当に判る)、できれば飲みたくない。
 今日の花は以下の写真以外にもありました。しかし、名前が判らないものが多く、やはり図鑑の充実を図らねばなりません。


 左から、ツルボ(ユリ科)、キツネノマゴ(キツネノマゴ科)です。

 左はお馴染みワレモコウ(バラ科)。右はたぶんキクイモ(キク科)です。

 イヌホオズキ(ナス科)です。左は花、右は未成熟果です。

 家の窓にずーっとくっついているカマキリです。どこから飛んできたんだろう。

 11時頃、目の前の公園で若いお母さんと3歳くらいの子どもが滑り台で遊んでいました。しかし、その子は最初、2段ほど上って下りてしまいました。母親が後ろにくっついてやっと上まで行きましたが、おろおろしています。結局、滑り降りることはできませんでした。その子は母親の脚の長さくらいの背しかありません。きっと彼にとって、階段は絶壁、滑り台は崖に見えるんじゃないでしょうか。自分の小さい時はどうだったかなぁ。

天気:くもり(茨城県取手市・北相馬郡藤代町)

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歴史と科学と自己批判

2006年8月26日

※画面が美しく表示されていない(テキスト文書の羅列にしか見えない)場合は、このページ一番下の「CSS 選択」で「切」以外を選択してください。

 幸福度最悪の寝覚め。しかも、薬がきれて、意識ももうろうとしており、今年一年で最悪の朝でした。
 10時頃の朝食後、五ノ池小屋のスタッフたちとそこで知り合ったKさん父娘に、手紙を書きました。それに写真を添えて。インクジェットプリンタはかなり性能が悪くて、最精細で印刷しても、ドットが荒い。それでも、PCの液晶画面で見るよりはきれいに見えます。写真、気に入ってもらえるといいのだが…。

 午後は、重い身体を引きずりました。でも、今日は戦争体験者の話を聞くことができるイベントが柏市でありました。行かないわけには…。
 今日の体験者は、一人は治安維持法の犠牲者であり生存者の人。もう一人は、中国で「虐殺」に関わった人です。
 治安維持法の証言者の話によると、76000人くらいが「治安維持法違反」で逮捕され、81人が虐殺、114人が拷問、1503人が病気などで亡くなったそうです。今では憲法に思想・良心の自由が明記されていて、名目守られています(憲法19条)。それゆえに、思想弾圧が平然と、合法的に行われていた時代なんて、ぞっとします。よく生きてこられた…。

 一方の中国で加害経験のある方の証言は新聞で読んだことはありますが、生で聞くのは僕にとって初めてのものです。証言している人を見て、この人が中国で人を殺したなんて思えません。しかし、出てくる言葉はとても具体的で、生々しい。八路軍と間違えて農家主婦を射殺したところに乳飲み子が血まみれの胸をまさぐる姿を見て「悩まされた」話、池に中国の人たちを落として、這い上がろうとすればまた突き落とした話、見せしめに部落の村長の頭を銃で撃ち抜いた話、八路軍の隠れている場所を自白させるために鼻から水や焼酎を注ぎ込んだ話。…本当に残酷なことをするものだ。しかし、これはその当時の兵士一人一人にとっては、やらざるをえない、絶対命令。やった罪は消えませんが、自分のやったことをきちんと認め、語り継いでいこうとする姿には敬意を表したいと思いました。

 この体験者二人に共通するのは、「二度とあの愚かな戦争を起こさないように」という目的があることです。中国に対しては加害者として、一方で日本国民としての被害者として、違う立場で同じ目的。何をやろうとも、過ちを繰り返さない、そして罪を認める、この二つが大事だと、改めて思いました。
 しかし、靖国史観、自由主義史観の人々はそうはいきません。こうして証言に立つ人でさえも「嘘つき」扱い。それが根拠を示せばいいものを、示さない。人道的にも科学的にも許せません。

 柏駅から会場の道中に花を見つけました。何の花だろう。

 帰り、小さな子どもたち兄弟が僕の横をなにやらパフォーマンスして走り去ります。上り坂の上で待っていた母親らしき人の自転車の後ろに二人揃って乗って、どこかに行ってしまいました。弟と思われる子が、照れくさそうに手を振ってくれました。思わずにっこり。

 …明日こそ幸せな一日にしたい。できるかな。

天気:雨のちくもり(茨城県取手市・千葉県柏市)

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10の境界

2006年8月25日

※画面が美しく表示されていない(テキスト文書の羅列にしか見えない)場合は、このページ一番下の「CSS 選択」で「切」以外を選択してください。

 今日の出勤は9時。いつもより1時間早い。7時台の常磐線の混み方は凄まじい。けれども、早起きはいいものです。早く起きて早く寝る。
 今日は職場の10周年記念式典。9時からの朝礼(僕の職場ではないが)にでて、みんなと顔合わせした後は普通に業務。ネギがたくさん来ました。
 農薬抽出作業は二人でやっていました。その彼と、中国のことについて話をしていました。
 夕方、われらが職場の見学に、100人くらいの人たちが来ました。僕と、さっき中国のことを話していた彼とで、農薬の抽出を解説。僕からすれば、その作業は普通のことですが、みんなにとっては不思議なんですね。
 18時半から会場を移して10周年記念のレセプションがありました。みんな楽しそうでした。だから、僕も楽しかった。おっちゃんやおばちゃんたちが、みんな知り合いかのように声を掛け合う姿とか、来賓の酔っぱらい方が時間の経過と共にスゴくなっていく姿とか。

 レセプションの終わりは21時。帰宅は23時でした。しかし、あまり自分の時間がなくなったという気分ではありません。

 今日は考えたことが結構ありました。自分の幸せは何か、何をしたいのか。そんなことを忘れて理屈っぽくなってないか。
 今日のレセプション。たくさんの人が集まりました。そこで僕が見たものは、明らかに僕の求めているものの一つでした。いつも、閉鎖的な感じがするし、あまり外部の人との交流もないし、農業の情勢を日常的に学べるわけでもない。化学の勉強をする環境でもない。でも、仕事をやっていて、そのことを誰かに話す時、返ってくるものもまた、僕の求めているものの一つです。
 一方で、満員電車と都会の風景は僕が嫌がるものの一つ。でも、今あるものを捨ててもいいのか?もう少し考えてみよう。今のことを。

天気:くもり一時雨(茨城県取手市・東京都板橋区)

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日常

2006年8月24日

 上の表記は昨日から付けることにしました。何か、やっぱりCSSがおかしい。デザインが壊れます。なぜ?
 それはそうと、昨日述べたトマトの花を、職場の前で改めて撮影しました。やっぱり写真はいい。もげそうな花芽を撮りました。

 今朝は御嶽山や燧ヶ岳に登る前の生活に戻っていることを思い知らされました。夜寝るのが24時過ぎ、朝起きるのが、ぎりぎりの7時半過ぎ。夜ごはんが早くて20時。山に入っていた頃は、このサイクルが3~4時間前にずれ、とても健康的な生活ができていたのに。でも、これは僕だけではない。いつも乗ってくる常磐線の満員電車を見れば解ります。あれだけの人は、少なくとも遅い食事を余儀なくされ、寝不足か、食後3時間以内の就寝をも強いられることでしょう。山に行って帰ってきて、この生活の異常さを感じます。
 朝、朝食を家で食べる元気もなく、久しぶりに、日暮里駅のそば屋に依存しようと思いました。すると、取手駅がなんだかいつもと雰囲気違う。どうも、常磐線が止まっているらしい。1時間以上遅れて、実際は取手駅から日暮里駅まで、1時間40分かかりました(通常37分)。車内では新聞を読んで過ごしました。いつものこと。
 職場に11時に着くと、新しい機械が。ロータリーエバポレータという濃縮装置の冷却水を作ってくれる機械です。これがあれば、真夏のお湯のような「冷却水もどき」が本物になります。水道の無駄も減ります。

 今日の仕事は久しぶりに、ガスクロマトグラフのクロマトグラムを解析する作業でした。久しぶりにやってみたけど、意外と良いもんです。仕事をやっている気がします。
 夕方、終業間際の18時。職員の一人が怪我をしました。怪我よりもその怪我をしたことによるショックが普通は大きいものです。思いの外多い出血は、誰しも自分の身の危険を感じ、冷静になれなくなります。即病院へ。後で別の職員から知らせが入り、縫わずに済んだそうです。良かった。
 帰ってきたら食事。山椒のミルはやっぱり調子が悪い。空回りして、全然擂れません。しょうがないから、粒のまま鰻にぶっかけて食べました。何という幸福度の低い食事でしょうか…。

 無機質な日常、慌ただしい日常。何か、暑苦しい。落ち着かない。全体的に幸福度が低い。幸せな人と会いたい。話したい。一緒にいたい。幸せな人がいるところに行きたい。場所はどこでもいい。とにかく満員電車と大都会の雑踏の幸福度の低さは、耐え難い。愛をくれる人と、愛を受けとめてくれる人がほしい。もうそろそろ、異常な日常とはおさらばしたい。緑と光と水と大地と戯れたい。子どもたちの笑顔を見たい。楽しく遊んでいる親子を見たい。集まって楽しそうに談笑している人たちを見たい。
 でも、みんな無いものねだり。全部ではないけど、多くがそうです。悲しい。どうしたらいい?

天気:くもり時々晴れ(茨城県取手市・東京都板橋区)

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何の花かな?

2006年8月23日

 今日は思い切ってカメラのシャッターを押してみました。ここは職場の近くです。小さな土のスペースに力強く生えているこの花は何でしょう。かつて、実家にいた頃、母親は「午後三時」と言っておりました。その名前の由来は解りませんし、本当かどうかも…。

 しかし、この花は強い。水を絶やしても、その辺に茎を放っておいても、芽を出します。種が飛べば強烈に増えます。実家で、ちょっと可愛いからと植えてやったら大繁茂。生き物は凄い。
 上の写真は行き(朝)に撮ったものですが、帰り、そこから5mほど離れた場所の小さな土スペースに、ツツジか何かに混じって、トマトが生えていました。実はなっていませんが、花は咲いています。ただ、日当たりや養分や、植物自身の体力などの問題があるのでしょうか。花芽も触ったら落ちていきます。これでは実もなりませんね。なお、残念ながら、暗くて、シャッターは切れませんでした。

天気:くもり時々晴れ(東京都板橋区・茨城県取手市)

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ダウン

2006年8月22日

※新たにふうたろう写真館に御嶽山の写真をアップしました。(壁紙用)

 昨日の夜、この日記を扱っているサーバーがダウンしたそうです。そのため、上げたはずのログが残っておらず、昨日の『サプリメント』の記事が今日一日ありませんでした。

 昨日の夜はずっとビラづくりをしていました。『サプリメント』のログを1時間半かけて書いたあと、マウスで絵を描き、イベントの分科会を解説する文を挿入し、Acrobatのソフトがエラーを吐いてくれたので余計に時間を食い、寝たのが3時でした。それでも、やらなければならないことでした。見る人がいるから、作りました。へたくそでも、絵心が無くても、やらなければ出来上がらないし、能力だって伸びません。


 そういうことで、22日の朝は7時半頃に目が覚めたものの、恐ろしく眠く、朝から僕もダウン。眠い目をこすりながら、夜中の3時過ぎに来ていたメールの返事と、レトルトカレーの朝食と、所得税の申告書を取るのを済ませ、11時13分出勤。なんという体たらく。

 ここ3日ほど、カメラのシャッターを一回も押していません。御嶽山で400回以上シャッターを押し、その反動なのか、それとも、撮る被写体がないのか。そんな時もあるでしょうか。とにかく、カメラを取り出そうという場面に出会いません。スランプ?

 今日は夜、会議の予定でした。しかし、かなりの人が体調不良等で欠席。来たのは僕併せて二人。二人で会議なんかできるか~!…というわけで、殆ど何もできず、終了。なんか、この頃寂しいこと続きです。あの燧ヶ岳と御嶽山以外。あ、あの時に出会った人たちに手紙書かなきゃ。

 最近、全国的に天気が不安定です。東京の空も晴れたり曇ったり。尾瀬や御嶽山の時はあれだけ天気良かったのに…。ま、いつもは逆だから、いいか。

天気:くもり時々晴れ(茨城県取手市・牛久市・竜ヶ崎市・東京都板橋区)

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サプリメント

2006年8月21日

 …の本を読んでいました。帰りの電車です。満員電車は暇だということと、単なる今ある困難からの逃げであるということと、興味があるということと。その本は8月6日に買いにいったものです。もちろん、サプリメント(健康食品、イコールではない)は使おうと思うことさえない僕ですから、「アガリクスがガンに効く」系の話ではありません。
 読み始めたばかりですが、今の健康食品並びにサプリメントは、安全性試験をしていない医薬品のようなものだということが言えそうです。医薬品は実際に治験という形で、人に(慎重に?)投与しながら、薬効や副作用を正確に調べる努力がなされています。しかし、殆どの健康食品は、「抗酸化作用がある」とか、「免疫を活性化する」とか、「血圧が高めの方に」とか書いてあっても、化学反応レベル、試験管レベル、細胞培養レベル、動物実験レベルです。劇症的な副作用を持つものだって出ているのに、人への試験はなされていません。死傷者が出てから問題になるという状態。それが医薬品の売り上げを上回る2兆円規模の市場になっているわけですから、大変なことです。
 詐欺的な商法も後を絶たないようです。去年の8月頃、マルチまがい商法といわれる類のN社のことで、友人から相談を受けたことがありました。その友人は、ある本を友だちから渡され、それを読めといわれたそうです。中身はその企業の扱う健康食品系がどれだけ有益であるかを、「どこどこの大学の先生が」などの文言を使って表現していたそうです。そもそも「先生」も人間であるのだから、僕は権威とさえ思っていません。それよりも、効能を謳っていること、体験者を出演させていることなどの方がタチが悪い。効能を本や体験者に述べさせる分には、「表現の自由」を悪用すれば違憲にも違法にもなりません。それがウソだったり、明らかに出版社との談合があったりすれば別ですが。
 とはいえ、保健機能・栄養機能を研究している食品系の学生や研究者はたくさんいます。農学部でも生命化学系の研究室でもそういう部門は幅を利かせています。かく言う僕も、乳酸菌の研究室にいました。そこにいる半数くらいの学生や院生は自分のやっている研究に疑問を持っており、「怪しい」とか言いながら、頑張っていました。考えてみればそういう人を前にして、「あなたのやっていることは悪だ」というのは、人道に反しています。(僕の研究は乳酸菌に対する食品添加物等の毒性についてでした)
 それゆえに、不用意な自己責任論的批判は、多くの研究者を敵に回すことになります。だから学会や修論・卒論発表の時は、データなどを見ての内的批判しかしません。学生や研究者たちだけの責任ではない。あくまでも、これは社会の問題です。研究者にはデータで矛盾を突くしかないのです。その批判は、研究者たち自身の力に頼るしかありません。
 しかし、政治・経済的な問題で予防原則の立場に立つなら、もう少し認定を厳しくしてもいいと思います。健康に良いどころか害が出れば取り返しが付きませんし、無効なもので多額の損失を出せば経済的にも打撃を与えます。物質を濃縮して食べる場合が多いサプリメント。認定に当たっては医薬品と同等の研究をさせても良いのではないでしょうか。

天気:くもり時々晴れ(茨城県取手市・東京都板橋区)

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電気屋

2006年8月20日

※記録:8月20日

 今朝も7時に起床。徐々に遅くなっているとはいえ、まだ山の余韻は残っているのかもしれません。しかし、身体は山の時の荷物がないのに、確実に重くなっています。しんどい。
 まず、起きても食べものが殆ど何もありません。食事を12時過ぎまでできませんでした。それまで、食べないまま、残った日記を付けていました。写真の数が多い。
 11時頃、我孫子側の空が真っ暗。雨も利根川のあたりまで降っているようでした。しかし、取手市内までその大雨は来ません。たった1kmほどしか離れていないのに、これほど天気が変わるなんて。雨降ってくれた方が涼しいのに…。
 13時頃、コンセントの配線を張り直しました。テレビの後ろにあるコンセントにコネクタが集中しており、この家の構造に問題があります。延長コードを使って、台所から引っ張ってきたり、たまたまエアコン用のコネクタが空いていたのでそれを使ったり。俺は電気屋か。
 そういえば、薬を飲んでいませんでした。意識がもうろうとします。15時頃、服薬し、やや回復。
 18時半頃、中国産の鰻。料理する気力がもはやありません。それほど腹が減っていたわけでもなく、時刻が来たから食べたという感じで、少々具合が悪くなりました。
 20時半頃、あまりにも眠いので寝ようかと思いましたが、パソコンとインターネットとブログの調子があまりにも悪く、FTPとブログとのにらめっこ。望んでもいないのに24時を過ぎました。
 24時半、ついに疲れて、スキャンディスク(ウィンドウズXPは起動前のブルースクリーンで行わないとできない)をかけて寝ました。

 僕のブログはCSSが死んでいます。いや、CSSを動かす何らかの言語が死んでいるようです。なぜなら、新しくこのブログのプログラムを入れ直しても改善されなかったから。とりあえず、あと一つ、改善できる可能性がありそう。それを試して駄目なら、また考えよう。
 今日は一日PCに振り回されっぱなし。それと、あまりにも労働の休みが長すぎて、それもそれで少し疲れました。休みもほどほどです。
 今日は写真撮れませんでした。機械がしんどい。

天気:くもり時々晴れ、にわか雨2回(茨城県取手市)

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急降下

2006年8月19日

※記録:8月20日

 今朝も、昨晩の就寝が1時を回っていたにもかかわらず、5時半に目覚めました。7時過ぎにはスパゲッティペペロンチーノを作って食べ、ニュースを付けながら、御嶽山の写真を整理していました。早起きで快適。10時半から憲法9条フォークジャンボリーが、上野の不忍公園・水上音楽堂であったので、出かけました。バス停で子どもとアブラゼミのことでちょっとだけ交流がありました。バス待ちの間に、その子は「ばいばい。」と母親について去っていきました。
 バスの時刻をつい忘れ、遅れました。そしたら、それが災い。着いたら、一番聴きたかったヒューマンファーマーズのが、終わったところだったようです。萎えました。やる気をなくしました。まさか、最初のコーナーだなんて…。
 フォークジャンボリーは見かけ、去年より参加者が少なめ。知っている人は殆どおらず、去年一緒に行ったメンバーは誰ひとりいませんでした。しかも、水上音楽堂は屋根が半透明で、太陽光を中途半端に透過し、その下の音楽堂は猛暑。ついに耐えきれず、たった1時間で逃げました。2800円払った価値はあったのだろうか。

 そのあと、上野駅から直接帰ろうと思いましたが、朝食が健全な時刻だったため、昼を12時過ぎになったこの時に食べることにしました。
 その時、アメ横を通過。まず、一つ、人が多い。二つ、暑い。三つ、衛生管理が悪い。四つ、ガラが悪い。更に萎えました。アメ横の中にある、人気のない海鮮丼屋。マグロ丼を食べた気がしますが、味を覚えていません。みそ汁があまり美味くなかったような気がします。

 萎えに萎えきって、新聞を読んで帰りました。この新聞を読んでいる時が、今日の外出では最も幸せな時だったかもしれません。

 自宅近くにヘクソカズラ(アカネ科)。揉むと硫黄化合物のようなニオイがします。しかし、全てがそうであるとも限りません。

 帰ってから、御嶽山の分の「ふうたろう絵日記」を付けていました。さすがに写真の数がハンパじゃなく、疲れました。そこに、更に、友だちのページでやり合っている「戦争論議」まで追加。いちいち調べ物をしてまで書く気にはならないので、パワー40%で書いて終わらせておきました。

 夕方から今度はつくば市で会議。電車に乗って荒川沖駅まで。車内で鬱病がかったようなおっちゃんに変な絡まれ方をされました。ちょっと萎えました。でも、少し、おっちゃんの感情の動きが判ったような気もして、全くの犬死にではなかったとも…。
 19時からの会議。結果からいうと、やっぱり萎えました。話を噛み合わせることができません。初めて来た人もいたのでちょっと頑張ってみたのですが、パワー不足。すでに電力低下。まともに自信持って話ができません。
 終了後、憂さ晴らしにと、ファミリーレストランで食事。しかし、そこでメルトダウン。いつもと違うタイプの具合の悪さ。2003年の10月12日に、宇治市(京都府)のイタリアンレストランで起こったパニック障害に似ています。症状は遥かに軽いですが。初めてお会いしたその方にも、迷惑をかけてしまいました。更に萎えました。
 この萎え具合、いつも取手まで送ってくれる人と話ながら帰りましたが、さすがに回復できず。

 今日は一日急降下。萎えっぱなし。御嶽山でリフレッシュしたけど、そのエネルギーは使い果たされました。ぐったり。

天気:くもり時々晴れ、一時雷(茨城県取手市・土浦市・つくば市・東京都台東区)

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さらば心のふるさと(のりえの家・寝覚ノ床:長野県)

2006年8月18日

※記録:8月20日
各画像は、右クリックとブラウザに合ったコマンドで拡大可能です

 木曽滞在最後の日。山ですっかり4~5時起きに慣れてしまった僕は、今朝も5時過ぎに目が覚めました。この4日間の天気は殆ど同じで、夜中から明け方の天気はよく、昼くらいから雲が多くなってくる天気です。しかし、今日は一日晴天。朝は涼しく、散歩も気持ちいい。
 一方、やはり木曽福島町のりえの家の周りは僕にとって少しさみしい。そんなときは写真でも撮って、気を紛らそうではないか。周りには(メ)マツヨイグサ(アカバナ科)の群落があり、蕎麦畑があり、ミントの花、ナツズイセン(ヒガンバナ科)がありました。ミントの花の雄しべがツンツンしています。ナツズイセンが朝露にどっぷり濡れています。


 朝のうちに町長とお話をしました。木曽町(木曽福島・三岳・開田などが合併)のバスのことです。1時間以上も乗るバスが、なぜ200円とか100円で乗れるのか、財政はどうなのか、とか。その話については、ここではしないことにしよう。

 最後の観光地は木曽福島町の南、木曽郡上松町(あげまつまち)にある寝覚ノ床です。木曽福島駅からバスや中央線で行くことができます。木曽福島駅からバスで「ねざめ入口」まで行くと600円くらいです。中央線なら上松駅まで190円で行き、そこからいくらか歩きます。

 バス停ねざめ入口。下りたらそこは旧街道。古い家が建っています。歴史欠点の僕でも、歴史的建築物を見るのはそんなに悪い気はしません。咲く期間が長いといわれるサルスベリ(ミソハギ科)が咲き誇っています。暑いけど、なんて良い環境だろう…。

 寝覚ノ床は臨川寺(りんせんじ?)から入ると200円です。しかし、美術館側から入るとどうも無料のようです。何人もの人がそちらから入っては出ていました。どうなんだろう、これは…。
 寝覚ノ床では、地層が積み重なり、それがさらに浸食され、複雑な地形ができています。



 ポットホールという穴が開いています。岩が水流で回転して長い年月をかけ穴を開けたという説明をあるところで見かけました。

 寝覚ノ床の公園にはツリフネソウ(ツリフネソウ科)がたくさん咲いています。おもしろい形をしています。尾瀬で見たツリフネソウは、キツリフネというツリフネソウでしたが、今回のは赤です。そして、ちょっと森の中にはいると、取手市内でもよく見かけるホトトギス(ユリ科)があります。

 公園の駐車場の入口付近には、潰れたロッジがありました。ただ流行らなかったのか、観光客となる国民側の所得がなくなったのか、旅行する時間がなくなったのか、いろんな要因を考えさせます。

 寝覚ノ床を出て、上松駅まで、旧街道を歩きました。おんたけバスの停留所と古い家。こういう所でゆっくりしたい。

 しかし、この町も過疎化。廃屋の窓ガラスが割れています。山を抱えた町は高齢化が進んでいるのです。どうしたらこうした山村を守ることができるんだろう、いつもながら旅の度に考えさせられます。

 こういう所の子どもたちはどう育つんだろう。下の二つの写真は小学校の敷地にあるものです。左は神社、右は土俵です。僕が写真を撮っている13時頃、子どもたち50人くらいがプールで指導を受けていました。

 町は祭りがあったようです。上松町中心街付近には提灯がたくさんかけられています。駅前のお菓子屋さんのおばちゃんによると、祭りの時は人がごった返すようです。町の端の人が何をやっているかまで判るくらい(おばちゃん談)小さな小さな町の賑わい。想像できません。

 この後、木曽福島駅までバスで戻り、新宿駅まで高速バス。木曽福島駅の高速バスへの接続は、電車だと都合が悪いようにできています。中津川側からの電車は15時27分に木曽福島駅着。15時30分発の高速バスに間に合わすにはちょっと大変です。15時35分発にしてくれるだけで随分違うのに…。
 帰りのバスは大渋滞に引っかかりました。中央道が一部神奈川県を通るあたりからです。メールして過ごしていました。のりえの家で充電したはずなのに、電池がかなり消耗しました。

 これで御嶽山の旅は終わりです。北海道の焼尻・天売島の時よりも充実していた気がします。身近な感じがしたのでしょうか。次なる旅先を夢見ながら旅の終わり。わが心のふるさと信州よ、さらば!

天気:晴れ時々くもり(長野県木曽郡木曽福島町・上松町・山梨県北巨摩郡双葉町・東京都新宿区・茨城県取手市)

ふうたろう旅日記

出会いの影響(五の池小屋・濁河温泉・のりえの家:岐阜県・長野県)

2006年8月17日

※記録:8月20日
画像は全て右クリックで、画像を表示させるコマンドを取ると拡大できます。

 今日の起床もやっぱり4時過ぎ。父娘のKさんたちと一緒に起きて、五ノ池山荘の北にある継子岳(ままこだけ)と四ノ池を一周お散歩。ところで、天気!昨日は急激にガスってきて、しかも昨晩は強風。風雨だととても行けません。でも、やっぱり太陽も雲も味方してくれました。朝起きたら、晴天。朝焼けと雲海がばっちり。光と水のコンボ最高!

 このコースは、五ノ池山荘から稜線を北方向に進み、継子岳を経由し、四ノ池まで下り、三ノ池の北の稜線を通って再び五ノ池山荘に戻るものです。
 まず、五ノ池山荘を出てすぐ、四ノ池(水は今、たまっていない)と朝焼けと雲海が見えました。

 この稜線は殆ど岩場とガレ場です。滑らないように気をつけましょう。僕は滑って転んで、三脚の脚が少し曲がりました。僕の脚も怪我しました。合計2本の脚が怪我しました。でも、ガレ場の岩を踏む、からんからんした音は、耳に心地よい。山に来たなーと言う気持ちにさせてくれます。ところで、先頭を行く中学生の彼女、ガレ場や岩場もなんのその。口では色々言っているのに、すたすたと歩きます。さすが陸上部!

 継子岳頂上は意外とあっさり着きます。稜線の心地よい強風と楽器のようなガレ場は疲れを飛ばします。…表現が少し変かな。その継子岳のちょっと前で、朝日が上がってきました。ちょうど、継子岳頂上の看板の後ろから。なんか、後光が差しているみたいで、おもしろい。また、ガスと太陽のコンビネーション。

 継子岳の頂上ではもう太陽は雲の上。雲海は山脈に紛れて明るく輝いています。飛行機に乗った時にも雲海は見えますが、自分の脚で見に来た雲海の美しさは、その比ではありません。

 このコース沿いには、コマクサ(ケシ科)の繁殖が試みられている場所があります。数日前、ひょうが降ったそうでだいぶ花は痛め付けられていますが、数はそれなりにあります。Kさんは毎年御嶽山に来ていらっしゃるそうですが、「かなり増えた」そうです。ロープも張られ、開田中学校の生徒たちが書いたと思われるコマクサの保護を訴える看板もあります。子どもが守る自然、一部の大人が壊す自然。

 継子岳からのルートは不明瞭です。岩場が続き、ハイマツをかき分けて進まなければなりません。丸印を見失わないように進みます。しかし、朝焼けと雲海と稜線は美しい。通る価値は充分あります。

 四ノ池は水が流れています。その流れは、崖の下に流れます。水は清澄で、うまい。周りにはトウヤクリンドウ(リンドウ科)が開花を待っています。

 五ノ池山荘に帰ってくると、Kさん父娘分の食事が準備されていました。スタッフの皆さん、お疲れさま。おいらも食料という荷物がなければ食べたかったです。

 8時半頃、山荘を出発です。僕は開田高原(長野県木曽郡開田村)に下りる予定でしたが、Kさん家族のご厚意で、濁河温泉(にごりごおんせん、岐阜県益田郡小坂町)に一緒に入ることになりました。つまり、方向は逆。登山口から今夜泊まる「のりえの家」まで、Kさんカーで送っていただけることにもなりました。
 出発の前に山荘のスタッフとKさん父娘、僕の全員で集合写真。いい記念です。ちょうどその時も空のガスが晴れました。突然、小屋のスタッフSさん、虹色の雲を発見しました。強風で身体を持って行かれそうになりながら、撮った一枚。こんな雲初めて見ました。

 五ノ池山荘からのぞき岩、仙人橋を経由して濁河温泉登山口に下るコースです。
 1kmほど下ると森林限界です。そこから先は森の中。ついに今まで味方してくれていた天気も、崩れました。しかし、あの虹の雲間で見せてくれた天気。贅沢は言うまい。台風が来ていながらもこんなに晴れてくれて…。

 ん?なんか大勢若い人が山に登ってくるなぁ。…と思ったら、百数十人の新任教師たちだそうです。サクサク登る教師たちもいますが、半分くらいはグロッキー。体力不足や体調不良で辛そうな人が何人もいました。雨、大丈夫かなぁ。

 森に入ってから、のぞき岩避難小屋というのがあります。これはかなり老朽化が激しく、使えなさそうです。そして、仙人橋という吊り橋まで来ればもうすぐです。けっこう階段がキツく、滑りやすい。さらに暗いので、心身共にダメージが来ました。

 途中にベニテングタケ(テングタケ科)がありました。初めて見ましたが、なかなかきれいです。この赤い色はカロテノイド系?アントシアニン系?それともまた別の色素?…なんて思いながら。

 下で入った濁河温泉。疲れが取れます。そこで食べた洋なしのアイス。洋なしの味がしません。

 Kさんたちとは、そば屋さんでそばを食べた後、「のりえの家」で別れました。
 のりえの家は、8年前に一度利用したことがある、思い出の場所です。あの精神的に幼かった頃の自分、それでも周りを囲んでくれていた仲間たち。木の板を並べただけの橋、川沿いの細い舗装道路、反対側のコンクリートの水路、あの頃と変わっていません。なんか、あの頃とは違う自分。今はひとりでここを歩いている。ちょっとさみしい。


 のりえの家は食事が出ません。その代わり、素泊まり3000円、キッチン使用料100円。3100円で泊まれます。もちろん、お風呂付き。食事は木曽福島町市街地まで出て買い物をするか、最寄りのおんたけ交通バス停の宮前(みやまえ)近くの食堂を利用するかしかありません。バスは片道200円。使って市街に出てみました。

 木曽福島市街は意外と発展しています。大きな商店が二つ、JAとサティ。サティはそれほど大きくはありませんが、JAの方はやや大きい。意外と客も多いようです。

 翌朝、のりえの家の長でもあり、木曽町町長でもある田中さんにバスの話を聞きます。

天気:晴れのちくもり、午後は時々雨で一時強く降る(岐阜県益田郡小坂町・高山市・長野県木曽郡開田村・木曽福島町)

ふうたろう旅日記

ひとりではない長いひとり旅(御嶽山・五ノ池小屋:長野県・岐阜県)

2006年8月16日

※記録:8月19日

 予定よりも少し早い3時53分、起床。夕暮れ時、田ノ原から御嶽山の登山道にかけて、ガスがかかっていました。台風10号の影響でもはやこれまでかと思っていました。
 しかし、起きて空を見ると、星空が非常にきれいで、東の空には金星が見え、白々と明るくなってきています。人影が朝焼けに照らされておもしろい。


※写真を右クリック・「表示」で拡大可能(400×300pxs.)

 出発。田ノ原から御嶽神社(剣ヶ峰)への急登コースです。しかし、標高2180mの地点はほぼ森林限界付近です。したがって、見通しが良く、あまり疲れません。後ろ向いたり横見たりしながら、サクサクと登りました。切り立った崖、遥か遠くの雲海、低く見下ろせる山々、縦に伸びた入道雲…。水も光も緑も大地も、みんな味方してくれます。


 頂上だと思った王滝頂上小屋。そのあと、山頂の小屋まで砂利道が待っているので、それも楽しみます。

 山頂目前で、御嶽神社は修行を要求。20段ほどの階段です。これがキツ~イ!

 ところで、こういうところで楽しいのは、旅人との出会いです。田ノ原登山道入口からすぐのところに展望台がありますが、ここで、見知らぬ人10人くらいと記念撮影。そのあと頂上までの登山道では、ある時は子どもと手をつなぎ、年配の方と冗談を言い合い、若い女性の疲れた声を聞き、行き交う人と挨拶をし…一人で旅しているはずが、気楽なパック旅行。いろんな人の表情がとてもおもしろい。

 御嶽山頂・剣ヶ峰は3067m。ガスがかっているけど、時々晴れる時に見える景色がその分引き立ちます。ガスも立派な登山の味方。唐辛子のようなアクセント。いい感じです。なお、頂上は神社の境内です。見える風景は、田ノ原からの登山道とそれほど変わりません。
 ところで、何日か前に、王滝山頂に雷が落ちたそうです。後述の五ノ池小屋のスタッフに聞きました。雷なんて、鳴る気配もなし。太陽が僕の後ろをついてきてくれています。

 山頂の神社の裏を回って、一ノ池(池はなくなっている)を西に巻くガレ場のコースです。国土地理院の地図には道として記載されていませんが、登山道はあります。稜線には丸印が打たれ、よそ見しなければ迷わずにいけるでしょう。途中の地獄谷や水のなくなった一ノ池を堪能し、踏むと揺れるガレ場の岩の音に耳を澄ませ、ガスの白みに涼みましょう。疲れなんて知ろう筈がない…。

 地獄谷は、御嶽山の噴火でできたそうです。確かに、地獄を思わせるごりごりした岩肌。見る者を圧倒!噴煙がまだ僕たちを威嚇します。

 西回りガレ場コースは50分の所要時間です。あっという間に過ぎ去ると、そのガレ場の先の岩からは二ノ池がマルっと見えます。水の青が美しい。二ノ池小屋本館の水源になっているもよう。きれいに扱わなきゃね。

 次は、二ノ池小屋本館から新館を通り、「賽の河原」を抜け、白竜教会、麻利支天(まりしてん)山分岐、五ノ池山荘に抜けるコースです。
 賽の河原とはよく言ったものです。小石が積み上げられ、そこら中ケルンだらけです。誰が積んだんだろう…?

 賽の河原には避難小屋があります。使いやすそうですが、泊まれません。
 白竜教会のところで分岐しますが、横着せず、上り坂の方(左)に行きます。すると、麻利支天山方面と五ノ池方面の分岐があります。この分岐から見る景色はまた抜群です。西にある麻利支天山の方向以外、三ノ池、賽の河原、二ノ池、それから木曽福島方面の山並み、みんな見えます。特に、三ノ池の展望が素晴らしい。麻利支天山はひどくガスっていたのでやめました。

 五ノ池山荘に着いてお腹が減ったので飯。12時半くらい。みるみるうちに周りはガスが広がっていきます。三ノ池避難小屋に泊まろうとしていたので(事前に観光案内所に連絡)、この後、三ノ池の畔まで下りて、小屋の扉をガラッと…。
 しかし、重い荷物を持って下ったその小屋は、鰻の寝床。目が点。だめ押しのひと言が、「緊急時以外に使わないでください」の看板。…そりゃそうだ。
 再び五ノ池山荘。なんか、御嶽山が庭になったような気分です。「ちょっと散歩してくるわ~」みたいな。見通しのいい岩場を登り、五ノ池山荘。ちょっと予定外の出費かな。隣にある五ノ池は殆ど水がかれています。茶色く濁っている…。

 ところが、災い転じて福となす。この五ノ池山荘、若いスタッフたちの雰囲気と小屋の美しさはピカイチ。あか抜けた、照明は暗いけど、雰囲気が明るいこの小屋は、間違いなく若いスタッフの力です。小屋番の方は物資調達のために下山しているようですが、小屋番の方の奥様とその1歳10ヶ月のお子さん、3人の(臨時?)スタッフを全面的に信頼している感が見えます。スタッフ全員が自立的に活動しているため、みんな活き活きしています。別の山小屋を経験したというそのスタッフの一人は、その違いをまさに感じているようでした。泊まるなら、ここ、一押しです。


 それで終わりません。中学生の女の子を連れた父娘とも知り合いに。そのつながりは翌日の予定に大きな影響を与えました。
 小屋のスタッフや父娘のみんなとの交流は当然あり。旅の醍醐味ここにあり。目的のかなりをこれで達成できたと言ってもいい。

天気:晴れのちくもり(長野県木曽郡王滝村・開田村・岐阜県益田郡小坂町)

ふうたろう旅日記

ひとり旅の始まりfor木曽(木曽御嶽山:長野県)

2006年8月15日

※記録:8月19日

 燧ヶ岳から一日空けて、次は木曽の御嶽山(長野県と岐阜県の境)。楽しい強行軍の始まりです。
 しかし、関東地方はいつもの山行きの時のように、雨。雨の多いところだなぁと、いつも思います。行き先が木曽御嶽山なので、中央道での渋滞(高速バス)に引っかかって寝ている間に晴れていました。強い長野県の日差しが熱くて目が覚めました。

 御嶽山に関東地方(新宿)から行くには、鈍行列車なら高尾や甲府、大月、塩尻などを経て、木曽福島に行きます。夏や冬、春の休みのシーズンは青春18きっぷが使えるので、複数で行く場合や行き先が多い場合はこれを使うと良いでしょう。しかし、今年は旅行の日程が多く組めそうにないので、高速バスを使いました。
 新宿駅西口から、おんたけ交通バス(および京王)が一日2往復木曽福島駅前まで出ています。これを使いました。料金は2006年8月15日の時点で新宿~木曽福島間が4500円。往復割引で1割引の8100円です。

 木曽福島町(現木曽町)は東京の小雨と違って晴天。カラッとしていますが、強烈な日差し。暑いのではなく、熱い。宿場町的な雰囲気が漂う木曽路。駅や駅前の店も景観を重視します。

 駅前からおんたけ交通バスで田ノ原まで。夏シーズンのみ運行(確か8月27日まで)のバスだそうです。1日3往復、片道1000円です。しかし、片道1時間15分、しかも田ノ原は2180mの地点。破格です。チケットは名刺用紙を使っているようで、この生活感がまたたまらない。

 蛇行のハイウェイ。低い山と雲を見下ろしながらバスが行く。2180mの田ノ原。バス停の目の前に田ノ原山荘があります。田ノ原山荘は収容人数130人ほどだそうで、全て相部屋です。8月15日時点で、朝夕二食付き8400円、弁当付きで9000円、素泊まりで5250円です。周囲は駐車場しかないので、ガス缶を使って料理するなら、玄関前の砂利のところでするしかありません。しかし、山荘の受付の人によると、料理をする人に文句を言う一般客が居たそうです。理由はよくわかりません。
 山荘は風呂やトイレ、洗面所などが完備され、洗剤やシャンプーなどもあります。ゴミ箱も設置されています。山でゴミを捨てたくないので、ゴミ箱は使いませんでしたが。

 登山道の入口もすぐ側。登山道は御岳山頂神社の参道になっているため、鳥居があります。

 駐車場の東の端からは木曽谷を眺めることができます。その向こうには中央アルプス。降水量のみ測定できるアメダスがあります。

 持っていた荷物は17kg。しかし、肝心のタオルを忘れていました。相部屋の人にタオルを借り、なんとか入浴…。20~21時には寝ました。翌朝起床は4時です。

天気:くもりのち時々晴れ、関東地方では雨(茨城県取手市・東京都新宿区・長野県諏訪市・木曽郡木曽福島町・王滝村)

ふうたろう旅日記

優雅な休日

2006年8月14日

 昨日はとても疲れていたのに、今朝はいつもと同じくらいに目が覚めました。健康な証拠でしょうか。
 朝食はスパゲッティペペロンチーノ。またか。大蒜が大量にあるので、食べないといけない。

 実はまた明日から山登り。しかも今度は御嶽山(長野県西部)。昨日燧ヶ岳の頂上を踏んだばかりで、予定では明後日御嶽山の頂上を踏みます。ヤマキチです。
 とはいえ、準備するにも昨日までの筋肉痛が残ります。準備の途中で1時間昼寝。大変。
 買い物は近くのスーパー。お盆なのに、みんなよく働いています。スーパーは僕よりももっと大変。なぜかエンドレスでアンパンマンのテーマが流れています。周りの雑音に紛れているのではっきり歌詞が聞き取れませんが、こんな感じだったと思います。

アンパンマンのテーマ

そうだ 嬉しいんだ 生きる喜び
たとえ どんな敵が相手でも


そうだ 嬉しいんだ 生きる喜び
たとえ 胸の傷が痛んでも

 僕はなるほどと思いました。「何が君のしあわせ?何をして喜ぶ?解らないまま終わる、そんなのは嫌だ」というところとか。なかなか人として生きる上での核心を突いていると思います。

 夜は突然花火の音。尾瀬と違って取手の方は激しい雷雨に見舞われていたらしく、12日の花火大会が今日14日に延期。みんな河原で席を頑張って取っているようですが、僕は家から見えます。近隣住民の特権?







天気:晴れ時々くもり、にわか雨あり(茨城県取手市)

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東北一高い山、燧ヶ岳(燧ヶ岳・尾瀬:福島県・群馬県)

2006年8月13日

※記録:8月14日

 起床は4時。昨夜はそれでも22時には寝付いたのでかなり楽に起きられました。それよりも、気になるのは天気。どうでしょうか。

 朝霧の尾瀬ヶ原。空は快晴のようです。白み始めた空の下、朝食。缶詰のウィンナーをにんにくと炒め、昨日の残りのご飯と一緒に食べました。他のみんなはレトルトカレーなどを食べています。
 5時半出発。見晴新道を登り、温泉小屋に下るルートです。前者は中級、後者は上級のコースだそうです。
 見晴新道では2000mくらいまで登らないと展望はありません。うっそうとした森の中で、非常に暗い。

 燧小屋から15分歩くと尾瀬沼と燧ヶ岳に分かれる分岐があります。天候が悪くなりやすいため、8時以降出発を警告する表示があります。なお、燧ヶ岳に登る場合、この分岐で木道は終わりです。
 約2時間、暗い森の道を辛抱すると、徐々に高木が少なくなります。ガレ場になりますが、植物は比較的豊富で、ハイマツ以外にも多くの花があります。見通しが立ち、木の根や大きな岩などの段差が少なくなり、登りやすくなります。


 後ろを振り向くと、尾瀬ヶ原と至仏山(しぶつさん)が展望できます。

 燧ヶ岳頂上は樹木がなくなってから20分ほどのところです。2356mの眺望からは、尾瀬ヶ原と至仏山はもちろんのこと、日光白根山や男体山なども見ることができます。他の山については…解りません。

 くだりの「上級コース」たる、温泉小屋に抜けるルートは、山慣れしていない仲間たちにとって、殺人的なルートだったようです。滑りやすい大岩、ぬかるんだ泥道、大きな木の根の段差、急峻な坂道。1リットル以上持っていた水を飲み干してもまだなお足りない様子で、僕の持っていた水筒の水1リットルのうち700mlはみんなにあげました。飲んだ分だけ汗になり、麓の温泉小屋に着く頃にはみんな半分脱水症状。
 一方、僕の方は、この上り下りで300mlほどの水で足りました。その反面、尾瀬ヶ原の木道では、かなりバテ気味。燧ヶ岳で飲んだ量よりも多くの水を消費した上になおも疲れが。いったいこの差はどこから…?
 山の鼻から鳩待峠まで、所要時間は1時間20分です。しかし、山慣れしていたり体力があったりする人であれば、1時間かそれ以下の時間で登り切ることができます。山の鼻ビジターセンターのお姉さん曰く、30分で行けるそうです。マジかよ
 行きの尾瀬ヶ原のところでは書きませんでしたが、山の鼻から1時間15分ほどいったところに、龍宮小屋という小屋があります。ここのレジ、いったい何年前から使っているのか。小屋の看板を見ると昭和39年に設立されたようですが、その時からあるのでしょうか。今は昭和81年になるので、42年前。

 燧ヶ岳・尾瀬ヶ原の花です(後半)。

 ヨツバヒヨドリ(キク科・上左)ジャコウソウ(シソ科・上右)です。
 上の二つ、不明です。

 これらもわかりません。

 恐らく、ハクサンフウロ(フウロソウ科)ヤマハハコ(キク科)です。

 上左、不明。上右は恐らくエゾリンドウ(リンドウ科)です。

 上左、不明。上右はミズギク(キク科)あるいはオゼミズギク(同)です。花だけではミズギクかオゼミズギクかは確認できないようです。

 イワショウブ(ユリ科)ワレモコウ(バラ科)です。二つとも、虫つき。貴重な写真?

 イワアカバナ(アカバナ科)チョウジギク(キク科)です。

 ヤマオダマキ(キンポウゲ科)オオマルバノホロシ(ナス科)です。

 帰り、日光白根の湯本温泉に浸かって帰りました。尾瀬でなぜ白根?固いことは言わないとして、車酔いに最適のいろは坂を下り、宇都宮まで有料道路、宇都宮市内の「すき屋」で4度目の食事をし、24時20分に取手まで送り返してもらいました。いろんな話をしながら。みんな4時からもう21時間ぶっ通しで起きています。疲れたでしょう…。

天気:晴れ時々くもり、栃木県今市市付近でにわか雨(福島県南会津郡檜枝岐村・群馬県利根郡片品村・栃木県日光市・宇都宮市・茨城県取手市)

ふうたろう旅日記

杞憂の旅(尾瀬:群馬県・福島県)

2006年8月12日

※記録:8月14日

 昨日の天気予報で、非常に強い寒気が入り全国的に「雷雨」との予報が出され、意気消沈、日和見主義になっていました。当日の朝、茨城県は全県的に曇っており、道中の埼玉県も同様。「寒気」が入った時の特徴は、雲の厚い時と薄い時が交互に来ること。そうして雷雨が断続あるいは連続的に降ります。そんな不安の中、一行5人は群馬県利根郡片品村の尾瀬ヶ原に出発。沼田インター付近では晴れ間も除いていましたが、その西部の山間地帯は、何発もの雷が落ちていました。「ゲゲッ!!ヤベェ!!!」

 鳩待峠(はとまちとうげ)から尾瀬ヶ原を抜け、燧ヶ岳(ひうちがたけ:2356m)山麓の燧小屋に行くコースです。鳩待峠には山小屋や土産物屋があり、自動車(公共交通機関のみ)の入れる区間はここまでです。自家用車は麓の戸倉というバス停の駐車場(24時間1000円)に止め、17時くらいまで走っている、片道一人900円のタクシーあるいはバスに乗らなければなりません。
 鳩待峠の天気は13時の時点で「くもり」。午前中は激しい雷雨に見舞われたそうです。空模様は怪しいまま。「勇気の撤退は避けられないか」

 鳩待峠から休憩も入れて1時間。山の鼻というところに着きます。針葉樹や広葉樹の雑木林で、左には川上川という小さな川が流れています。道中は木の階段や木道が主で時々石畳があります。土道はまったくありません。尾瀬の大地が踏み荒らされないような工夫だと思いますが、よそ見していると、落ちます。
 山の鼻の天気は14時で「くもり」でしたが、鳩待峠よりはやや明るい。「このまま進めるか」
 尾瀬ヶ原は山の鼻からすぐです。この湿原に入るところに来訪者を管理する赤外線センサーがあります。進行方向の右側の木道(2本あります)を通る必要があります。湿原には特有の水たまりと、浮島があります。水たまりといっても深さはけっこうありそうです。光の屈折で浅く見えるので注意。よそ見していると落ちます。
 天候は回復傾向。尾瀬ヶ原を抜けて燧小屋に着く頃には「晴れ」。夜も星を見ることができました。「勇気の撤退」なんてことを言っていましたが、予想外の好天に、歓喜するばかりです。

 尾瀬ヶ原を燧小屋(ひうちごや)に向かうと、嫌でも目に付く燧ヶ岳。迫り来るその大山をわくわくしながら進みます。

 見通しは良く、頂上付近に雲もかかっていませんでした。また、風が弱く、水面も非常に穏やかです。その水面に大きな燧ヶ岳が映ります。まさに、「逆さ燧」です。

 観光客は意外と多く、登山客に混じって、家族連れやカップルもいます。ただやはり山歩きは、高齢化が進んでいるようです。
 尾瀬の花は最盛期を過ぎました。しかしそれでもたくさんの種類の植物が自己主張します。

 コオニユリ(ユリ科・上左)オタカラコウ(キク科・上右)です。

 コバギボウシ(ユリ科)オゼヌマアザミ(キク科)です。

 ツリフネソウ(ツリフネソウ科)ヒツジグサ(スイレン科)です。

 オトギリソウ(キク科)キンコウカ(ユリ科)です。

 ナガバノモウセンゴケ(モウセンゴケ科)サワギキョウ(キキョウ科)です。

 クガイソウ(ゴマノハグサ科)ニッコウキスゲ(ユリ科)です。

 本日の仲間の体調は概ね健康。順調に燧小屋に着き、疲れたといいながらも、飯をたくさん食べました。米を炊き、トマトカレーを作り、モリモリと。
 夜は星空。気温がぐっと下がっていましたが、最後、強烈な閃光を放つ流れ星を見ました。どこかに隕石として落ちたかもしれません。

天気:くもりのち晴れ(茨城県取手市・土浦市・群馬県利根郡片品村・福島県南会津郡檜枝岐村

ふうたろう旅日記