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Archive for 2006年1月

GYOZA again!!

2006年1月31日

 今朝、やっぱり少し、イライラしながら出勤。日暮里のソバも喉を通らず。そば屋のおばちゃんにはもう顔を覚えられているのでしょうか、「すみません、食べ切れませんでした…」と、弱気の僕に、「調子悪いの…?」と。寝不足ということにしておきました。事実寝不足でしたが。
 職場でも不吉なことがありました。今日はご来客があるのに、よりによって仕事が山のよう。それまでに終わるかな…(終わりませんでした)。

 グシャッ!!
 手に持っていた共栓フラスコが、音をたてて割れました。突き刺したら大惨事。あぶねぇ…!

 見学者はゼミの若い学生さんと、先生方。この方々と一緒に、今夜は餃子パーティーが始まります。

 先生のお宅で餃子大会。先生は以前、環境・廃棄物処理問題研究会のときから僕のことを覚えていて、主任と一緒に招待してくださいました。
 しかし、それにしても、餃子パーティーとは、凄い巡り合わせです。これで連続3日餃子づくし。餃子は大好物ですし、何より交流会と名の付くものは大好きなので、むしろ喜ばしい…。昨日までの手つきで、一緒に餃子を包んでいました。おかげで、学生さんと話ができました。みんなで包んだ餃子はまるで紙粘土細工のようになってしまいました…。

 会食には、職場にきた現役ゼミ生の他に、OBの方やご家族(?)もいらっしゃいました。とてもゼミの学生と先生という関係の中で行われているパーティーとは思えません。
 先生が餃子の具に、おもむろに干しエビを入れ始めると周りからブーイング。中国の黒酢をかけた餃子を持ち歩いていると、「せんせー!そのお酢やめて!」わさびの入った爆弾(地雷)餃子を食べた留学生の方が悶絶。ついでにチョコレートでも入れようかなんて。「○っ○り!(あだ名)皮小さいって言ってるじゃん!!」 最後まで、皮のデンプンが老化するまで残っていた肉まんのような(ウミウシのような)餃子、「先生に愛情を込めて作ったのにー。」と作者なる女学生。僕の作った名刺のたった一文字の修正、口々に「ここ間違えて書き直しましたね。」…ちっ!バレたか…。

 この雰囲気は、僕はかつて味わったことのないものでした。上意下達(じょういかたつ)の研究室というのが、当たり前でしょう。少なくとも、僕の通過してきたところはその域を出ませんでした。僕は本来人間関係はこういう雰囲気でよいと思います。ひとたび教授し、される関係を抜け出せば、そこには対等な人間関係がある、それが理想だと。みんなを見て、日頃のゼミの様子はわかりません。しかし、卒業されたOBの方でも、あるいは一部の現役ゼミ生ですら、問題意識を持って活動している様子が、何となくですがわかります。上意下達の世界が人間の成長にとって必ずしも要るものではないと思える好例かもしれません。
 話をした人の中には、苦労して、悩んでいるのかなと思う人もいました。どうかこれから、ゼミ内外のみんなで力を合わせて乗り切ってほしいと思いました。あのすてきな、―少なくとも僕にとっては― 雰囲気を作れるみんなの力で。おこがましいかな…。

 帰ってきたら23時56分でした。帰りが遅くなってしんどいはずなのに、なぜか気持ちは高揚していました。昼間までイライラしていた原因がとてもちっぽけでばかばかしくなりました。これが人とつながっていることの力なのかな…。

天気:曇りのち雨(東京23区西部・茨城県取手市)

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なま暖かい日

2006年1月30日

なま暖かい日

 今朝、起きたときから最悪の気分。精神的に。理由はありますが述べられません。昨日の夜のすがすがしさやどこへ行ってしまったのか。もう、今朝よ、二度とくるな!!
 イライラしてたら、ストーブの消し忘れ。今日で2回目です。加湿器消していくのは忘れなかったのに。帰ってきたらまたガスが止まっていました。最悪。

 出勤。イライラしながらも、日課の新聞。これは欠かせません。自分の知識を増やす手段。半ば、逃げているような気もしましたが、しょうがないっす。今朝は結局メシも食わず。本部に寄って、大先輩からお茶をいただいてほっと一息。


 実は今日、っていうか、昨日の夜遅く、今まで部屋中ひっくり返しても見つからなかった通帳を発見しました。新聞のスクラップの間に挟まっていました。よく考えたら、そこに隠して、実家に帰った記憶が…。ふと、新聞の切り抜きをしようとした昨日の夜、発見。学問の神?
 それで今日、銀行と郵便局に通帳利用の再会をしに行きました。散歩がてらに。

 今日は風がとても暖かく、マフラーなしでも歩けました。でも、隅にたまった厚い根雪は黒ずんで道路や塀にこびりついています。
「春が待ち遠しいなぁ…」

 先に早く閉まる銀行から。途中、休み休み、都会の景色を見ながら駅前の銀行へ。この前行ったときよりはずっとすいていましたが、それでも、30分くらい待ちました。銀行員さんはやっぱりちょこまか動いています。その銀行員さんに僕は助けられながら、のんきに混雑の風景を写真撮影したりして。

 待ち時間、暇なので、その辺を見回していました。例の銀行員さんも目の前で忙しそうにおつとめ。ふと右側に目をやると、吊り下げ式の液晶テレビが。ライブドアのおかげで存在感の増した株の価格が数秒ごとに動いています。みんなこの数字の上下に一喜一憂してるのかな。
 株価に続いて、金利が出てきました。しかし、どうやらアメリカの銀行のもののようです。……4.73%?消費税率くらいあるその数字。「米国ストリップス債」…?アメリカの国債でも買えってことかしら。何で日本国民がアメリカの国債を…?それにしても、これ、利率ですかね。銀行に定期預金しても0.02%ってことを考えると、恐ろしいですね。アメリカに預金が流れるようになってるってこと…?

 で、通帳、銀行では、取手への取り次ぎが終わるまで使えないそうな。2月になるまでお預けです。一方、後で行った郵便局はすぐに使えるようになりました。だいたい、混んでないし。ユニバーサルサービスの郵便局はすばらしい…。

 散歩すると、気分が晴れます。昼休みをちゃんととって、このくらいの気晴らしは必要です。時間があるときは、散歩するように心がけてみよう。

 しかし、それにしても、今日はとても嫌な日でした。…

天気:晴れ時々曇り(東京23区西部・茨城県取手市)

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餃子教室

2006年1月29日

 今朝、8時17分。一度飛び起きました。なんだか気分が悪い。夢の中でなぜか気分が悪くなってしまうことが時々あります。吐くことはなく、うがいをしてまた少し寝て、次気づいたのが9時54分。起きあがるのがしばらく辛く、1時間半くらい(11時半くらいまで)布団の中でぐったり。実は今日はあまり調子がよくなかったのかも。
 でも、今日は楽しい餃子祭りです。起きあがってみそ汁とカニシューマイと納豆と五分づき米(広島県産)を食べ、仕事に取りかかりました。
 納豆を掻こうとした瞬間、電話がぶーぶー。知り合い(近所のおじさま)から頼まれごとです。昨日のつどいの写真をくれとのこと。メシ後、FTP接続、写真の整理。それより何より、おじさまにウェブ上に上がった写真へアクセスする方法とダウンロードの仕方を教えるのが、やっぱり一番苦戦。
 そんなこんなで、餃子の具、来週仕込む味噌の材料を買い込んで、ようやく帰宅です。

 餃子作り開始。材料は、ニラ、ターサイ、ニンニク、春雨(ゆで)、豚挽肉、味噌、豆板醤、白および黒こしょう、です。ニラ、ターサイはみじん切りして塩もみします。もんで少し水分を切っておきます、春雨はゆでておき、これもみじん切りです。豚挽肉を加え、こしょうやニンニクおろし、味噌、豆板醤を加えて、肉の色が茶色くなるまでこねます。このとき、温度が上がると、肉の結着が悪くなるようです。ハムなどを作るときは、10℃以下でこねると聞いたことがあります。こね終われば具は完成。後は部屋の掃除。これが大変ながらも、1時間で何とか終了です。

 今日の餃子パーティの参加者が取手駅に着いたのは、17時39分(一番遅い人で)。一番早く来た人は40分待ちました。本当にお疲れさまでした。
 みんなで餃子をつつき、酒を酌み交わしながら、今年の抱負などを述べました。
 もっと時間があったらよかったな。せっかくみんなには遠いところまできてもらったのに。せめて、利根川のきれいな夕焼けでも見せてあげたかったな。

 そういえば、今日初めて弔電を打ちました。ちょーでんってなんや?って感じでしたが、今はインターネットでも簡単に打つことができます。金額は張りますが、定型文なども整っていて、使いやすいようです。今後、あまりお世話にはなりたくありませんが、役には立つかもしれません。簡単とはいえ、初めてなので煩雑でイライラはしましたが。
 …というか、今日はおかしい…

天気:晴れのち時々曇り(茨城県取手市)

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音楽で民主主義を主張

2006年1月28日

 午前中は精神科に受診でした。この1ヶ月、アルプラゾラムの使用量が増えたので、また、しばらく薬をもらっていなかったので、もらいました。やはりこれがないと苦しい…。今日は加えて、検査もしてもらいました。

 午後から「新春のつどい」でしたが、その前に、パソコンの修理。マイクロソフトなどに電話しましたが、ろくな答えが返ってきませんでした。機械をあきらめろってことかいな!

 新春のつどい。この前の芋煮会でお会いした人もぽつぽつ来ていました。でも、僕はかなりの人の名前を忘れてしまっています。かつての記憶力はもう…。
 新春のつどいでは、県議候補や衆議院議員のお話を聞きました。県議候補の方は僕も知っている人であり、この前の芋煮会にも来て、美味そうに豚汁を食べていた方です。衆議院議員の方は最初、表情が硬かったのですが、みんなの表情を見てか、後になって柔らかくなってきました。百戦錬磨と思えた国会議員でも、やっぱり緊張するんだなぁと、当たり前のことを感じました。

 この後は休憩を挟んで、この前の結城市でやったライブでも歌を披露してくださった、雑花塾とヒューマンファーマーズのライブが始まりました。しかし、やっぱり歌の題名が覚えられません。団長の笠木さんの解説に紛れて、忘れてしまうのか、僕の記憶力が悪いのか…。

 今日は小さい観客さんが目の前を行ったり来たり。僕のカメラが気に入ったのか、持ってうろうろ。お母さんは壇上で歌っています。時々壇上にはい上がって足にしがみつき、ある時は知り合いの方に抱えられていき、…見ていて和みます。ぱたぱたと走る姿が。
 最後、アンコールに応えてくださった雑花塾とヒューマンファーマーズのみなさん。ずっと平和を歌ってきたラストは、子どもたちにエールを送る歌です。

見上げてごらん…(歌詞を忘れてしまった)
あなたが夜明けを告げる子どもたち
素足で大地を駆け抜ける子どもたち

 「夜明けを告げる子どもたち」か…。すてきな表現やなぁ。目の前をぱたぱたと駆けているこの女の子のことがすぐに目にとまります。単純。彼女と、もう一人年配の女性がほおを寄せ合って一緒に歌います。もはや言うことはありません。

 顔を出せないのが残念。

 終わると夕焼けがきれいでした。利根川の向こうに富士山が見えます。真っ赤な空の下に富士山のシルエット。利根川に生えているヤナギのシルエットも凄くすてきです。今日付のダウンロードファイルより、生の写真をダウンロードできるようにしました。取手市って、いいところですね。

天気:快晴(茨城県取手市)

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男はプライドの生きものだから?

2006年1月27日

 今日も職場で一日静かにしていました。しかし、確かに仕事は集中できました。みんなも集中していたように見えます。いつも、自分がいかに人の仕事をじゃましているかが、明らかになりました。これくらいでちょうど良いのかもしれません。

 今日、アマゾンのインターネットショップで買った『男はプライドの生きものだから』(講談社:テレンス・リアル著:吉田まりえ訳)の本が職場に届きました。大学院1年の時、かつて付き合っていた恋人に貸してもらい、引き込まれるように読んでいたのですが、再び読もうとして本屋に行くと、絶版になっていました。…なぜあの良書が?

 …本は丁寧にフィルムで包装され、さらにクッション材までかけられていました。ずいぶんまめな人のようだ…。商品自体も、少し帯が破れていたくらいで、問題なし。たった800円そこらでこの本が手に入れば文句はありません。
 この本は、人が、特に男性が、なぜ自分の悩みや弱さを表に出せなかったり、自殺者が多かったり、暴力などに走りやすかったりするのか(かなりムリのある表現だが)、など、明らかにしていたとおもいます。最近の認識で改めて読むと、新たに発見があるかもしれないと思っています。

 家に帰ってきたら、ガスが止まっていました。元栓とガスメータのある玄関先に出て、メータを見ました。
 赤ランプがチカチカ…。しかも、閉めた元栓が開かない…。ストッパーがどこかにあるはずなのに、見つからない…。何でこんな夜中に…。やっと見つけたら、取っ手の付け根の見えないところに。くぅ?…!!

レバーの付け根に白いボッチがあるのがストッパーです。あんまりよく見えねぇな…

 …今日手に入れた本、政治や社会の元になる、思想の根源を探るのに役立つかもしれません。そして、僕はどこかで、自分や他者を実験台にしてしまうかもしれません。

天気:晴れ時々曇り(東京23区西部・茨城県取手市)

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寒い景色

2006年1月26日

 最近、職場で、ちょっと疲れてきました。精神的に。いや何、鬱状態というのではなく、理由があります。が、ここには書けません。

 でも、今日は、職場ではずっと静かにしていました。遅い昼休みは散歩。いつもは見えないものがいろいろ見えたような気もします。
 僕はいつもうるさいくらいに喋りすぎていました。静かに、集中して仕事することで、そのことを改めて感じました。そして、その感覚が決して悪い気がしないことも。

 職場では昨日みたいに、頭がボーッとして、気だるいような感じがします。それで、今の職場に勤めて始めて散歩をしました。近くに光が丘公園(練馬区?)。冬枯れの公園。雪が所々に残っています。が、期待ほど美しくはありませんでした。
 でもいつもは日の目を見ることなく、ずっと屋内での作業。こうして外を少し散歩すると、体が楽になります。時間のあるときは、時々こういうプログラムを取り入れると良いのかもしれません。

 今日はもう一つ、仲間にきついことを言いました。それは、僕が属している組織に、ある意味反対意見をすることだったかもしれません。が、一方で、その組織が哲学として重視しているものを守ったという見方もできます。

 何がなんだか訳がわかりませんね。とにかく、今日はなんだか、一日反発してばっかりだった気がします。だから、余計疲れました。
 ああ…、ちゃんと話がしたい。…

天気:晴れ(東京23区西部)

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薬物依存

2006年1月25日

 一昨日の21時頃から、向精神薬(アルプラゾラム製剤)を飲まずに過ごしました。昨日の夜、薬飲まなくて大丈夫かなと不安でしたが、意外と大丈夫で、夜も一度目がさめたものの、体調に狂いなく朝を迎えました。
 朝の飯は日暮里駅の常磐線ホームのそば屋さん。わかめそば290円を完食。水を一気飲みしてしまったので少しまた不安がありましたが、池袋駅に着く頃には回復。新聞を読んで過ごしました。
 職場ではもちろん仕事をしていたのですが、仕事の量が中途半端で、15時半頃には終わってしまいました。それからが辛くなってきました。
 いつもは、だいたい断薬後24時間で苦しくなり始めます。しかし、このとき、向精神薬を飲んでから既に42時間半。頭がボーッとしていたのは暖房の効きすぎのせいだとしても、胸の苦しさ(動悸)や、気分の悪さが出てきました。自律神経症状と反跳性の湧き上がり不安(1)といわれるものかもしれません。17時頃、気を紛らすものもなく、ついに耐えきれなくなり、アルプラゾラム(0.4mg)を使用しました。  急激な断薬は、逆に身を苦しめるだけのようです。

 

 アルプラゾラムはベンゾジアゼピン(BZ)系といわれる薬剤で、強力なようです。精神科の教科書によると、通常はGABA(ガンマアミノ酪酸:Gamma Amino Butanoic Acid)という、グルタミン酸(アミノ酸の一種)から誘導される物質が、情動を司る神経細胞の、塩化物イオンチャンネル(イオンの通る門)にくっつき(GABA受容体に結合し)、細胞内に塩化物イオン(Cl)が入り込み、その結果、不安を抑えます。しかし、ベンゾジアゼピン系の薬剤もまた、そのチャンネルにくっつく(BZ受容体に結合する)ことができ、GABAの効果をさらに高める働きをします。(1)
 頭の中でこんなことが起こってるのか…。自分の心が物質に操られているってのは、悔しくもあり、また楽しくもあります。僕の頭の中では、今、二つの意味で分子が踊っています。

 それにしても、今日は凄くイライラしていました。特に午後?夜。買い物のときの店でもイライラしていたので、早く出たかった…。凄く眠いし体は重いし、疲れているせいかな。ちゃんと休んでないからな、このごろ…。

参考文献:(1)海馬書房『STEPseries 精神科』 岸本年史 監修 高橋茂樹 著

天気:快晴(茨城県取手市・東京23区西部)

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そういえば、タリウム事件の子…

2006年1月24日

 毎日の出勤。家の前は連日の冬日で路面は凍結。バスがおそるおそるブレーキをかけてバス停に停まると、脱兎のごとく駅に駆け込む通勤客。その一人として常磐線の車両に飛び乗り、座りなれたシートに腰掛け、新聞を広げます。いつもの情景、いつもの課題。

 新聞の小さな欄に、―しかし僕にとっては大きく目を引く―あの記事が。
 「あ、タリウム事件の女の子…」
 一時期大変騒がれましたが、今はどこ吹く風。耐震偽装事件や証券取引法違反のライブドア事件、アメリカ産牛肉の違反事件などにかき消され、タリウムという物質すら忘れられています。
 そう、あのとき、女の子のこと、「異常だ」という目で世間は見てたっけ。「数十年に一度の特異な個体」だとかも…。でも、短絡的な感覚で扱われ、結局今は放ったらかし。今も彼女は少年院で過ごしているんだろうか…。彼女の母親は中毒に苦しんでいるんだろうか。
 以下は、僕の読んでいた新聞の記事の抜粋です。見る人は何新聞かわかるかもしれません。記事は、大東文化大学の教授がつづられたようです。(…環境・廃棄物問題でも学生共々頑張っている大東文化大学…?)

 ―16歳の少女の孤独―
 「僕の友人は少ないです。教室では何時でも孤(独)」…(中略)…そんな孤独感を紛らわそうと酔い止め薬を使用量の8倍も飲んでいた。
 いじめたり、からかったりしているクラスの生徒について、「3年生になるまで彼等だけが僕の話し相手でした」(中略)
 そんな彼女が唯一安らいでいたのは、自分の中に作り上げたもう一人の人格との対話の世界であった。…(中略)…保育実習では4歳児に「悲しみが慰められた気がします」(中略)でも、次の日の日記にはもう寂しくてたまらない…(中略)
 日記の一部からは、共感や安らぎを求めていた日々が痛々しく読み取れる。その16歳の少女を誰か一人でも受け止めてあげることができたなら、彼女は孤独と苦悩の世界を脱出できたかもしれない。

 そう、彼女の苦悩を受けとめてくれた人はあのとき、どれだけいただろうか…?日記の一部が公開され、みんな彼女の苦悩を知るチャンスはあったのに。マスコミの注目はもっぱら「化学実験的」な「異常さ」だけ。そして、時間が経てばこうして忘れ去られるなんて…!
 …このままじゃ、また第2・第3の「タリウム少女」が出てくるでしょう。社会が、その中で生きる一人一人の苦悩を受けとめられない限り―あらゆる場面に「勝ち組・負け組」を持ち込む風潮と「自己責任論」を押しつける社会が終わらない限り。

 僕も化学や生物が好きで、子どもの頃から顕微鏡覗いたり化学辞典を開いたりしていました。しかし、それは本当に好きだからだったのか、全部ではないにしても、一部では寂しさを紛らすためだったのではないか。定期まで買って公立図書館に通っていたのも、勉強に逃げていただけなのではないか。それでも逃れられない孤独感。教室の中で自棄になる自分。どこかで思っていたかもしれない、「こいつらなんかに負けへんぞ」…。
 何時しか、激しかった孤独感を忘れ、今は波がありながらも、仲間に囲まれている実感があります。でも、今でもその孤独感から抜け出せず、漂流し続けている人もたくさんいるでしょう。一昨日、取手市内でやった芋煮会のような雰囲気を少しでも経験できればあるいは…。

 「タリウム事件」は久しぶりにそんなことを思い起こさせました。もう起こらないでほしい、そんな願いは、今の社会では雑踏をさまよう蟻のように踏みつぶされるでしょうが、起こらない社会を目指したく思います。

天気:晴れ(茨城県取手市・東京23区西部)

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あゆみをとめられて

2006年1月23日

 昨日の疲れが取れきれないまま、でも、先週末ほどしんどくもなく、朝飯を掻っ込んで、出勤。芋煮会後の二次会、ボーリングの筋肉痛が徐々に始まってきました。―69?106点しか取れてないのに。

 職場へ行くには、東京メトロ有楽町線に乗らなければなりません。ところが、池袋駅で乗ろうとすると、一本目は「池袋止まり」
 「はぁ?」
 …もう一本の和光市行きを待ちました。8分ほど待って到着。車内で待機。発車間際の5?10秒前。車掌の車内放送。
 「この電車は小竹向原行きになりました。」
 慌てて車両を飛び出し、駅員さんに状況を確認。
 発車のベルが「早く乗らんかい、ワレぇ!!」
 …と言っているように聞こえました。
 「ふざけんなよ…!」
 駅員さん、「これに乗って、小竹向原で乗り換えてください!」
 「…しゃぁないなぁ。」

 乗って二駅、千川駅。再び車内放送。
 「小竹向原では反対側のホームに着くので、この駅(千川駅)で和光市行きをお待ちください。」
 「えっ、マジかよ!?」
 乗ってきた元「和光市行き」はどさくさに紛れて「小竹向原行き」に化けていました。

 小さな千川駅。今度こそまともな「和光市行き」を待ちました。

 「ゲッ!!!そんなもん、早よ言えや!!」
 発光ダイオードのハイテクけーじ板が鉄面皮で冷たい光を放ちます。
 『ただいま、西武池袋線内の停電事故のため、直通運転(小竹向原から西武線)を取りやめています。JR線、都営線(都営地下鉄)、東武東上線への振り替え輸送を行っております。』
 「千川駅に放り出しといて、何言うてんねん!!」
 千川駅まで来ると、もはや有楽町線以外の交通手段はありません(東部東上線もムリ)。

 なぜ地下鉄有楽町線の利用者が、他社の鉄道である西武線の停電事故のとばっちりを食らわんといかんのですか。この手の事故で遅れることは結構あります。果たして、直通運転は便利といえるんでしょうかね。事故の影響を拡大するということも忘れんといてほしいです。

 今日は朝から疲れをもらいました。とほほ…。

天気:晴れ時々曇り(茨城県取手市・東京23区西部)

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雪の中であたたかい雰囲気

2006年1月22日

 日曜日の朝はグンと冷え込みました。昨晩まで降っていた雪は、ほとんどそのまま残っており、車や人の足で固められたところは、完全なアイスバーン。久しぶりに信州にいた頃を思い出しました。
 ベランダから外を眺めてみると、その澄んだ空気は、2005年11月30日に、勝るとも劣らず。スーパーの向こうに見える林に積もった雪がきれいに枝の形をしています。あまりにもきれいなので、はしゃいで外に出ると、雪は乾燥してさらさら。公園で人も踏み入っていないところは朝日に照らされて結晶がきらめいています。ブランコの柵が長い影を雪に投影しています。

 今日は、戸頭公園で芋煮会と称した交流会。主催に関わっている僕は、早めの現地入り。戸頭公園は、駅周辺よりも多く雪が積もっており、先着隊が雪かきを始めていました。

 開始は10時より。ぞろぞろ、12時頃まで人は増え続け、最終的に20人。野菜を黙々と切り続ける人、豚汁の味付けに余念のない人、手慣れた手つきでかまどの火をつける傍らいつまでも煙しか立たない人、ただ出来上がった豚汁とバーベキューを食べに来る人…。いかにも個性の多様性を象徴する場面です。
 しかし、誰一人として俯いている人はおらず、何らかの形でこの場の雰囲気を作ります。そういう意味でこの会に参加できていないは一人もおらず、存分持ち味を発揮していただきました。
 他にも、どう考えても遊んでいるようにしか見えないが、雪玉を投げて木の雪を払っている人や、物静かに豚汁をすすりながらも最後の余興でギターを披露してくれた人、取手市に何十年も住んで野鳥や植物などの自然を知り尽くしている人、雪に埋もれた水場を見てはしゃぎながら雪かきをする人。
 …なぜかそんな何気ない一人一人の行動が、何かとても美しいもののように感じます。みんなで作り上げたこの芋煮会。その作業過程こそが、この美を実現したのかもしれません。

 そういえば、クイズを作ったのでした。名付けて、『みんな玉砕?!ウ○トラクイズ』。余興でしたが、賞品で釣って、全員参加させました。最高得点は79点。なかなか凄いものです。さすが、専従や議員経験者。でも、青年の中にも高得点者がいました。74点。最優秀賞は、その彼に決定しました。最優秀賞賞品は、北茨城市のすずき産地ブランド『恋愛米』2kg。無農薬無化学肥料、れんげとあいがも除草で栽培した米です。玉砕賞はカカオ99%の超苦いチョコレートでした。みなさん、よく頑張りましたね。

 実はこの後もボーリング(二次会)と会議と続きます。チョーハードでした。でも、芋煮会は大成功。やってよかったと思いました。

天気:晴れ時々曇り(茨城県取手市・牛久市)

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大雪注意報発令!

2006年1月21日

 7時半頃目が覚めました。やたらと外が明るい。これは晴れてるかな…?ガラッ!!窓を開けたら、家々の屋根は真っ白。
 今日21日、関東地方南部と茨城県は記録的な大雪になりました。大雪注意報が発令され、すでに朝9時頃には派手に雪かきをしなければならないほど積雪していました。今日は大学のセンター試験の日でもあり、これでまた、雪中の試験になりました。

 さすがに7時半は眠くて、起きたのは9時半。それから慌てて朝ご飯をねじ込んで、外に飛び出しました。
 いやいや、迂闊でした。いつも通りのスニーカーとズボン。さすがにジャンパーは山用でしたが、外は激しい湿雪とシャーベット状の積雪。気温は0℃前後。瞬く間にずぶぬれになり、四肢は冷凍みかん。
 青柳あたりの田園地帯は、風雪で向こうが見えません。電線には鳩が寒そうに群をなしてじっとしています。湿った雪玉が叩きつけるように顔にぶつかります。黒いマフラーも真っ白。

 取手市内に散在しているお寺も雪を被って、風情を醸しています。春日大社(小文間)、長禅寺(取手)、八坂神社(東?)、念佛院(東)など。

 ↑大聖寺(小文間)は紅葉もきれいでしたが、雪もまたきれいです。昼間の雪は気温が低くても日光の影響を受けて融け始めるので時間との勝負です。チャリを飛ばします。
 雪が積もると、事故が必ず起こります。小文間の路地で、雪で隠れていた路側に車が落ち込み、民家の竹垣が破壊されていました。反対側はどぶ川なので、こちら側に落ちると大けがするでしょう。太平洋側の都市の、雪に対する弱さは筋金入りですね。

 今日はそのほか、高知県の土佐から、注文していた文旦が届きました。少し固めなので、もう少し追熟が必要かもしれません。
 また、伊香保温泉の土産を、取手市内のリサイクルショップで働いている知り合い(というのか友達というのか…?)に持って行った際、ロイズのチョコレートと干し柿をいただきました。

 本当は今日は環境・廃棄物問題研究会の例会に行こうと思っていましたが、この雪でいつ電車が止まるか解りません。明日の準備もあると思って、休みました。次、楽しみにしましょう。

天気:雪(茨城県取手市 井野団地において、自分で簡易測定:最高16cm,18:42)

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疲れがとれない…

2006年1月20日

 朝、起きるのがつらい。7時半頃目を開けても布団から起きあがるのがとても億劫。せめて、うまい飯でもあれば別なのかもしれませんが。
 今朝は、腹痛まで起こりました。腰痛も追い打ち。腰痛と腹痛の神経はつながっているとどこかで聞いたことがあります。確かに、潰瘍性大腸炎で腹が痛いとき、腰も痛い。今朝はその両方から攻められました。出勤30分遅刻。

 ところで、今日、ビッグニュースが飛び込んできました。BSEの危険部位である脊柱が、アメリカ産牛肉に混じって日本に入ってきたそうです。成田空港…(チョー近いやんけ!)。アメリカ産牛肉の輸入が再開されてから1ヶ月。ブッシュ政権早くも自爆。中川農林水産大臣は渋い顔しながら記者会見でアメリカ産牛肉の輸入ストップを報告していました。
 しかしながら、すでにアメリカ産牛肉を食べてしまった人がいるはずですから、食品安全委員会の答申を曲解して輸入再開を押し通した小泉内閣の責任ははかりしれません。


 それにしても、変異型ヤコブ病は本当に「プリオンタンパク」の仕業なんでしょうか。福岡伸一さんの書かれた『プリオン説はほんとうか』を読んでいると、にわかに信じられなくなります。プリオンの有無を危険・安全の判断基準にしている今のシステムに、凄く不安を覚えます。
 ある臓器のプリオンの量とその同じ臓器のホモジネート(だっけ?)のプリオン病(ヤコブ病やBSEなど)感染性には、必ずしも相関があるわけではないというデータが紹介されていました。

 1月18日、BSE感染牛の異常プリオン約0.1gを仔牛の脳に注射すると14頭のうち3頭がBSEを発症したという実験結果が、北海道の畜産試験場から出たそうです。しかし、そのソース(生の論文)が見つかりません。僕と同じことをぼやいているブログも見つかりました(リンク張るのは怖いからやめときます)
 実は、この実験で最も重要な部分は、仔牛の脳に注射したものが、小牛の脳みそのホモジネート(どろどろにすり潰したもの)なのか、抽出した純粋な「異常プリオン」なのかということです。しかし、その最も大事な点がどのニュース見ても解りませんし、当の畜産試験場のトップページにはその試験法すらまともに紹介されていません。この共同通信のニュース(2004年1月16日?)によると、実験開始1?1年半後には9割の成功率が見込まれていたようです(母数が15となっているのは実験企画段階の意味だと思います)。なのに、2年後の現段階での発症率が、14分の3(=2割強)というのは…。
 もし、病原体が異常プリオンじゃなかったら…。そう考えると、危険部位の除去だけでは安全性は確保されません。異常プリオンが見つからなくても病原性がある可能性があるからです。だから、その感染牛自体を絶対食物連鎖に入れないことが大事です。BSEに対する安全管理のしっかりしていないアメリカ産牛肉の輸入は、少なくともその管理体制がしっかりするまではやめるべきです。

 書いてると長くなる…。いつもの悪い癖。そして寝るのが遅くなる…。いつも疲れがとれない悪循環。BSE以前の問題でした。今日は早く寝よう。

天気:曇り時々晴れ(茨城県取手市・東京23区西部)

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病に倒れし友よ

2006年1月19日

 病に倒れし友よ、また元気な農作業姿を見せてくれ…。
 洒落じゃありません。今日、大事な友人が手術の必要な病に苦しんでいるとの報せを聞きました。つい最近、その友人は国外で倒れて入院していたところでした。やっとこの前、結城市のコンサートで元気な顔を見られたかと思ったのに…。

 病気は卵巣の腫瘍…。悪性とも良性とも解りませんが、このページには大きく腫れている様子と「手術」の文字があります。ただごとではなさそうです。
 これ以外に言うことはありません。「必ず治せ。」

 職場からの帰りに、池袋の本屋で医学書のところに居座って、婦人科学の本を見ていました。卵巣腫瘍は多くの種類があるようです。でも、なぜなるかは、解らないようです。治療は、小さいものなら1~3ヶ月ごとに経過を見ていき、それより大きくなるようなら、手術などの治療も考えるようです。
 ところで、このページの、「ピノコがいるのか」という「社長」のお言葉…?卵巣腫瘍で検索して一番に出てくるページに、その説明がありました。「皮様膿腫(のうしゅ)」?…卵巣膿腫(良性腫瘍)の一種みたいです。「髪の毛や歯や筋肉」が含まれている…つまり、細胞自体はまだ充分分化しているみたいです。これが悪性なら、単なる肉の塊(がん細胞の塊)になるんでしょうね。…本当に、「ピノコ」であればいいな。

 …食の安全で、発がん性がどうたら~って叫んでたこともあるのに、がんをも含む腫瘍のこと、何も知らないんだなぁ。時間作って、勉強しよう…。

天気:晴れのち曇り(茨城県取手市・東京23区西部)

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暗闇の中で

2006年1月18日

 今日はさんざんでした。大事な物なくしたり…。ここではそれ以上書けませんが。そんなこんなで、一日中頭の中に雲がかかっていました。何の罪も落ち度もない職場の人に、迷惑をかけてしまいました。
 体の具合はそれほど悪いわけではありませんでしたが、食欲はぐっと落ちました。
 ちょっとまたよくない方向に行ってるなぁ…

 あ!『風車の見える丘』の評論、この前がっかりさせられたけど、今度のはとてもしっくり来ました。このページは、また同じく日本共産党の青年学生担当をされている方のようです。この方のは、青年の、(少なくとも僕の)苦悩をよく解っておられます。
日本共産党山梨県委員会 – 花田仁の“この一冊” – 旭爪あかね『風車の見える丘』
 それにしても、「どうしてあんなにイライラしてるんだろう…」というような見方で、人を冷静に暖かく見られるのはまだ僕にはないところで、良いなぁと思いました。「青年学生担当」という役職に就かれるだけのことはあるなと。

 このページを見つけて、こういう方がいることが解っただけで、今日はもう大丈夫です。

天気:曇りのち晴れ(東京23区西部・茨城県取手市・守谷市)

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幻のみそ汁

2006年1月17日

 夜、やや遅めに帰宅。テレビで、『1l(リットル)の涙』を久しぶりに見ようと思って、慌ててテレビをつけたら、違うドラマになっていました。ということで、初めてそのドラマを見ました。
 今まで、いろんなテレビドラマを見ました(中途半端に)。見るたびに、夢があって、主人公は純粋で正義感に溢れていて、最後には、だいたい美しく終わります(あくまでも一部のドラマを見て)。
 で、この前まで読んでいた『風車の見える丘』と比べてみました。違うのは、主人公の夢や正義感、純粋さだけでストーリーを取り巻く社会環境(現実)が好転させられるかどうか。
 …現実は、夢や、正義感・純粋さなどはことごとく踏みつぶされ、かなりの人が傷ついていると思います。そのような夢や感情が現実のものとなる人はほんのごく一部で、ほとんど努力や能力にはよらない、それをちゃんと描けているかどうか。
 「勝ち組・負け組」などという言葉があります。成功者は「勝ち組」、そうでなければ「負け組」。
 『風車の見える丘』は「勝ち組」サイドの作品ではありませんでした。世の中の、おそらく多くの人がそうであろう「負け組」に焦点を当てていました。そういう意味では、「多数者」の作品です。
 しかし、今まで見たテレビドラマは…(『B組』を除いて)。
 十把一絡げにドラマを見ることはできないけど、現実味を感じないのはそのせいだったのかもしれません。

 職場で、自らみそ汁作りに挑戦しました。副所長シェフの美味いみそ汁目指して。…が、結果は、「私(別の職員)が作るのと変わらない」。…撃沈。
 水にダシ用の煮干し、人参・玉葱・山芋・じゃがいも・キャベツを入れて徐々に加熱。煮崩れないようにしたんですが…。味噌は自家製の(職場自家製)麦味噌と米味噌の合わせ味噌。ううん…配合が違うんでしょうか。

 ま、日々鍛錬?僕的にはちょうどいい味だったんですが…。

天気:曇りのち晴れ(東京23区西部・茨城県取手市)

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銀行の待合室

2006年1月16日

 今朝、通帳をなくしていることに気がつきました。正月実家に戻る前にどこかに置いたような気がするのですが…、部屋中探し回ったのにどうしても見つかりません。せっかく早起きして早めの出勤しようと思っていたのに、元のもくあみです。
 とりあえず、残高確認はしておこう。盗まれた可能性も高くはないが否定できません。しかしそんなときに限って、常磐線は遅延。5分遅れました。後で判ったことですが、茨城県沖で7時54分頃に地震があって、水戸から牛久あたりでも揺れていたようです。
 職場近くの郵便キャッシュコーナーで慌てて残高照会。はぁ、よかった。残高減ってない…。でも、盗まれていたら、いつやられるか解らない…。ということで、昼休みにしては遅い14時半頃に郵便局と銀行へ。

 銀行はすさまじい混雑。月曜の午後とはこれほどまでに凄いものか…。受付のための受付を担当する女性が、四方を客に包囲されながら、必死の接客。涙ぐましいというより、痛々しい。ものを頼むのが悪いくらいでした。
 隣の一角では銀行員の女性たちがカウンター越しに、やっぱり必死の接客です。笑顔で接客していますが、やっぱり何となく痛々しい…。でも、カウンターの奥で情報処理している銀行員たちもなんだか余裕っぽい。こんな混雑、日常茶飯事?それとも、トラブルにはもう免疫付いた?

 お?カウンターの銀行員の一人。ちらっと目が合いました。
 …何ヶ月も前、もう1年以上前かもしれません。その銀行員の方は、あたかも僕のことを覚えているかのように窓口で応対してくれたことがありました。たまたま、2週連続くらいで行ったことがあったからだったのか…?それとも、僕がやたらと挙動不審だったのか…?たまたまその銀行から電話かかってきたことがありました。そのときもその銀行員だったような気が…。おかげで僕もその銀行員の方の顔と名前を覚えてしまいました。当時それを職場の人に話すと、「○○さーん!彼、浮気してますよー!!」なんてことが。
 はてはて、今はどうなのやら。その方、もう40くらいだと思います。

 最近、風邪や(ノロウイルス系の?)急性胃腸炎など、すぐ側でウイルス性感染症が流行しています。また12月31日みたいにならないように、僕も気をつけよう。

天気:曇りのち一時雨(東京23区西部・茨城県取手市)

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風車に思いを寄せて(榛名山:群馬県)

2006年1月15日

 早起きして5時過ぎに出発。5時33分発の常磐線上り。予定より一本早い6時16分上野発高崎線下り。眠さ抜群で大宮駅以降の記憶はありません。気がつけば高崎駅に着いていました。
 『風車の見える丘』の新くんとハルナさんが一緒に上った榛名富士にわくわくします。榛名と聞くたびになんか胸がときめくような。
 経営の苦しそうなバス。榛名湖まで1時間25分かかります。乗客は入れ替わりで何人かいましたが、榛名湖まで乗ったのは僕一人で、運転手さん的には、希有な存在だったようです。みんな秋に紅葉を見に来るようです。
 運転手さんとは、榛名山麓あたりの病院から乗ったおばあちゃんがいくつか後の停留所で降りて以降、僕と二人でした。タクシー状態。榛名湖まで、いろいろお喋りしていました。出会いこそ旅の醍醐味。これがいいんです。

 榛名湖は全面結氷。諏訪湖の全面結氷すら見たことないので、感動しました。冬季閉鎖されているボート乗り場から氷の上に降りました。割れる気配なし。昨日の雨と高温にさらされながらも。猫も一緒に歩きました。でも、後で解ったことですが、氷上立入禁止でした。

 雪もいっぱい残っていて、ただただ歓喜の舞。時間の経つことを忘れて、榛名富士の登山口に吸い込まれました。
 榛名富士(1390m)は夏緑樹林で覆われ、冬季は丸はげ。雪が少し残る中、急な坂と笹に耐えながら登りました。頂上は意外とドライ。あずまやと、まだ雰囲気に馴染んでいない新築の榛名山頂の神社。ロープウェイの駅。ハイヒールやブーツ、スニーカーに薄着で、ゼーゼー息を切らしながら神社まで上がってくる若者たち。榛名山頂はデートスポットみたいです。僕にはちょっと軟弱。
 昼ご飯はレトルトのカレーでしたが、コンロを忘れてしまったと思いこみ、冷たいまま食べました。食べた後見つかり、二重苦…。

 食後すぐ、ロープウェイで下山です。慌てて乗ったので切符代も払えず、後で精算。片道430円の展望のよい索道です。
 これからしばらく舗装道路と原野を歩きます。半生状態の雪に気配りもなく、マナーの悪いタクシーがスプラッシュ!原野には根雪とサバンナみたいにまばらな広葉樹、先にはこれから登る相馬山。榛名富士の外輪山のそれは少し扁平な形をしています。青い空と筋状の絹雲が茶色と白の雪原原野に映えています。

 磨墨岩(するすいわ)と相馬山(1411m)を空荷で登りましたが、左足に激痛が。何とかヤセオネ峠のバス停にバスの時刻までに着き、伊香保温泉へ。足の痛みで感動が少し薄れながらも、デジカメのシャッターの手はゆるめませんでした。

 伊香保温泉は急峻な坂の上にできた温泉街です。伊香保温泉の顔ともいえる石段の途中に伊香保町営の『石段の湯』。茶色の泥で濁った温泉です。湯温が42℃後半で調節されていてやや僕には熱めでした。でも、痛んだ足と二つの山をはしごした体には染み渡ります。
 後はおみやげを携えて、帰路につきます。渋川駅より高崎を経て上野・取手。渋川駅では40分待ち。高崎線では再びグースカ。

かなり強行軍でしたが、思い入れの深い地に来られて楽しゅうございました。また違うコース、いつか違う季節に来よう。

天気:晴れのち曇り(群馬県高崎市・群馬郡榛名町・北群馬郡伊香保町・渋川市・茨城県取手市)

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総崩れ

2006年1月14日

 起床は9時半。休みの日にしては早いほうでしょう。でも、机の上にかけてあるホワイトボードにはすることがいっぱい列挙されています。名刺がかなり前からなくなっているので、名刺作り。旅日記もパソコンが吹っ飛んでから停滞しています。その吹っ飛んだパソコンの修復もしなければならないし、年賀状のお返しも。また、この浪費プリンターのインク補充や新年会の準備もあります。あ~疲れるぅ…。
 年末にもらった1.8kgの伸し餅の12分の1と白菜の雑煮を食べ、早速名刺作り。でも、途中で疲れて一休みしようと明日の榛名山のコースでも確認しようと思えば、これがまた確認ですまなくなり、よけい疲れました。

 さて、そうこうしているうちに14時頃になりました。外はさっきからかなりすごい雨で、視界もかなり悪くなっていました。そのとき、水戸から、今日一緒に22日の企画(芋煮会)へのお誘いの声かけをするつもりだった方がぐったりしながら家に来ました。どうやら、吐き気がして、熱も少しあり、おまけに近くにもその症状の出た人がいるということで、これは間違いなく集団発生的な急性胃腸炎だと思いました。そう、僕が大晦日苦しんだあれです。波のある吐き気に堪えながら、しばらく休んでいましたが、結局病院へ行くことになりました。一日半ほどで治りますから、ゆっくり休んでください。
 遅れてもう一人の声かけ係の人が来ました。昼頃よりもずいぶん視界が悪くなっていて、予定より40分ほど遅れてきました。もう外も暗くなっていて、結局予定していた声かけはほとんどできず。
 今日はいったい何だったんだぁ…

 とりあえず、芋煮会の共同発起人がもう一人取手西部にいたので、そこへ行きました。彼女の職場は保育園です。広ーい教室の薄暗い隅にホットカーペットを敷いて、その上で6ヶ月の赤ちゃんと小学校1年生の少年を見守りながら、足ふき用のマットを縫っておりました。
 この保育園をとねっこ保育園というのですが、驚くことにこの保育園は教室が一つで、その一つの教室がホールのようになっています。初めて来た人は、必ず「教室はどこですか」と尋ねていくそうです。

 他にもいろいろ発見がありました。発育の段階に従って、ほ乳瓶の吸い口の穴に違いがあること。僕が見ても、違いなんて、ほとんど解りません。

 この大きなホール状の教室の中で、上から下までみんな一緒に学んでゆくのだろう。それが本来あるべき姿なのかなと思いました。別に、他の保育園が悪いとは思わないけれども。園庭はそのものが坂になっており、犬小屋ウサギ小屋物置小屋などもあります。なんだか、農家みたいな…?暗がりでしたが、記念撮影しておきました。

 この後、気晴らしにスーパー銭湯とラーメン屋に行きました。銭湯はこの大雨の中(実はこの時間帯がピーク)でも車でびっちり。そんな中、雨の降る露天風呂で、今日一緒に活動した人と語り合いました。
 ラーメン屋は取手ジャスコ近くの『わかとら家』。アットホームな雰囲気で、こってりラーメンを出します。従業員はそこら辺のラーメン屋と違い7~8人はいたでしょうか。中には外国人らしい人も。みんな元気そうに動いていて、営業はしっかり21時で終了。次の日に響くからだそうです。う~む、持続的…。

 今日は声かけよりもなんか遊んでいたような気分でした。いや、いつものことか。予定通りにはことは進まない、そんなことを教えられたような気がします。今日も無理やりかな…

天気:雨・雷を伴い一時強く降る(茨城県取手市)

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しおれたじゃがいも

2006年1月13日

 昨日の夜、15日が雨のときのことを考え、榛名山以外のルートを考えていました。どうせなら、『風車の見える丘』に出てきた場所が良いと思い、「三喜町」を探してみました。すると、どうやらそんな町はないみたいで、検索に引っかかったのは関係のないページでした。が、試しにそのページを読んでみました。

 このページは日本共産党の参議院議員だった人のページで、日記の一部のようです。この本のあらすじはこの元議員さんの日記を見ればある程度解ると思います。そんなに長くはありません。

 しかし僕は、このページを読んで愕然としました。
 え、小林新たちの語り合いが「懺悔と受容」?要するに、受け身ってことですか??
 それは後に出てくる日記の文章から、そういうことだと解ります。この元議員さんの要点は、彼らが最終的に競争の原因となった社会的問題を解決するため、共通の敵と戦う組織への接触が必要だということです。
 僕も、そのことに対しては否定しません。現実として、教員の枠が少なかったり、利益のためならデータのねつ造も辞さない会社があったりする原因が、政治・社会の体制にあることは明らかだからです。けれども、この小説で運動論(上の太字)の部分まで立ち入る必要があるのかというと、それは否定しなければなりません。問題とどう向き合っていくかは一人一人が決めることだからです。
 僕からいわせれば、この小説は、ねじ曲がった競争意識というものが社会のゆがみからくるものだということを明確にしているだけで、充分なのです。今のほとんどの日本人は、自分が歪曲した競争意識を持つ原因が社会の中から生まれてくるということはおろか、自分に競争意識があることにすら気づいていないと思われるからです。気づいていても、自己責任にするのが関の山でしょう。
 不満はまだまだありますが、この辺で抑えとこう。

 今日、体調不良のために遅れて職場に行ったら、もう昼ご飯のみそ汁を作っている時間でした。冷蔵庫の奥から引っ張り出したらしい野菜包みの新聞紙の中に、ばっちりシワの入ったじゃがいもがありました。みそ汁のシェフである副所長はこんなことをおっしゃいました。
「こういうじゃがいもがおいしいんです。こんなにシワだらけになっても、必死で生きている。」
 ううむ…!そんなこといわれたら、なんだか愛おしくなるじゃないですか!写真を撮ってやれ!!

 みんながんばって生きてるんですね。ちょっと無理やりですね…

天気:曇り(茨城県取手市・東京23区西部)

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今日は具合が悪い…

2006年1月12日


原子吸光光度計の炎です。幻想的です。

 夜中、2度ほど目が覚めました。寝付きが悪い…。そして、夜中途中で目が覚めたとき、気分が悪い…。昔からそうでした。夜中に目が覚めると、気分が悪くなってたいへんでした。夜の闇が怖いのか、朝まで逃げ場のないその闇の空間(体力的に逃げられない)が怖いのかわかりません。この夜中は寝返りを何度か打って寝付きました。
 アルプラゾラム(ベンゾジアゼピン系向精神薬)を飲んだのは、11日午前1時頃。丸一日以上飲んでいないので、反跳的に不眠や不安が襲ってきたのかもしれません。麻薬で言えば禁断症状でしょうか。その割に、昨晩寝付く前はすごく落ち着いていました。手紙なんか書いたりして。
 朝起きてもなんか頭にもやがかかったような、すっきりしない気分でした。特に心配事があるわけでもなし。軽い鬱病にかかったような感じかもしれません。それでも、昨日の夜までの元気さを思い出して、家を出ました。いつものように電車では新聞を読み、日暮里駅のソバを食べました。

 今度職場でのことです。12時頃になるとまた気分が悪くなってきました。胃が重いようなもたれるような。アルプラゾラムを服用して、1時間ほどぐったりしていました。いつもなら15分ほどで効いてくるはずなので、今日は精神的なもの以外の要因もあったのかもしれません。
 よく考えたら、このごろ、また3時とかに寝る形になっています。12月末に急性胃腸炎を起こす前の状態です。どうしてもこの日記を含めて、いろいろやってると寝るのが遅くなってしまいます。きっと、精神的・肉体的にしんどいのはこの慢性的な睡眠不足のせいなんだろうと思います。結局日記を打っている今も頭がぼーっとします。

 そういえば、2003年後半、大学院2年の時、すごく毎日が楽しくて、ついついいろいろがんばりすぎていたことがありました。その矢先、慢性的な気分の悪さで入院してしまいました。考えれば、調子に乗りすぎていたのかもしれません。今シーズンは、12月頃からいろいろなことをやり始めて、知らず知らずのうちに体と心に負荷がかかっているのかもしれません。少し休むことも考えないといけないのかな。しかし、僕は心を休める術を知りません。何もしないでじっとしていることができません。代わりに散歩します。
 そういえばしばらく散歩にも出かけてないな…。15日の関東地方は雨のち曇りという予報が出ています。低気圧の動き次第では晴れるかも。そしたら、榛名山で風になろう。雨が降ったら…傘さして散歩できそうなところに行こうかな。

天気:晴れ(茨城県取手市・東京23区西部)

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